川端康成

『美しい日本の私』について、知人たちと語りあい、へぇ!って思ったことを覚書。

 

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ノーベル賞受賞講演は、同時通訳ではなく、あらかじめサイデンステッカーが英訳を作っていた。講演タイトルは、最初は「美しい日本と私」だったのを川端が直前になって変更した。英語版は、そのままでいい、ってことになったらしい。俳句や短歌の訳も最初からあったのだ。

 

川端康成ノーベル賞受賞にあたっては、三島由紀夫も候補になっていた。三島は川端を先輩と尊敬していたけれど、本当はのノーベル賞が欲しくてたまらなかった。けど、三島はまだ若いからあとでもいいだろうというドナルド・キーンの言葉もあって、結局川端が受賞した。

 

三島由紀夫川端康成もなぜ自殺したのか?

1968年 川端康成 ノーベル文学賞受賞

1970年11月 三島由紀夫 切腹自殺 (45歳)

1971年10月 志賀直哉 肺炎と老衰で死亡 (88歳)

1972年4月 川端康成 ガス自殺 (72歳)

 

川端のノーベル賞受賞をお祝いした三島だったけれど、本当は残念でならなかった。三島は、自分が日本初のノーベル文学賞受賞者になりたかった。でも、そのチャンスは永遠に奪われた。そして、もうやることがなくなっちゃったから自殺した、、、という説。

川端は、三島の自殺にもショックをうけたけれど、更に翌年、志賀直哉がなくなったことで死への意識が強まった?

 

・『美しい日本の私』の中で、川端は芥川龍之介の自殺(1927年、35歳)や太宰治の自殺(1948年 38歳)を”賛美するものでも、共感するものでありません。”と書いている。

かつ、一休禅師(1394~1481年)が、実は2回も自殺を企てたことがあるとも書いている。自殺を否定するものの、あえて言及している。川端の中にも自殺願望があったのではないか、と。

 

三島由紀夫が川端について語った言葉。「極度の道徳的無力感のうちにしか、生命力の源泉を見出すことのできぬ悲劇的作家になる。

 

・『美しい日本の私』にはたくさんの和歌が引用され、古今集新古今集にも言及しているのに、なぜ、歌の達人西行の歌がでてこないのだろうか? → 西行の歌は、英語に翻訳するのが難しすぎるからではないか?

翻訳しにくい日本語の作品は、なかなか世界に出ていかない。いい例は、小林秀雄の作品。どれも、英訳が難しすぎる、、、ということらしい。

 

道元禅師(1200~1253)の生きていた時代は、トマス・アクィナス(1225頃~1274)の時代とも重なる。このころ宗教てきに大きなうねりがあったのかもしれないという話。

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道元は、気持ちを歌にすることができた。西洋ではどうだったのだろう。。

 

・『美しい日本の私』では、日本の自然の美しさが語られている。でも、野山の美しさというのは、果たして日本に古来よりずっとあったのだろうか?縄文時代にあっても、火を起こすためにたくさんの木を伐り、自然破壊がすすんだのではないのか?伊勢神宮が、今のような神聖な神宮となったのだって、明治以降の話で、それまではウサギをとって食べていたし、山の木だって切られていた。里山の美しさだって、本当は自然の美しさではなく、人が介入したものだ。本当は、「美しい日本であってほしい」という気持ちが、道元良寛の歌にも込められていたのではないのか?

 

まぁ、色々とざっくばらんと話して、楽しかった。

 

美しい日本は、与えられるものではなく、生きている世代がつくっていかなくてはいけないものかもしれないなぁ、、、なんて思った。

 

しかし、あらかじめ用意されていた英訳だったということだが、日本語と比較してみるとなかなか面白い。

揮毫(きごう)は、”Specimens”になっている。直訳すると、標本?!?!

明恵の冬の月の美しさをうたった

”あかあかやあかあかあかやあかあかやあかやあかあかあかあかや月”は、

”O bright, bright, O bright, bright, bright, O bright, bright. Bright,O bright, bright, Bright, O bright moon."

 

薄い本なので、何度でも読み返してみる。何度も発見がある。面白い。

 

読書会なわけではないけれど、こうしてみんなで語ってみるっていうのも、楽しい。