教養主義の没落
変わりゆくエリート学生文化
竹内洋
中公新書
2003年7月25日 初版
2025年3月15日 19版
三宅香帆さんのお薦めだというのでだいぶ前に購入して、ずっと積読になっていた一冊。先日読んだ鈴木哲也著『学術書を読む』の中でも紹介されていたので、引っ張り出して読んでみた。
帯には、
”「あの推しが推してる」
とてつもなく面白い。
と、 20年以上前の”堅物”が異例の大反響!!
なぜ「読書」はかっこよかったのか?
その答えは 教養主義の時代にあった。
三宅香帆さん 絶賛!
中公新書のロング&ベストセラー”
とある。
表紙裏の袖には、
”1970年前後まで、教養主義はキャンパスの規範文化であった。それは、そのまま社会人になったあとまで、常識としてゆきわたっていた。人格形成や社会改良のための読書による教養主義は、なぜ学生たちを魅了したのだろうか。本書は、大正時代の旧制高校を発祥地として、その後の半世紀間、日本の大学に君臨した教養主義と教養主義者の輝ける実態と、その後の没落過程に光を当てる試みである。”
と。
著者の竹内さんは、1942年、東京都生まれ。京都大学教育学部卒業。同大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。京都大学教授、関西大学教授を経て、京都大学名誉教授、関西大学名誉教授。専攻は歴史社会学、教育社会学。著書多数。
目次
序章 教養主義が輝いたとき
1章 エリート学生文化のうねり
2章 50年代キャンパス文化と石原慎太郎
3章 帝大文学士とノルマリアン
4章 岩波書店という文化装置
5章 文化戦略と覇権
終章 アンティ・クライマックス
感想。
うん、面白かった。
本を読むのは、今の時代もかっこいいと思うけど、かつての読書のステータスは今よりもずっと高かったのだ。
大正時代~現代の日本文化史を読んでいるような気にもなる。歴史の理解の助けにもなる。なるほど、そうかそうか、と膝をうつページがたくさん。たしかにね。
大澤絢子著『「修養」の日本近代 自分磨きの150年をたどる』も明治維新以降の若者たちが立身出世のために学問をめざした話が紹介されていて興味深かったけれど、本書の奥行きの深さは比にならないぐら面白い。
最近の本屋さんでは、いわゆる総合雑誌の姿はあまり見かけなくなっている。手に取る人は、新人賞応募に興味がある人たちくらいなのだろうか。教養として読むという人はあまりいないように思う。「本を読む」ことの流行りからその否定、学生運動への流れ、道に迷い失ったエネルギーが違う方向へと向かったのではないかという仮説は、興味深い。友だちが読んでいるから自分も読む。友だちが学生運動しているから自分も運動に加わる。そういう若者というか人間の行動傾向は、今の時代もかわらなくて、「友達が起業したから、自分も起業する」「友だちが退職したから、自分も退職する」という行動に繋がっている様な気がする。
いつの時代も、本当に志をもって自分の意思で新たな行動を起こすファーストペンギンは、そんなにいるものではないのだろう。
突き詰めると、教養主義が没落したのは、
「教養が、エリートとしての地位を保証する『実利的な道具』として使えなくなったから」という話。
手っ取り早く「地位」をあげるのに、読書はタイパもコスパも悪くなった、ってところだろうか。
見栄や劣等感から触発される「読書」ならそうかもしれない。色々読んで、自分好みの「読書」に出会えるほど人生を豊かにしてくれるものはないと思うけどな…。
まぁ、とにかく、興味深い話しなのと、新書御三家の一つ中公新書らしい深みのある一冊だった。推しが推してるわけだ、、、ってね。
気になったところ覚書。
・著者が大学生の頃に定期購読していた総合雑誌:『世界』『中央公論』
”当時、『中央公論』には高坂正堯(1934-96)が「現実主義者の平和論」(1963年1月号)によってデビューし、 進歩的知識人とは異なる 現実的知識人という新しい知識人タイプが生み出され始めていた。”
・1900年代初頭の動き:
” ・・・社会主義は壮士あがりのならず者やごろつき集団まがいの嬌激な運動あるいは在野知識人の運動ではなく、知的青年の社会思想や社会運動に格上げされたのである。こちらあたり「野卑」で「淫猥(いんわい)」とまでされた小説に、 東京帝国大学講師だった夏目漱石が手を染め、 また専業小説家となることによって、 小説が知識人のたしなみに格上げされていった過程と似ている。”
・昭和初期の動き:
”専門学校や大学は、専門教育機関である。 就職を控えている場所である。 それに対して、高等学校は、大学までのモラトリアム期の学校だった。 モラトリアム期間は、学生運動の温床になりやすい。 第2次大戦後の新制大学で、 学生運動が1-2年生の教養課程で活発で、 専門過程に進学すると一部の学生しか関与しなくなり鎮静化したように。”
・和辻哲郎のエッセイより:
”「 君は自己を培っていく道を知らないのだ。 大きい創作を残すためには自己を大きく育てなくてはならない。(中略) 君が能動的(アクティブ)と名付けた小さい誇を捨てたまえ。 (中略)常に大きいものを見ていたまえ。 (中略) 世界には百度読み返しても読み 足りないほどの傑作がある。 そういうものの前にひざまづくことを覚えたまえ。ばかばかしい公衆を相手にして少しぐらい手応えがあったからといってそれが何だ。 君も一緒にばかになるばかりじゃないか」
・1950年代、結核患者数は51年に59万人とピークだった。当時、 企業も相当の結核患者を抱えていて、新卒採用では身体検査が重要視された。「結核」は「赤化」あるいは「マルクス主義者」と同じくらい忌避の対象となっていた。
・教養主義の殿堂である帝大文学部は、帝大理学部が新中間層的で都市出身的な学部であったとき、もっとも農村的で地方出身者に親和的だった。
→ ぶっちゃけた言い方をすると、読書による教養主義に走ったのは、田舎出身者の都会の洗練された文化に対する抵抗だった?!
・都市ブルジョア文化で育った石原慎太郎は、教養主義に対する生理的嫌悪を持って、『太陽の季節』(1955年)を書いた。
”それは、 日本型教養がブルジョワ 文化と不連続であるがゆえの貧しさを暴いたといえる。”
・”教養主義の別名は、岩波文庫主義でもあった。”
岩波文庫をつくった岩波茂雄(1881~1946)は、農家の長男。比較的裕福な家庭に育ち、東京府立第一中学校を中退して、二松学舎で漢学を学んだ。32歳の時に古本屋岩波書店を開業。後に漱石の『こゝろ』の自費出版によって岩波文化といわれる社会現象をつくりだした。その後も漱石の作品と全集は岩波書店のドル箱となり、文化威信を大いに高めた。
・岩波文化は、 東京帝大教授や京都帝大教授の著作を出版するということで、官学アカデミズムによって正統性を賦与された。見方をかえると、官学アカデミズムは自らの正統性証明するために、民間アカデミズムである岩波文化によりかかった。
・1970年代になると日本企業は大卒の大量採用をおこなった。
”大量採用だから大卒だからといっても専門職種につくわけではない。将来の幹部要員でもない。ただのサラリーマン予備軍には専門知や共用知を必要としないのである。”
「教養主義」がだんだんとすたれていく様子が理解できる。一方で、その空隙を埋めたのは何だったのだろうか?思う。猛烈サラリーマン主義か。。。。そして、ジャパンアズナンバーワンと言われる時代を迎え、バブル崩壊、失われた30年、、、。
本書が長年ベストセラーであり続ける理由は、やはり人々は「教養」を求めているからではないのか?求められる教養の中身は時代とともに変わっていくのだろうけれど、「文学」にある思考の仮想体験は、やはり人生における学びの一つだと思うけどな。ただ、人びとが体験したい「仮想」世界が多様化していて、なかなか多くの読者に響くような作品が減ってきたということが読書離れの一つかもしれない、とも思う。
人まねで読むのではなく、自分の好みの本が見つけられるようになると、読書はやめられない、とまらない、、、、習慣となる。一方で、読書以外の知識習得の方法が増えたり、「教養」を追求すること自体がすたれた総中流化によって、読書習慣そのものの魅力が減ったのかもしれない。通勤電車なんて、昔は読書するくらいしかやることがなかった。。。。。今は携帯ひとつで、無言のコミュニケーションができるし、ニュースも読めるし、好みの情報を収集することもできる。
いやいや、でもやっぱり、私は活字になった紙の本の読書が好きだ。
そもそも、私は、「何者か」になろうと思って読書をしているわけではない。
自分の好奇心を満たすのに、もっともコスパもタイパもいいのが読書なんだよね。
ま、脱サラした今、コスパもタイパも求めてないけどさ・・・・。
