『渋沢栄一と安岡正篤で読み解く論語』 by 安岡定子

渋沢栄一安岡正篤で読み解く論語
安岡定子
プレジデント社
2021年2月22日 第1刷発行

 

論語』といえば、渋沢栄一か、安岡正篤か、というなかで、安岡正篤のお孫さんにあたる定子さんの著書。知り合いに薦められたこともあって、図書館で借りて読んでみた。

 

表紙裏の説明には、
” 今よりはるかに大きな変化に見舞われた 激動の時代を生き抜き、 大きな仕事を成し遂げた2人の先人が、共に心の拠り所にしたのは 『論語』でした。 渋沢栄一が『論語』の師とあおいだ 三島中洲が設立した二松学舎大学に学んだ、安岡正篤の孫に当たる著者が、2人が「孔子の言葉」をどう読み、それを、人生や仕事にどう生かしたのかを読み解きます。”

とある。

 

論語』解説本の一つ、と言える。

 

著者の安岡定子さんは、1960年 東京都生まれ。 公益財団法人 郷学研修所・ 安岡正篤記念館理事長。 二松学舎大学文学部 中国文学科卒業。 陽明学者・安岡正篤の孫
現在、「斯文会・ 湯島聖堂こども論語塾」「伝通院寺子屋論語塾」等、 都内の講座以外に 宮崎県都城市、 京都府京都市、 神奈川県鎌倉市など 全国各地の定例講座は20講座以上に 及び、 幼い子供たちやその保護者に『論語』を講義している。 また企業やビジネスパーソン向けのセミナーや 講演活動も行っている。

 

2025年、私はそんな安岡定子先生の講座を聞く機会ができることになったのだ。であれば、安岡正篤の教え、『論語』をひとつの軸にして、2025年の読書をしてみようか、とも思っている。

 

約300ページの単行本だけれど、とてもわかりやすく書かれているので、割とあっという間に読める。まだお会いしたことのない安岡先生だが、やさしい語り口が伝わってくるかのような文章。さすが、こども論語塾の先生である。

 

目次
まえがき
第一章 渋沢栄一安岡正篤と私
第二章 『論語』は 最高の「人生の指南書」
第三章  ビジネスの教科書とした 渋沢栄一
第四章  人材育成の要諦とした安岡正篤
第五章  二人の達人による『論語』の名講義
第六章  埼玉に縁のある二人の巨人に学ぶ
 特別対談:安岡定子、池田一義
あとがき
主な参考文献

 

感想。
やっぱり、論語はすごい。 日常的に耳にする四文字熟語も多くは論語からだったりする。 四書五経素読するという習慣なんて、いまでこそすっかりなくなっているけれど、そうして体に染みついた音を身に着けた先人たちはすごい。


論語は、孔子の言葉をあつめたもの。10巻、20編、約500章からなる。日本に論語が伝わったのは、513年頃と言われており、聖徳太子の17条の憲法(604年)にもその思想は反映されて、「和を以って貴し」だったらしい。

ただ、論語を解説しているだけでなく、著者がどのようにして祖父安岡正篤の言葉に触れて育ち、論語を読み解くに至ってきたかのお話があって、ちょっと親近感がわくような感じがする。『論語』も、難しく考えすぎずに、耳にはいってきて、気になっところを読み解くだけでもよいのかもしれない、とも思えてくる。第二章では、有名な10章が取り上げられて解説されている。また、第五章では、それぞれの章が、渋沢栄一の解釈、安岡正篤の解釈、が引用されて比較されていて、同じ言葉でも、それぞれに解釈があるということが実感できる。

 

ちなみに、アメリカの経営学ピーター・ドラッカー『マネジメント』の日本語版序文に、
” 率直にいって私は、経営の社会的責任について論じた歴史人物の中で、かの偉大な明治を築いた偉大な人物の一人である渋沢栄一の右に出るものを知らない。”と書いている話がでてきた。

渋沢栄一論語と算盤』は、それくらいすごい本ということともいえる。

 

好きに解釈すればいい、とは言わないけれど、人それぞれにおかれた立場や育った環境によって、それぞれの解釈があっていいんだな、と思う。

 

第二章を読むだけでも、論語のおいしいエッセンスが得られる。でも、これを読むと、もっと、論語をしりたくなる、とも思う。

 

ちなみに、孔子ソクラテス、釈迦というのは、BC550年前後、同じころに生きている。地球上で、何かのきっかけがあったかのように、人生を考え抜いた人が同時期に生まれたんだな、と思うと、なんだか不思議な力を感じなくもない。

 

ここで、論語の覚書をしても、、とはおもうのだが、、、やはり、ちょっとだけ、覚書。

 

儒教には、「大きな仁」の下に、8つの徳目がある。
仁:おもいやり
義:正義
礼:礼儀・礼節
智:知恵
忠:まごころ
信:信頼
孝:親孝行
悌:長幼の序(秩序)

 

・”礼とは、 長い年月をかけて 人々の間に 醸成されてきた 礼儀や習慣です。 社会の中で一定の拘束力を持ちますが、法のように明文化されたものではなく、 強制力はありません 礼を守るかどうかはあくまでもその人間の品格によります。”
まさに、礼をしらないとは、即ち「恥をしらない」ってこと。

 

・心の故郷として常に座右に老いておきたい十の章句(第二章)
一、 人生を豊かにしてくれる3つの大切なこと:学ぶ、朋、自分の道
二、 先人の知恵や歴史の中に問題解決のヒントがある:温故知新
三、 良き人物から学ぶ:良い教育
四、 良い習慣を身につければ一生もの:良い習慣
五、 見通しを立てて、自分で考える:遠くまで見通すこと。遠慮。原理原則。
六、 兼ね備えるべき2つの条件: 弘毅ならざるべからず=弘毅でなくてはいけない
七、 自分の心とじっくり 向き合う:争わない。自分と向きあう。
八、 人は逆境に立たされたとき、その真価が問われる:ピンチのときこそ、冷静に向き合う。
九、 物事を身につける極意、自分を進化させる法則:知る→好き→楽しむ。夢中になることこそ最強。人生も楽しむ。
十、 仲間と一緒に学べば 成長する:友を以って、仁を輔(たす)く。

 

それぞれの章は、「師曰く(しのたまわく)」で始まる。

一、の言葉は、論語の冒頭の一章。
”師曰(のたまわ)く、学んで時に之を習う。亦説(よろこ)ばしかずや。朋有り、遠方より来る、亦楽しからずや。人知らずして慍(いきどお)らず、亦君子ならずや。”

きっと、聞いたことあるはず。伊藤仁斎(江戸時代の儒学者)は、この句を「小論語」といったそうだ。

 

安岡正篤の言葉。
”つまらない 人間も「  世界のため、 人類のため」 などと言います。 あれは寝言と変わらない。 寝言 よりももっと悪い。 なにも内容がない。 自分自身のためにも 親兄弟のためにも ロクなことができない人間が、どうして世界のために人類のためになんて大口きけるか。
それよりも自分が居るその場を照らす、これは絶対に必要なことで、またできることだ、”

 

佐藤栄作元首相の寛子夫人の言葉。
安岡正篤は、佐藤栄作総理在職中、演説原稿の相談を受け、指南していた。
” 一番 残ってるのは、 引退表明演説中の『啐啄同機(そったくどうき)』という言葉です。 卵が孵化しようとする時、 卵の中の雛鳥は自分のくちばしで破ろうとし、 親鳥も外から その殻を破ろうとする。 そのタイミングが一致するからこそ、 雛鳥はこの世に生を受ける。 その絶妙な自然の摂理を表現している禅語です。”

 

『啐啄同機(そったくどうき)』は、私も40代半ばで初めて教えてもらった言葉。その時、なるほどなぁ、と感心した。20代や30代では響かない言葉でも、40代、50代で響く言葉がある。きっと、その言葉と出会うべきタイミングは、人それぞれなのだろう。

 

論語』は、速読で一気に読もうとするものではない。一つ一つ、じっくり味わうものなんだろうと思う。それにしても、まだまだ、学成り難し、、、です。