『マンガ日本の歴史32 忠臣蔵と生類憐み』 By 石ノ森章太郎

マンガ日本の歴史32
忠臣蔵と生類憐み
石ノ森章太郎
中央公論社
1992年6月5日 初版印刷
1992年6月20日 初版発行

 

 『マンガ日本の歴史 31 大開発の時代』の続き。31巻は、家光から4代将軍家綱の時代。明暦の大火、自然災害、などをへて全国で様々な農地開発や干拓、航路開発などが行われ、大きく開発が進んだ話。32巻では、家綱から第5代将軍綱吉の時代へ。お犬将軍、生類憐みの令は、小学生でも覚えられるくらい衝撃のルールだ。と、そのころ、今では年末恒例のドラマ「忠臣蔵」の元となった、浅野内匠頭吉良上野介への切傷事件が起きた。そういったドタバタを題材に活躍したのが、芸能分野の人々。。。って話。

 

目次
序章 かぶき者の終焉
第一章 大老政治から綱吉専制
第二章 生類憐みと服忌令
間章 芭蕉西鶴近松
第三章 朝儀復興と忠臣蔵 
第四章 元禄の貨幣改鋳

 

家康、秀忠、家光の時代に築かれた幕府による統制。戦はなくなり、武士たちは戦の褒章では食っていけなくなる。となると、、、失業である。そして、町にあふれたのが「かぶき者」といわれたならず者たち。浪人がチンピラになり、町人まで調子に乗ってワルになったのが、「かぶき者」と呼ばれたらしい。

 

で、そのかぶき者たちは、野良犬を殺して食べていた。ついには、人々の飼い犬まで殺す始末。そんなこともあって綱吉がだしたのが一切の殺傷を禁じる「生類憐みの令」だったのだ。ついでに、綱吉は、戌年だった。息子が夭逝してしまうなど、不運が続いていた時に「犬を大事にしなさい」と僧にいわれたことも、「生類憐みの令」へつながった。

 

かぶき者は、四代家綱のころに多くなって、取り締まりも度々行われた。五代綱吉の時代でも取り締まりは続き、1683年には、町人の帯刀が全て禁止された。
1701年には、大坂にもかぶき者が増え、とらえられると5人が処刑された。この事件は、すぐに浄瑠璃、歌舞伎に取り上げられて、後に江戸でも上演され大人気となった。「白波五人組」。

 

さかのぼって、1680年、病気の家綱の跡取り問題が浮上。家光の息子は、家綱、綱重、綱吉の三人だったが、綱重はすでに他界、その子の綱豊は後に6代将軍になるが、この時には、家綱の遺言により、弟の綱吉が次期将軍となる。

家綱、享年40歳にて死去。綱吉は江戸城本丸に入り、5代将軍となる。

 

綱吉のやった仕事。
1.農政改革:この時代は農業以外はほとんどないので、財政改革みたいなもの。
2.代官の服務規程を定める。:年貢のとりっぱぐれを防いだ。
3. 大老の酒井雅楽頭(うたのかみ)忠清の引退。:綱吉の将軍就任に異をとなえていた酒井をはずし、堀田正俊農政改革などをやらせた。傲慢だった正俊は後に若年寄に刺されて死亡。大老から側用人が表舞台の時代へつながった。綱吉時代に活躍したのが、側用人柳沢吉保(よしやす)
4.1683年 武家諸法度を発布:”文武弓馬”を大事にした政治から、”文武忠孝”、礼儀を重んじることを求める政治に転換。
5.儒教を重んじること:東照権現(家康)中心の思想から、仏教、神道儒教を重んじる政治に転換。忠・孝・礼を重んじた。
6.服忌令(ぶっきれい)発布:神道学者吉川惟足(これたり)を幕府神道方に任命。服忌令によって、今でも続く、「喪に服する」という習慣が始まった。が、父母が死んだら50日の忌と13か月の服など、生活に支障をきたす令だったために、浸透には時間がかかった。
7.孔子廟を神田湯島台へ移設:昌平坂学問所の始まり。
8.林羅山の孫、林鳳岡(ほうこう)を大学頭に任命:自ら四書を講じた。
9.1681年、護国寺の創建を命じる。幕府の財政は困窮していたが、1688年には知足院を創建、後に護持院とよばれる。
10.1685年 犬猫をイジメるなと、「生類憐み令」につながる最初のお触れ。:のちに、動物だけでなく人にも及んで、捨病人、捨て子、なども禁止される。1694年には、犬の飼育についてのお触れ。お犬様の天下に、犬医者は大繁盛。江戸の野犬は増加。幕府は、近郊の村に「犬小屋」をたてた。その経費は庶民の負担・・・。
11.貨幣改鋳:財政が圧迫してきたので、貨幣の金銀の量を減らした。経済の混乱のもととなる。


元禄時代は、芸術家や作家も活躍した時代。尾形光琳のような豪華な感覚が裕福な町人に受け入れられた。松尾芭蕉井原西鶴近松門左衛門などの作品からは町人も武士もなく。人間が「いきていること」への関心、追求の高まりが見て取れる。

 

松尾芭蕉旅行記野ざらし紀行』、連句集『冬の日』などで、俳諧を確立。「古池やかわずとびこむ水の音」。『奥の細道

井原西鶴:町人物語『日本永代蔵』、『世間胸算用

近松門左衛門浄瑠璃作家。『曽根崎心中

元禄15年、赤穂浪士の討ち入り事件は、事件の47年後竹田出雲らの書いた『仮名手忠臣蔵』で人気を博した。

 

元禄の時代(1688~1704年)の『曽根崎心中』や、『忠臣蔵』が、今でも文楽や歌舞伎などになっているのは、よくかんがえるとすごいことだ。残っていることもすごいけれど、人間が鑑賞して感動する物語が500年前から変わっていない、っていうこともすごい。

 

古代史からだんだんとみていくと、江戸時代が最近のことに思えてくるから不思議だ。
お犬様の綱吉は、貨幣改鋳もしたのだ。まぁ、、、教科書にもよく取り上げられる将軍ではあるけれど、どちらかというと悪政の5代将軍、なのかな。

 

財政悪化した幕府、さぁ、どうする!っていうのが、次の33巻。