将軍の世紀 上巻
パ久ス・トクガワナを築いた家康の戦略から遊王・家斉の爛熟まで
山内昌之
文藝春秋
2023年4月30日 第1刷発行
銀座の教文館のちらし「おすすめ本9月」で、紹介されていた本。2023年6月24日には、日経新聞書評でも紹介されていたらしい。新聞書評では、
”ありそうでなかった徳川通史である。江戸時代は専門の細分化が著しく、通史は不可能かと思われたが、中東史の専門家であり中国史やヨーロッパ史にも詳しい著者はパクス・トクガワナの生みの親・徳川家康に強くひかれるがゆえに敢(あ)えてこの難業に挑戦した。”とあった。
気になったので、図書館で予約してみた。割とすぐに順番が回ってきた。が、本を見てびっくり。。。厚さ、4cm以上・・・。まじか・・・。しかも、文字がびっしり・・・。一瞬、パラパラと目を通して、読むのをやめようかと思ったけれど、やっぱり、ちょっと面白そう。結局、読んでみることにした。
著者の山内さんは、1947年生まれ。歴史学者。 東京大学名誉教授。 武蔵野大学国際総合研究所客員教授。 モロッコ王国ムハンマド5世大学特別客員教授。 富士通 フューチャースタディーズ ・センター 特別顧問。 兆 顧問。 アサガミ顧問。 2023年より横綱審議委員会委員長、とのこと。著書に、『オスマン帝国とエジプト』など。歴史家と言っても、日本の歴史の専門家ではなく、中東などが専門のようだ。本文中には、海外の歴史との比較がたくさんでてきて、知識の幅の広さに圧倒される。
表紙裏の説明には、
”家康の本質は、世界的に稀有な軍人政治家だったところにある。
関ヶ原の戦いにおける冷酷な政治リアリズムによって、形作られた天下取りの大局観は、天皇家を法度の内側へと追い込み、豊臣家を滅ぼすことで、徳川の世を現出した。
その強靱なシステムは、4代家綱時代の文治政治への転換、
8代吉宗時代の享保の改革など経て、
11代家斉の化政時代を生み出すまで続く。
しかし、半世紀に及ぶ家斉の時代こそが、徳川の世の終わりの始まりだった。”
と。
上巻では、家康から家斉まで。山川日本史の教科書で50ページ程度の時代の話が、735ページになっている。。。しかも、上巻だけで。膨大な参考資料もすごいけれど、これだけまとめているのが本当に圧巻。
感想。
もう、圧倒された・・・の一言につきる。そして、それぞれの将軍と、その時代の取り巻き(側用人(そばようにん))について説明されているので、幕府裏話的な面白さがある。また、各将軍の気性もズバッと書いてあって、なんとなく周りからどう思われていたのか、想像しやすい。良い側近に恵まれた人もいれば、恵まれなかった人も。将軍その人に人格的問題のある人も多々あり、、、。教科書には書かれない人間模様。
たくさん人が出て来るし、難しいのだけれど、時代の流れに沿って書いてあるので、なんとなく時代の移り変わりがつたわってきて、楽しく読める。じっくり読んだら、もっと楽しいのだろうけれど、そこまで江戸時代にどっぷりつかっている時間もないので、わりと、さらっと読み。でも、これは、価値ある一冊。3400円(税別)だけれど、これは、力作だと思う。
とてもじゃないが、要約することもできない・・・。目次の抜粋だけでも、覚書になりそう。。。
目次
序章 関ヶ原
1. 1つの国家
江戸時代の「朝廷と幕府」の関係を紐解き、「天皇と政府」の核心に迫る
2. 不思議な戦争 関ヶ原合戦
戦場での臨機の決断力にこそ、稀有の軍人政治家・家康の真骨頂がある
3. 勝敗は兵家の常か
家康の「天下取りの大局観」を形作ったのは、関ケ原における冷酷な政治リアリズムだった
第1章 家康・秀忠
1. 将軍宣下
将軍となった家康がこだわったのは、「朝廷の外部」に政権を作ることだった
2. 公儀と大御所
息子に将軍職を譲った家康は、秀吉が失敗した「二元的君主制」を完成させる
3. 「三つの外国」と国境線
蝦夷・対馬・琉球から見える徳川公儀の「地政学的外交戦略」とは
4. 豊臣の天皇
後陽成天皇が表明した”譲位”に反対する家康。心の内にはどんな思いがあったのか
5. 官女密通一件
朝廷内で公家と官女による乱倫が発覚し、後陽成帝は激怒。だが、これを機とみた家康は知略をめぐらせる
6. 父と子
徳川家康と秀忠、後陽成院と後水尾帝、細川藤孝と忠興と忠利。親子から見える「権力と統治」とは
7. 譲位暗闘
武家の意思は禁裏を超越するのか。家康と根競べに屈した後陽成帝は、痛恨の涙を流した
8. 豊臣滅亡
水面下で家臣の忠誠を断ち、秀頼を追い込む。大阪冬夏両陣は”徳川の冷徹さ”を物語る
9. 三つの法度
パクス・トクガワナを支えた法制を作ったのは、袈裟をまとった「徳川の書記官長」だった
10. 二代目の孤独
苛烈な大名統制に、キリスト教弾圧。秀忠の非情な決断や発想の裏には何があったのか
11. 徳川の出頭人
秀忠から家光へ、父は子に将軍の座を移譲した。そして幕府の統治システムも大きく変わりつつあった
第二章 家光
1. 悪意と悲しみ
老中や大老さえも言葉を慎むような恐怖政治。三代・家光の治世には”暗さ”がつきまとう
2. 「庄屋仕立て」から、公儀官僚制へ
血筋、家柄、官位、石高・・・。将軍家光は、辛辣な区分けで、”大名の序列”を可視化していく
3. 島原の乱
苛政に苦しむキリシタンの蜂起が意味するものは、パクス・トクガワナの”正統性への挑戦”であった
4. 鎖国と一国平和主義
通俗的に想像される”幕府の告知”はなかった。徳川時代を象徴する外交政策「鎖国」の実態に迫る
第3章 家綱
1. 武装せる失業者と飢饉
武断政治から文治主義へ。11歳で将軍になった4代目・家綱が高く評価される理由とは
2. 下馬将軍の「曲がった道」
家綱政権下、筆頭老中に躍り出た酒井忠清。「傲慢」「不忠」との悪評もあった男の実像とは
第4章 綱吉
1. 御成と檜重 消尽する将軍
5代将軍・綱吉が好んだ”贈答文化”は、幕府財政を破綻の危機にまで追い込んだが
2. 制約されない権力者
儒学の理想に基づく仁政を願った、5代将軍・綱吉は、”新官僚集団”を作ることで、権力を掌握した
3. 綱吉と忠臣蔵 歴史の不条理
元禄15年、赤穂事件が発生した。犯罪か、義挙か。。幕府の議論は紛糾する。その時綱吉が下した判断とは
第5章 家宣・家継
1. 新井白石の夢
在職4年で他界した6代家宣、僅か8歳で夭折した7代家継。二人に仕えた稀代の儒者・新井白石が描いた「国のかたち」とは
第6章 吉宗
1. 「天下一」の将軍
徳川御三家の争いを制し、8代将軍となった吉宗。「継世の改革」の裏にあったのは、紀州藩の情報収集能力だった
2. 中興この時なり
武家の困窮をいかに解決するか。名君・吉宗の改革はその1点に尽きた
3. 享保の改革と天一坊と庶民
享保改革を成し遂げた吉宗は、軍人政治家の曾祖父・家康から何を学んだのか
第7章 家重・家治
1. 「御不足の御方」と宝暦事件
「ろれつ回らず」「小便公方」、9代・家重の評判は悪い。心もとない後継者を案じた吉宗がとった行動とは
2. 田沼意次の「めでたい御代」
十代家治の時代は、「田沼時代」と呼ばれる。時期区分で姓を使われる例外的幕閣が残した足跡とは
第8章 家斉
1. 松平定信は「運の良い人」か
天明大飢饉と浅間山噴火は田沼政治に終止符を打つ。権力を掌握したのは、才智に富む29歳の老中であった
2. 北方問題の開幕
いつの時代も国家浮沈の試練は国内不安と対外危機が結合して生まれる。それはロシアから来た
3. 寛政改革の行き詰まり
太平の世に旗本御家人の劣化が進み、幕府の人材は払底していた。定信の人材育成は成功したのか
4. 「みさよし」と王政復古の間
朝廷から幕府への大政委任はあったのか。いよいよ統治の正統性が揺らぎ始めた
5. 「本当の幕末」徳川政権の終わりの始まり
徳川政権を滅ぼした保守的な要因は幕末の薩長勢力でも水戸藩の内訌でもない。それは幕府の内部にあった
6. 通信と通商の国
最初に「鎖国」の扉を叩いたロシアが日本の開国に失敗したのはなぜか。そして最前線となった蝦夷地の開発を押し止めたのは誰か
7. 江戸の北方領土問題、平時の武士と文化露寇
レザーノフは、「武力による対日通商関係樹立」を決意し、樺太・南千島の日本の番屋・番所を襲撃。日本側は屈辱的敗北を喫する
8. フェートン号事件と「法外の横文字」、長崎警備体制の限界
日本人はイギリス人の仕掛ける最初の砲撃で敗走するのするだろう・・・・パスク・トクガワナの代償はあまりに大きかった
9. 大塩平八郎の乱
幕威の凋落をまざまざと示した大塩の乱。その影響で、各地で幕藩体制を否定する事件が多発していく
もう、目次だけでもお腹いっぱい、って感じ。でも、教科書では控え目にかいてあることが、堂々と「無能な将軍」とか書いてあるので、わかりやすい。当時の町の気風にしても、ストレート。
”京都の人は繊細にして誇り高く、大坂人は欲張りで気迫にあふれている。江戸人は大げさに物を語り、血気にはやるというのだ”と、儒学者の言葉を引用している。
過去の文献や歌なども多く引用されているのだが、それが古文なので、そこで読書の波がどっとくずれる。だから、読むのにだいぶ時間がかかった。
でも、うん、面白かった。なるほどとスッキリしたことや、目からウロコだったこと、他の世界史の言葉からの引用などを覚書、、、ま、また続きで。