メトーデ
健康監視国家
ユーリ・ツェー
浅井晶子 訳
河出書房新社
2024年7月20日 初版印刷
2024年7月30日 初版発行
Corpus Delicti (2018)
図書館の新着本の棚で見つけた。
著者のユーリ・ツェーは、1974年、旧西ドイツのボン生まれ。 2001年、デビュー作『鷲と天使』が35カ国語に翻訳される大成功をおさめ、現在、ドイツで最も高い人気と実力を誇る作家の一人。
と、この作家の紹介を読んで、興味をひかれたので読んでみることにした。
最後に、訳者あとがきがあるのだが、その説明によれば、2004年には『 ゲーム への衝動』、2007年『 セルフ警視と宇宙の謎』そして、本書と、 エンターテイメント性、文学性、 社会性を兼ね備えた骨太な作品の作家とのこと。そして、 各作品がどれも 前作を超える ベストセラーになるという快挙を成し遂げ 人気作家としての地位を不動のものにしている、と。
本書『メトーデ』原書の発行は、2018年で、日本語翻訳版が出るまでずいぶんと時間がかかったようだ。日本では、大好評という感じではないのだろうか?私にとっては、著者の作品は本作がはじめて。
お話は、近未来のドイツの町のはなし。本の紹介には、
”独110万部のベストセラー! 健康が義務とされ、科学最優先の健康維持システム<メトーデ>が国民を管理。近未来ディストピア小説。”
とある。
訳者あとがき含めて243ページ、ソフトカバーの単行本。
感想。
いやぁ、、、ゾワゾワっとする。。。
ディストピア。
まさに、 ジョージオーウェルの『1984』を彷彿させる。。。
不気味だけれど、ついつい、、、読んでしまった。
読み終わって、爽快感はない。どちらかというと、どよ~~~ん。。。
ラストも、え?え?どういうどんでん返し?!と。。。頭の中にハテナが飛んだ。
以下、ネタバレあり。
物語の舞台は、ドイツの普通の街。でも、普通じゃない。街は、というか、国は、「メトーデ」という体制によって、全市民の健康を管理されている。街は無菌状態で、人びとは感染症になる危険がない暮らしができるように管理されている。
まるで、コロナ後にコロナでの緊急事態宣言をヒントに書かれた小説の様だけれど、原書の発表は2019年で、コロナ以前。でも、徹底した衛生管理と、個人の健康維持(健康監視)の仕組みは、まるで、、、コロナ中の悪夢の再現。。。。という感じ。というか、それ以上なのだが・・・。
人びとは、 栄養摂取、睡眠、 運動量に至るまで 国に管理されている。また、結婚して子どもを持つということも、国に管理されていて、相性適合する相手としか結婚ができない。つまり、恋愛結婚なんてできない。市民はみんな、腕にマイクロチップを入れられていて、喫煙やアルコール摂取も禁止。加えて、コーヒー、お茶といったカフェインも禁止。禁止を破ると、即刻裁判所から呼び出しが来る。
これが、ディストピアでなくて何なんだ!!
と、そんな近未来?の社会で偶発した1人の女性の対メトーデの日々がストーリー。
最初に
ハインリヒ・クラーマー著『 国家の正当性の原則としての健康』から「序文」が掲載されている。そこに書かれているのは、健康の定義、そして、その健康は国家によって管理されるということ。
” 健康とは生への自然な意志の目的であり、それゆえ社会、法、政治の自然な目的なのである。健康であろうと努めない人間は、病を得るのではなく、すでに病んでいるのだ。”
で、健康的でない事をした人間は、つまりメトーデに反する行動をした人間は、有罪となる。
この序文の次は、「判決」と、いきなり主人公の判決文がでてくる。
被告: ミーア・ホル (ドイツ国籍、生物学者)
罪状:反メトーデ的謀略
判決:
Ⅰ 被告を反メトーデ的謀略の罪で有罪とする。本謀略の具体的内容はテロ戦争の準備である。被告は国家の治安を危険にさらし、薬物を不正に使用し、検査義務を拒否することで 公共の利益を害した。
Ⅱ よって被告を無期限凍結の刑に処する
Ⅲ 訴訟手続き費用及び必要経費は遅刻の負担とする。
と。。。。
そして、ストーリーへ。。。
お話の構成も面白い。たしかに、これは、、ベストセラーになるかも、、と匂わせる。
判決ででてきた「無期限凍結」の刑は、死ぬことすら自由にならないということ。。。
主人公のミーアは、弟のモーリッツを亡くし、落ち込んでしまい、義務である運動や栄養摂取をおこたった罪で、裁判所から呼び出しを喰らってしまう。が、ことはそれだけですまなかった。
そもそも、モーリッツが亡くなったのは、殺人の疑いで刑務所に収監されている最中の自殺だった。弟が殺人犯のわけが無いのに、、、。
ミーアは、弟が自然を愛する優しい人間であり、メトーデに禁止されている「非衛生地域」つまりは、普通に森や林の自然にこっそり遊びに行くのをしっていた。そして、ミーアもときにはモーリッツと共に、森でのんびりしていたのだ。それは、反メトーデ的であり、見つかれば罰せられる行為だった。
モーリッツはある日、ネットで知り合った女性と初デートに行くといって、嬉しそうに出かけていく。しかし、青ざめた顔で帰宅する。
”ぼくが約束の場所に行ったとき、彼女はすでに死んでいた。”
モーリッツは、待ち合わせの場所で、レイプされ亡くなっている彼女を発見し、警察に届ける。
そして、後に、彼女の体内から発見された精子は、モーリッツのDNAと一致したといわれ、逮捕されてしまう。
弟がそんなことをするわけがない。でもDNAは一致・・・。弟を信じている、でもDNAの一致といわれると、、、。
モーリッツは、ミーアが面会時に届けた透明な紐で縊死する。ミーアは苦悩のあまり、健康管理を怠ったのだった。。。
そして、そこから、ミーアの弁護士ローゼントレーターがでてきたり、最初の序文をかいたクラーマ―がでてきたり、、、ミーアのマンションに住む健康絶対主義の主婦たち、、、。騒ぎ立てるジャーナリスト。
ミーアが、メトーデと戦うつもりはなかったのに、気が付けば「反メトーデ」の首謀者にとりたてられ、罪はどんどん重くなる。。。
が、一つ目のどんでん返しは、モーリッツの罪は冤罪だったと判明すること。モーリッツは、子どものときに白血病にかかり、骨髄移植を受けていたために、精子のDNAはドナーのDNAになっていた、、、ということ。つまり、レイプ殺人犯はモーリッツではなく、かつてのモーリッツのドナーの男だった。
このことをローゼントレーターが法廷で明らかにしたことで、形勢逆転。科学を絶対の根拠にしていたメトーデの脆弱性が非難の的となる。
ところが、クラーマ―は、すべては仕組まれていたことで、ミーアが反メトーデのテロのために弟を利用した、と言い出す。
嘘に嘘を重ねた。。。権力者。
まるで、日本の悪徳検察じゃないか。。。検察の証拠捏造による冤罪・・・を彷彿させる。
しかし、絶対の権力のパワーのほうが、所詮一般市民のミーアより強かった。。。
そして、ミーアはとうとう「無期限凍結」の刑が執行される。
が、そこで、さらなるどんでん返し。
宿敵クラーマ―が、ミーアへの判決を覆して、凍結寸前になっていたミーアを救い出す。
が、まっているのは、、、さらなる監視強化の生活?!?!
という、ラスト。
ぞわぞわーーー。。。
国家権力の暴走、あるいは専制、、、今の日本ではあまりそういう状況に危機感がないから、本書が他国程人気にならないのだろうか・・・。
まさに『1984』と同じくらいディストピア、でも管理のされ方や罰則が現代っぽいところがさらなるディストピア。
社会の暴走、行き過ぎた権威主義。
あり得そうで怖い・・・。
なかなか、、、すごいお話だった。
ドイツの美しい風景を彷彿させる文章もあるのだけれど、全体としてはやはり殺伐としている。
法廷でのミーアの言葉は、著者の思いの代弁だろうか。。。
ミーアは言う。
「 革命についての私の考えをお話しします。 革命というのは、 多数派と何の違いもないにもかかわらず、 一定の期間、 決定権を握ってきた 少数派に対して、 多数派が反乱を起こすことです。 狼の群れが 自分たちのボスを噛み殺すのを目にしたら、 どう考えますか?
新しいボスの時代が来たんだな、 と考えるんじゃないですか。 自然な現象だと。 簡単なことです。 革命の話だろうと、 他の、 権力と 非支配だとか、 政治だとか、〈メトーデ〉だとか、 経済 だとか、 公共の利益と個人の利益だとか、 私たちにとって重要で複雑に見えることがらを理解するために作り出された無数の概念の話だろうと、 最後に残るのはたった一つ、 それらは全て人間どうしの、 人間だけが関わる概念だという事実です。 こういった概念に神が介入することがなくなって以来、 すべては 月並みな事象になってしまいました。 」
そして、
「人間の言葉よりもそのDNAを信じるメトーデを信頼しません」
と。
なるほどなぁ。。。
科学絶対主義というのも怖い。人の言葉を信じられないのが最悪のディストピアかもしれない。
面白い、読みだしたら止まらない一冊だった。
ドイツっぽいのかなぁ?
ちょっと、著者の他の作品も読んでみたくなった。
読書は、楽しい。