『海辺のカフカ(上)』 by 村上春樹

海辺のカフカ(上)
村上春樹
新潮文庫
平成17年3月1日 発行 
平成21年6月20日 30刷

 

先日、英国人の知人が古本屋で買ったというこの文庫本を読んでいた。「子どもたちが森にきのこをとりにいって、米軍がでてきて・・・」といわれて、私の頭の中に????がとんだ。

 

海辺のカフカが、 単行本で初版発行されたのが2002年。当時、発売と同時に買って読んだ記憶がある。村上春樹作品の中では、結構好きだった記憶があったのだけれど、内容を覚えていない・・・。少年が、独り立ちしていくはなしだったよな?!というおぼろげな記憶だけ。

 

彼は、本人にとっての第二言語である日本語で、日本の小説を読んでいる。時々、この言葉の使い方、意味がわからないといって、私に日本語を聞いてくることがある。だいたい、村上春樹の日本語は、私としても解釈に悩むことがあるんだから、彼にとってやさしいはずはない。でも、好きらしい。

 

私も、お気に入りの作品だったはずだよなぁ、、、とおもって、読み直してみることにした。とはいっても、自宅にはない。実家にあるのかもしれないけれど、とりあえず、図書館で借りて読んでみた。

 

本の裏の説明には、
”「君はこれから世界で一番タフな 15歳の少年になる」—――15歳の誕生日がやってきた時、 僕は家を出て遠くの知らない街に行き、小さな図書館の片隅で暮らすようになった。 家を出る時に父の書斎から持ち出したのは、現金だけじゃない。 古いライター、 折りたたみ式のナイフ、 ポケットライト、濃いスカイブルーのレヴォのサングラス。 小さい頃の姉と僕が2人並んでうった写真・・・・。”

 

そうそう、、、家出するんだ。

 

感想。
あぁ、、、そうそう、そうだった、そうだった。
読み始めたら思い出した。でも、やっぱり、細かくは覚えていないから、新鮮な一冊として楽しく読めた。


とりあえず、上巻だけ借りたのだけれど、あっという間にその日のうちに読んでしまった。読みだしたら止まらない・・・。


そう、少年が、、、まだ学生の少年が家出するのだ。15歳。そして、知らない街へ・・・・。ちょっと古い言葉かもしれないけれど、「自分探し」の旅であり、自分を捨てて出ていった母を探す旅ともいえる。。。セツナク、悲しく、やさしく、あたたかいような、、、村上ワールド全開。やっぱり、好きだ。話がパラレルワールドで進むのだけれど、章ごとに切り替わるし、登場人物が全く変わるので、比較的わかりやすい。

 

以下、ネタバレあり。

 

お話は、「カラスと呼ばれる少年」というところから始まる。それは、主人公の心の中の会話だということが、作品を読んでいる最中にわかってくる。僕は、今から家出をしようと決心している。そして、それから起きた出来事を、これから語ろう、、ということ。
 
”15歳の誕生日がやってきた時、僕は家を出て 遠くの知らない街に行き、小さな図書館の片隅で暮らすようになった。
 なんだかおとぎ話みたいに聞こえるかもしれない。でもそれは おとぎ話じゃない。 どんな意味合いにおいても。”

 

この倒置法が、村上ワールド。

 

そして、第一章が始まる。

 

確かに、子どもたちが山にキノコを採りに行く。それは、まだ戦争中のことで、都会から疎開してきた子どもたちも一緒だ。そこで子どもたちが突然全員意識を失い、、そして数時間後に何事もなかったかのように意識を取り戻す、、という奇怪な事件が起こる。でも、その事件自体は、本作の中ではメインストーリーではない。子どもたち失神事件の関連で、アメリ国防省や日本軍医療機関で聴き取り調査が行われた様子が「極秘資料」として描かれているが、それもメインではない。

物語の中のもう一つの物語としての構造。それは、ナカタの生い立ちの説明。

 

失神事件では、引率していた女性教師だけが、失神せずに村に助けを求めに戻る。そして、、、第12章で、事件から28年後、彼女が調査当時には口にしなかった彼女の中の秘密が、告白される。「あの日、私は、大陸に出征している夫の夢をみて性的に昂奮していた。そして、思いがけず山の中で生理が始まってしまい、慌てて手ぬぐいで経血の処置をし、血だらけの手ぬぐいを森の奥に捨てた。ところが、ナカタという少年がその手ぬぐいを手に自分のところにやってきた。驚いたのと、恥ずかしいのとやらで、ナカタ少年に手をあげてしまった。激しく叩いてしまった。見ていた子供たちは、茫然としていた。そして、キノコ採りに戻るように子どもたちに言った。それから、、、しばらくして子どもたちが全員失神。。ナカタ少年も失神。村に助けを求めにいって、他の先生らと森に戻ってみると、既に数人の子どもたちは意識を回復し、結局、全員、何事もなかったかのように意識を回復した。ナカタ少年を除いて。。。そして、ナカタ少年は東京の病院に運ばれてしばらくした後に意識を回復するのだが、子どもたちは全員、失神していた時間、その前後の記憶を無くしていた。くわえて、ナカタ少年は、それまでの聡明だった知能も無くしていた・・・。」

 

この12章の先生の告白まで、2つの別のシーンが交互にでてくる。戦時中に起きたきのことり失神事件と、主人公の「僕」が家出をする現在とナカタの現在。

 

僕とナカタの人生は、同じ時代で進む。ただし、僕は15歳の誕生日を迎えたところで、ナカタは既に初老の男で知的障害を抱えた人物としてでてくる。

失神事件で、先生にぶたれて意識をずっと回復しなかったナカタ少年が、現在の知的障害ナカタであるということが、読んでいるうちにわかる。

 

ナカタは、猫さんとお話をすることができる。なので、近所で失踪した飼い猫を探す手伝いをしてお小遣いをもらっているのだが、基本は「知事さん」から補助を戴いてる。

 

一方で、僕の家出の話がパラレルに進む。僕の父親は著名な彫刻家で、家にはお手伝いさんがいる。でも母はいない。僕が4歳の時に、姉をつれて、僕と父を置いて家を出ていった。姉は養子で、僕が血のつながった息子だったにも関わらず、母は自分を置いていった。そして、僕は家の中でできるだけ父に合わないように暮らしていた。それができるほど、大きな家だった。

 

15歳の誕生日に家出をした僕は、長距離バスにのって四国をめざす。四国に知り合いがいるわけでもない。ただ、四国が選ばれた。そして、長距離バスの中で「さくら」とであう。一寸年上のさくらは、もしかすると僕のお姉さんかもしれない、なんて思ったりもする。さくらは、きっと僕が家出少年だってわかっている。でもそれを咎めるようなことはせず、バスが目的地高松について別れるときに、「なにか困ったことがあったらここに電話して」と、電話番号を教えてくれた。

 

僕は、最初はホテルに泊まる。特に具体的にやるべきことがあるわけではない。公営のジムに行って体を鍛え、散歩でみつけた「甲村記念図書館」で本を読んで過ごした。甲村記念図書館は、小さな私営図書館で、たくさんの本を好きなだけ読むことができた。受付の大島さんは優しいお兄さん。構内を案内してくれた佐伯さんは美しいおばさんだった。

 

僕は、毎日図書館に行って、本を読んだ。大島さんは、高校生に見えるだろう僕に、何をしているのかなどとは聞かず、好きなだけいればいい、と言ってくれた。僕にとっては千夜一夜物語のようなずっと昔の本を読んでいるほうが、現実の世の中よりも多くのことが生き生きとしているように感じられた

 

ある日、大島さんから「君に電話がかかってる」と言われる。図書館にいる僕に電話?
それは、滞在しているホテルにもう少しYMCAの割引料金で滞在させてくれないか、と相談したことへの返事の電話だった。僕がホテル受付の人に、図書館で調べ物をしているので、もう少し長くここにいたい、と伝えたことから、本当に僕が図書館にいるのかの確認もあって電話をよこしたものと思われた。

 

大島さんは、「朝から晩まで熱心に本を読んでいる少年ならここにいる」とつたえてくれたらしい。そして、ホテルにはもう少しサービス料金で泊めてもらえることになった。

 

田村カフカ」と大島さんは僕に聞いた。ホテルで名乗った名前が、「田村カフカ」だった。

そして、大島さんは、
「もちろんきみは、フランツ・カフカの作品をいくつか読んだことあるんだろうね?」と。

『城』と『審判』と『変身』と、それから不思議な処刑機械のでてくる話」
流刑地にて』、僕の好きな話だ。」と、大島さん。

 

本作品の中でも、たくさんの音楽、本、の固有名詞がでてくる。私は、普段Spotifyを使っているのだけれど、「海辺のカフカ」というオムニバスがあったので、思わず、ビートルズ、プリンス、、、聞きながら本を読む。

 

そして、僕は大島さんと親しくなっていく。

 

第9章。ホテルに泊まり始めて8日目の朝、僕は森の中で血まみれになって起きた。なぜ、森の中なのか、ココがどこなのか、なぜ血だらけなのか、、、全然わからない。それは、5月28日のことだった。とりあえず、公園のトイレで血を洗い流す。
僕は、さくらにSOSの電話をする。さくらは、僕を優しく受け止めてくれる。いっしょのベッドで寝ながら、「別に変な気はないからね。きみのお姉さんみたいなものとおもってね」と。

さくらは、しばらくここにいていい、と言ってくれたけれど、何もかもを優しくしてくれるさくらに甘えるわけにもいかない、と、僕は翌朝にさくらの家をでて、とりあえず行き場所としては一つしか思い当たらない、図書館にいく。

 

僕は、夏目漱石全集を手にする。大島さんと、漱石の作品の話をする。三四郎』『坑夫』、、、。

三四郎は物語の中で成長していく。壁にぶつかり それについて真面目に考え、 。なんとか乗り越えようとする。 そうですよね?でも、 でも『坑夫』の主人公はぜんぜんちがう。彼は目の前に出てくるものをただだらだらと眺め、そのまま受け入れているだけです。”

大島さんは、「それで 君は自分をある程度その『坑夫』の主人公に重ねているわけかな?」と。。

 

僕は、今夜泊まる場所が無いことを大島さんにうちあける。

「なら、ここに泊ればいい」と、大島さんは、図書館で大島さんの助手として働きながら寝泊まりすることを提案してくれる。少年課の警察なんかにみつからないように、、、。ただ、佐伯さんに話して準備をするのに2,3日かかるから、その間、大島さんの持っている森の中の小屋で過ごすことになる。

 

大島さんの車で、高知にある小屋まで送ってもらう。大島さんは、マツダロードスターを140キロを超えるスピードで走らせた。運転が好きなのかと聞くと、実は血友病で運動を医者から止められているので、代わりに運転を楽しむのだ、と。車の中では、シューベルトピアノニ長調ソナタが流れていた。不完全であるからこそ、演奏が難しいこの曲に人は魅了されるのだ、と大島さんは熱く語った。


森の小屋は、電気はないけれど、快適だった。大島さんは、森の奥は迷子になって出れなくなるから入らないようにといって、僕を残して帰っていった。夕食の前には毎日運動をした。夜空は満天の星空。星は、ただ美しいだけでなく、森の樹木と同じように、生きて呼吸をしているようだった

 

3日目、大島さんが迎えに来る。そして、僕は図書館で暮らし始めた。

 

ある時、二人の女性が図書館にやってきて、この図書館は「女性的見地からみて問題がある」と、難癖をつけてくる。僕では相手にならないと思った女性たちは、もっと偉い人をだせといってきた。僕は、大島さんをよびにいく。大島さんは、様々な言葉で図書館の問題点をあげつらい男女平等の観点で問題があるといいはる女性らに、毅然として理路整然と反論する。大島さんの話は、様々なメタファーを用いて説明しつつ、ブレることが無い。大島さんの発言に対して女たちは、
「男性的視点だ」といって引かない。議論は、交わらない。
そして、大島さんは言った。

「まずだいいちに、僕は男性じゃありません

大島さんは、戸籍上の性別は女性だった。。。女性たちは、文句を言う相手を間違えたと思ったのか、帰っていく。

 

大島さんのカミングアウト。

 

大島さんは僕に言った。
「 僕はご覧の通りの人間だから、これまでいろんなところで、いろんな意味で差別を受けてきた
  差別されるのがどういうことなのか、どれくらい深く 人を傷つけるのか、それは差別された人間にしか分からない。痛みというのは個別的なもので、 その後には個別的な傷口が残る。 だから 公平さや公正さを求めるという点で、僕だって誰にも引きを取らないと思う。 ただね、僕が それよりもさらにうんざりさせられるのは、想像力を欠いた人々だ。T.S.エリオットの言葉〈うつろな人間たち〉だ。その想像力の欠如した部分を、 うつろな部分を、 無感覚な 藁屑で埋めて ふさいでいるくせに、自分ではそのことに気づかないで表を歩き回っている人間だ。 そしてその無感覚さを、 空疎な言葉を並べて、 他人に無理に押し付けようとする人間だ。 つまり 早い 話、 さっきの二人組のような人間のことだよ」

 

そして、佐伯さんの恋人が殺されたのも、そういう空虚な人間のせいなのだ、と話をつづけた。

 

佐伯さんは、図書館を最初に案内してくれた女性で、この図書館の管理者だ。僕は、初めて会ったときから、佐伯さんが僕のお母さんであったらいいのに、と感じていた。その佐伯さんは、今はひとり身だが、この図書館の持ち主であった家の青年と幼なじみであり、恋人同士だった。だが、恋人は東京の大学に行ってしまう。佐伯さんは、ピアノと歌が上手で、恋人を追うように東京にいき、歌手としてデビューする。レコードは100万枚売れ、売れっ子の歌手になったのだが、レコードを一枚だした後、佐伯さんは業界から姿を消してしまう。レコードのタイトルは、「海辺のカフカだった。佐伯さんが19歳の時、恋人が、大学闘争に巻き込まれて、リンチで殺されてしまったのだった。単なる人違いで、1人の青年が殴られ殺された。佐伯さんはそれから何十年も行方不明になっていて、親族の葬式でこの地に戻ってきてから、図書館を引き継ぐことになったのだった。

 

大島さんは、佐伯さんの恋人は、想像力を欠いた狭量な人間たちに殺されたのだといい、本当に怖いのは、そういう、想像力の無さなのだといった。

 

そして、
「何が正しいか正しくないか、もちろん それも とても重要な問題だ。しかしそのような 個別的な判断の過ちは、 多くの場合、 後になって訂正できなくはない。過ちを進んで認める勇気さえあれば、だいたいの場合取り返しはつく。しかし 想像力を書いた狭量さや非寛容さは寄生虫と同じなんだ。かたちを変えてどこまでも続く。 そこには救いはない。 僕としてはその手のものにここには入ってきてもらいたくない。」


そんな風に、大島さんと色々な話をしながら、僕は、図書館での生活になじんでいく。だが、事件が起きる。お父さんが、何者かに殺された。大島さんがニュースを教えてくれた。
ニュースでは、彫刻家の田村浩一氏が殺されたと報道しているが、犯人の手がかりはなく、警察は、しばらく前から行方不明の息子を探していると。

 

僕がここにいることは、誰も知らない。僕は、父の死を悼まない。父は、「おまえはいつか自分の母親と姉を犯す」と幼い僕にいった。父の死に対して、僕がやるべきことはない。秘書やお手伝いさんがきちんと葬儀をしてくれるだろう。

僕は、そのまま大島さんと佐伯さんがいる図書館で暮らし続ける。

 

そして、ある晩、寝ているとき、少女の幽霊をみる。それは、間違いなく、15~16歳くらいの佐伯さんだった。佐伯さんは生きている。でも、少女の佐伯さんが幽霊となって僕の前に現れた。

 

この図書館に、幽霊はいるだろうか?と大島さんに話すと、源氏物語の時代は、生霊というのは怪奇現象であると同時に、普通に自然なことだった、という話を始める。あるいは、上田秋成雨月物語、義兄弟の契りを結んだ侍が、友と交わした約束のために幽霊となって千里の道を走って友に会いに行く、という話。そこには、人々の生きざまがあった。生きていても、生霊になることはある。。と。


そんなある日、僕は、佐伯さんが歌う「海辺のカフカ」のレコードを大島さんから貰う。佐伯さんが図書館から帰った後、僕はそのレコードをかけて、歌詞カードを読む。僕は、3度繰り返し「海辺のカフカ」を聞いた。それは、不思議なコードを含む、美しいメロディーで、佐伯さんの歌声も素晴らしかった。でも、歌詞はシュールなものだった。

 

 ”あなたが世界の縁にいる時
 私は死んだ火口にいて
 ドアの影に立っているのは
  文字をなくした言葉

  眠るとかげを月が照らし
 空から小さな魚が降り
 窓の外には心をかためた
 兵士たちがいる

  海辺の椅子にカフカは座り
  世界を動かす振り子を思う
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

僕は、もう一度佐伯さんの幽霊が出てきてくれることを待っている・・・。

で、(下)に続く。

 

だが、これだけではない、僕の家出と図書館暮らしと並行して、ナカタの話が進む。

 

ナカタは、猫を探して歩いているうちに、猫狩りをしている男、ジョニー・ウォーカーに出会う。男は、猫を殺して猫の魂を集め、猫笛をつくるのだという。男の家の冷蔵庫には、猫の生首がならんでいた・・・・。ナカタが探していたゴマちゃんも男の手にかかって、いまにも殺されるところだった。ゴマちゃんを助けてくれるように懇願するナカタだったが、助けたければ俺を殺せ、というジョニー・ウォーカー。ナカタは、勢いあまって、ジョニー・ウォーカーを刺し殺す。

 

そして、ナカタはゴマちゃんを救いだし、家族の元に届けてから、旅に出る。ヒッチハイクで西に向かう。目的は何だかわからないけれど、西に向かう。SAでトラックを乗り換えながら、西に向かったナカタは、途中で暴走族のケンカに巻き込まれるのだが、なぜか、大事にかかえた傘をさすと、空からヒルが降ってきたり、魚がふってきたり。。雷がやってくることを予言したり。

ジョニー・ウォーカーが殺された日が、僕のお父さんが殺された日。

 

ナカタは、SAでホシノ青年に出会い、彼のトラックに乗せてもらう。ホシノ青年は、長距離トラックの運転手だが、ナカタの姿に自分を可愛がってくれた祖父の姿を重ねて、ナカタにやさしくしてくれる。
そして、ナカタがとにかく西にいくんだというので、いっしょに四国についてきてくれることに。。。


話が、パラレルに進むので、説明が難しい。

 

要するに、

僕は、家出をして、高松の図書館へ住みつく。
長距離バスで、姉のようなさくらに出会い、図書館で母のような佐伯さんにであう。家出を咎めずに僕をサポートしてくれる大島さんに救われる。佐伯さんの幽霊にであう。

 

ナカタは、猫を救うために、謎の猫笛男を殺してしまい、西に向かわなきゃという使命感で、西に向かう。知的障害のある初老の男を助けてくれたのは、ホシノ。 

 

血まみれになって起きたり、気が付いたら血はなくなっていたり、、、。

 

とにかく、僕の父は死んだ。刺したのは、森で血だらけで倒れていた僕なのか?猫笛男が父だったのか。ナカタが僕の代わりに父を殺してくれたのか。。

 

やっぱり、面白い!!

15歳の誕生日を迎えた日というのは、中学生ということか、、、、。本当に、まだまだ少年だ。そして、少年の人生は続く。。。

 

続きは、(下)へ。