『美しいを探す旅に出よう [増補新版]』 by 田中真智 

美しいを探す旅に出よう [増補新版]
田中真智 
白水社
2024年12月10日 印刷 
2024年12月30日発行

 

田中真智(あひる商会CEO)さんが、ご自身のSNSで宣伝されていた新刊。買って読んでみた。増補新版ということで、2009年に出版された原本に、第五章「美しいは感じるもの」が追加されて刊行された。2009年の原本は、 中学や高校の国語教科書に掲載されたり、 入試問題などにも多数 引用されたりしてきたらしい。「美しさ」ではなく、「美しい」を探すお話。とっても、真智さんらしい、野性の感性。

 

表紙は、真智さんが旅してきたアフリカのお家の内装だろうか、カラフルな飾り皿が並ぶ。


裏には、
美しさ、 それは 発見するもの” とある。

 

帯には、
” 人はなぜ美しいと感じるのか。

自然や 建造物、 芸術作品 など、 私たちをとりまくこの世界には 美しさがあふれている。 しかし、 時代や文化によって その基準はいろいろ。 自分の境界を飛び越えて、様々な「美しい」を楽しもう。”
とある。

 

著者の田中真智さんは、 1960年生まれ。 作家、 立教大学観光研究所研究員。 エジプトに暮らし、 中東や アフリカを広く旅して回った経験を元に 旅はコミュニケーションなどをテーマとした著作を発表。 著書には『 ある夜 ピラミッドで』(旅行人)、『 風をとおす レッスン』など多数。 コンゴ川を丸木舟などで下る旅を綴った著書『 たまたまザイール、 またコンゴ』(偕成社)で 第1回 斎藤茂太特別賞を受賞。 アヒルとかっぱの人形とともに旅をするあひる商会 CEO の顔もある。

 

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表紙をめくった袖には、
” 人はどんな時に「美しい」と感じてきたのか、 何を美しいととらえてきたのか。
 それは時代や地域によってどのようにちがっているのか。
美のカタチから世界を見渡す ガイドブック。”
とある。

 

目次
黄金の扇風機
1 風景は発明されたもの
2 美人の条件ってなに?
3 アートと呼びたくないアートの世界
4 科学から美しいを考える
5 美しいは感じるもの
「美しい」の境界を飛び越えよう
日々、ちいさな賛美を
主な参考文献
掲載図版一覧

 

感想。
あぁ、やっぱり、いいねぇ、真智さんの世界観。
ただ、美しいものを体感して愛でよう、っていうだけの話ではない。日本の美を見直そうって話でもない。「美しい」を感じる、それでいい、って話。そういう、心の声を聴かないといけないよなぁ、って思った。

 

最初に出てきた「黄金の扇風機」は、かつてのエジプトのアパートで見られた原風景の話。エジプトでは、外国人が借りるアパートは、家具付きアパートがほとんどで、その家具や内装が、 ベルサイユ宮殿から持ってきたかのような猫足のテーブル、 パーティー会場のようなシャンデリア、 金色に塗られた派手な 枠付き鏡、 ピンクに金の花柄をあしらった ベッドなど、、、、日本人的には、毎日見ていたら疲れちゃいそうな物だったという。そして、電気屋さんに並ぶ扇風機は、羽根の大半が金色というものがほとんど、、、と。

が、その様子も、3,4年のうちに、シンプルなものに変わっていった、というのだ。エジプト人の好みが、美意識がかわっていったのだろう。

 

日本のお茶の間原風景も、ブラウン管テレビにレースのクロスがかかっていて、黒電話が乗っている、、、って、、、今では皆無だ。みんな、美しいと思って手編みのレースのクロスを乗せたりしてたのだろう。が、レース編みも見かけなくなったけれど、ブラウン管なんて、今どきデスクトップのパソコンですら使わない。技術の進化で風景は変わる。そして、人々の好み変わる。そういう運命なのだろう。

 

美人だって、世界でその基準は変わる。ミスユニバースが、本当に美人なのか?それも時代で変わる。平安時代の美人、江戸時代の美人、、、、かつての日本では既婚女性はおはぐろをしていた。それが、美しさでもあったのだ。顔も大きいほうがいいので、眉をそって、おでこの上の方にちょぼ眉を書いてた。志村けんのバカ殿のお化粧みたいな。。。

かつての美しさは、現代のコメディになっているではないか!

 

とまぁ、そういう下世話な話ばかりでなく、純粋に、人が感じる「美しい」という感性は、その人にとっての希少性であったり、懐かしさであったり、斬新さであったり、それぞれにことなるんだということ。

 

真智さんがアフリカの田舎で、美しい山に思わずカメラを向けた。側にいた子どもたちは、「なにを撮っているの?」と、興味津々。かれらにとって、日常の風景であり、わざわざ写真にとるようなものではなかった。子どものひとりが、「バカル、バカル」と声をあげた。現地の言葉でウシのこと。真智さんはウシを撮っていたわけではない。美しい風景を撮っていたのだ。そして、子どもが指さす方向に目を凝らすと、たしかに遠くの山の斜面にウシの姿が豆粒ほどの大きさで見えた。望遠レンズでもとれなそうな小さな牛の姿があった。子供たちは、飽きるほどみている風景をカメラに収める日本人の美意識が理解できない。

 

人はどうして風景をみて、美しいと感じるのか。それは、そういうものを美しいとする文化の中で生活してきたから、育った自分の中の感性なのだ、と。

なるほどなぁ。。。

 

先日、長く日本に住む外国人の人と話していて、なぜ日本に来たの?という会話をしていたら、日本人の「aesthetic sense」(美意識)に惹かれた、と言っていた。私たちの取って日常の風景でも、外国人にとっては特別に「美しい」というものもあるのかもしれない。

 

私は、華道「古流いけばな」のお免状をもっているのだが、やはり、古流を美しいと感じ、小原流や草月流のお花も美しいと感じるけれど、ちょっと違うのだ。慣れ親しみ、解釈できるものの方が、美しいと感じるようになるのかもしれない。そして、それが外国人にとって斬新な美しさ、という可能性もある。

 

今では、世界中の街をネットを通じて目にすることができる。すると、実際に育った環境ではないところの風景も、子どものころから目にすることができる。TVの旅番組をみて、あこがれもする。そして、いつか実物を見に、、、、と恋焦がれるという楽しみも持てる。そんな気がした。

 

日本人は、西洋人に比べると、古くから自然に対してアニミズム見方をしたり、なにかと意識してきた。そういう環境も、日本人の「美しい」に影響を与えているのだろう、と。なんせ、「くらげなすただよう混沌」(『古事記』)からできた国だから。

 

余談だが、虫の声を「声」と呼んで、「美しい」と感じるは日本人だけだと言われている。秋の虫の音は、外国人には雑音だと。科学的にも、日本人は右脳で虫の声をきいて、西洋人は左脳で虫の音を聞いているということが実証されている。昨今ではこれぞ、日本の禅の音、とかいって、虫の音が流れ続けるメディテーション音楽とかもネット配信されているけど・・・。

 

古今和歌集の時代から愛でられてきた自然や虫の声。日本人には、日本人の感性が脈々と受け継がれているのだ。

 

他にも気になったところを覚書。

・ 日本の枯山水のように、石や砂を、山や島、川や海のイメージで捉えることを「見立て」という。

”日本の伝統的な美意識に「」という概念があるが、 粋な人とは、いわば 「見立て」ができる人と言ってもいい。”

つまり、目にしたものを何かに見立てて歌にしたり、風景にしたり。盆栽を樹齢数千年の老木に見立てて味わう、茶室を仙人の住む高峰のいただきに見立てる、などなど。

見立ては、目の前にある有限なものの奥に、より大きなものや、無限なものを見透かすこと。それは、宇宙を見るということではなかろうか?まさに、一杯のお茶の中に宇宙をみるということが、日本の伝統文化にはあるのだ。すごいことだ。そして、それができるのが「粋」。そういう感性あると、人生楽しめて、かっこいいなぁ、、なんて思う。

妄想できる力は素晴らしい、なんてね。それって、もしかすると岡潔の言う情緒ともつながるのかもしれない。

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廃虚の美しさ。ローマの遺跡は、いってみればただの廃虚である。それを美しいと感じるのも、感性。それは、ルネサンスで廃虚を描いた風景画が人気を博し、その美しさが人々の人気になったから。18世紀に「滅び」は美しさと結びついた。

古民家を美しいとかんじるかどうか、っていうのも同じことか?

 

虹の色は、国によって何色かが異なる。ドイツは5色。日本は7色。アメリカでは6色なのだと。本来、 虹はひと連なりのものであって、 はっきりとした色の区別があるわけではない。でも、その国によって色の数が違う。
 切れ目のないもにパターンを当てはめるのも人間の感性。そして生まれたのが星座。面白いのは、 知性だけは世界中の多くの民族が共通して同じ 7つの星の組み合わせ として認識しているらしい。


話は、最後は貨幣経済がもたらした人と人のつながりへの変化、AIによる「感じる」の欠如などにつながっていく。

間に、コラムもはさまられているのだが、それもまた真智さんの経験に基づく「自然」の話であったり、色々な視点から楽しめる。

心の奥を、ざっとかすめ取られるような、なんだか不思議な感じ。 

 

「美しい」を探す旅に出よう!

 

読書は楽しい。