『立ち読みの歴史』 by 小林昌樹

立ち読みの歴史
林昌樹
ハヤカワ新書
2025年4月20日 初版印刷
2020年4月25日 初版発行

 

2025年5月31日の日経新聞で紹介されていた本。べつに、読むつもりはなかったのだけれど、別のところでも本書の話題がめについて、気になったので、図書館で借りて読んでみた。特に待たなかったから、、そんなにベストセラーってわけでもないのかな?

 

記事には、
”『調べる技術』でヒットを飛ばした著者が図書館員時代に蓄積した知識をフル稼働させた意外に奥深い読書形態史。
著者は、昭和の洋行経験者に海外には立ち読みなしという証言が多いのに目をとめて、「どういう前提をおけば立ち読みが『ない』と言えるのか」と考え、日本における立ち読みの発生の時点と環境を突きつめようとする。
「立ち読み史研究上、最重要な」証言は宮武外骨大正7年(1918年)に残したエッセーで、「明治三十年頃までは、雑誌販売店で立読みして居ると店の者が『アナタ其雑誌をお買ひになるのですか』と詰責したものであつたが、近年は東京では其立読を咎めない事にした」とある。
この証言の分析でキーとなるのは販売方法が座売りか開架かという問題だが、証言からは明治30年頃には座売りから開架への転換がなされていたことがわかる。

第2のキーは「雑誌販売店」である。というのも明治20年代、書店と流通チャネルが異なる元絵草子屋で販売されるようになったのを契機に雑誌数は急増したが、立ち読みはこの雑誌専門店で発生したと思われるからだ。つまり「冷やかし」「タダ見」「立ち見」と呼ばれた前駆的形態がすでに観察された絵草子屋が明治20年代に業態変更して雑誌を扱うようになると、陳列が開架式に転換されたことも伴って、「立ち読み」という現象が発生したのだ。
「雑誌屋の普及は、全国的に『立ち読み』の慣例を庶民に広める効果があったことだろう」

(中略)
・・日本に関する限り本書は『調べる技術』が完璧に応用された読書形態史の小傑作と言える。”
とあった。

 

著者の小林さんは、1967年東京生まれ。図書館情報学を研究するかたわら近代出版研究所を主宰し、年刊誌『近代出版研究』編集長を務める。慶應義塾大学文学部卒。国立国会図書館で15年にわたりレファレンス業務に従事、その経験を活かした『調べる技術』が3万部を超えるヒット作となる。その他の著書に『もっと調べる技術』(以上皓星社)、編著『雑誌新聞発行部数事典』(金沢文圃閣)、共著『公共図書館の冒険』(みすず書房)など。コミケにも精力的に出店している。

『調べる技術』は、2022年の出版らしい。私は読んでいないけれど、Webで内容を見る限り、結構面白そう。

 

表紙の裏には、
”かつて洋行知識人は口々に言った―「海外に立ち読みなし」。日本特有の習俗「立ち読み」はいつ、どこで生まれ、庶民の読書文化を形作ってきたのか?本書はこれまで注目されてこなかった資料を発掘し、その歴史を描き出す。明治維新による「本の身分制」の解体、ニューメディア「雑誌」の登場、書店の店舗形態の変化…謎多き近代出版史を博捜するなかで浮かび上がってきたのは、読む本を自ら選び享受する我々「読者」の誕生だった!ベストセラー『調べる技術』著者がその技を尽くす野心作。”
とある。

 

目次
零 立ち読みは日本だけ?!―「出版七つの大罪」の筆頭
一 江戸時代の読書―立ち読み前史
二 立ち読みが成立する条件
三 大正七年、宮武外骨の証言
四 書店でない「雑誌屋」
五 「立ち読み」の意味を整理する
六 「立ち読み」という言葉はいつからあったのか
七 江戸の「立ち見」から「立ち読み」の発生まで―立ち読み通史1
八 書店が「開架」したいきさつ―立ち読み通史2
九 「雑誌の時代」とその終わり―立ち読み通史3
十 「立ち読み」に似て非なるもの

 

感想。
ははは。
面白い。


こう言っては何だが、「立ち読み」によくもこんなに「調べる」を応用したもんだ。どうでもいいじゃないか、、、立ち読みがいつから始まったかなんて、、、とおもいつつも、その調べる手法や解析もおもしろくって、ついつい、通読。


これは、「立ち読み」という一見どうでも良いようなことを、とことん調べたコメディって感じ。。。と、そんなつもりではなかっただろうから、小林さんごめんなさい。でも、そういう視点で、楽しく、さら~~っと読み。どうでもいいと言って、読まなくてもよかった。でも、なんか、よんじゃった。

まえがきから、ちょっと惹きこまれる。

 

”もし、あなたがいま、この本を書店の店頭で立ち読みをしているのなら、本書のもくろみのいくらかはすでに達成されたということになる。
『立ち読みの歴史』を立ち読みする人がいる、こんな愉快なことがあるだろうか?”
って。
(笑)

 

ごめんよ、私は、図書館で借りちゃったよ。
でも、本屋さんの棚にあったら、立ち読みしていたかもね。

と、つまりは、そういうことなのだ。
結論から言ってしまえば、開架図書としての本屋さんができたから、立ち読みが成立するようになったのだ。

 

江戸時代は、蔦屋重三郎のように、本はお客さんにその場で見せて買ってもらうものだった。今のような本屋さんは、活版印刷の本がなければ成立しない。普通の本屋さんも古本屋さんも。

 

今の若い人はわからないけれど、私世代、昭和世代で本屋さんで立ち読みをしたことのない人なんていないだろう。だって、読めたもんね。本屋さんで。
で、本書の中にあるように、あまりにも長いこと読んでいると、じろりとにらまれたり、はたきでぱたぱたされるっていうのは、サザエさんの世界かなぁ・・・。家の近くの本屋さんだと、長居はできなかった。それが、丸善有隣堂、といった大型本屋さんになったら、立ち読みし放題!!だって、そんな一人一人のことを見張ってららえない。まぁ、万引き防止に防犯カメラはついているけれどね。

 

立ち読み、私は大好きだ。
友人との待ち合わせにも、本屋さんを指定することがよくあった。今でこそみんな携帯電話ですぐに連絡が付くから、特定の場所を指定せずに待ち合わせすることがあるだろうけど、むかしは、駅の改札とか、本屋さんとか、レコード屋さん、、、あぁ、レコード屋さんっていうのも古いなぁ、、、でも、そうやって、待ち合わせしたもんだ。

 

本屋さんは、そうやって時間をつぶせる場所だったのだ。そういう本屋さんができたのは最近ってこと。時々、昔の絵や写真が挿入されているのだけれど、子供たちが店の前で座り込んで本を読んでいる姿とか、あぁ、、、あった、そういう時代、、、って感じ。

本屋に入って、自由に本を手に取る。それができた時代があった。今でこそ、漫画はほとんどビニール袋に入っていて、立ち読みできないようになっている。まぁ、むかしのエロ本のビニ本と、原理?!は一緒だ。エロ本っていう響きも、なつかしいな、、、今どき、あるんだろうか?今は、Webだろうね、、、動画もあるわけだし。

 

本買うために中身を吟味しているなら、立ち読みとはいわない。。。チラ見?でも、買う気もないのに、盗み読み?!することが立ち読みなのだとしたら、、、、軽犯罪か?と、そういうルールは聞いたことない。過去には、立ち読みを厳しく禁止しすぎたら、普通の客もこなくなってつぶれた本屋があったという話が出てくる。ほほう。さもありなん。

開かれた本屋さん、いい響きだ。

 

くだらな~い、とおもいながらさらっと読みしつつ、結構楽しんだ。
ほんと、さらっと読める。だって、どうでもいいっちゃどうでもいいことなんだもん。
もしも、「立ち読み禁止法」とかが成立しそうだったら真剣に読んでみる・・・。

 

けど、ちょっとだけ、クスッと笑ったことも含めて覚書。
・立ち読みの定義の分析
 ①売り物としての書籍/雑誌などを
 ②代価を払わない/払えないで読む
 「立ち読み」には、立ち・座りといった姿勢が言葉の表面にでているけれど、むしろコアな意味として表面にでていない「売り物」「代価不払い」といった要素が埋め込まれている。
 そして、1960年、神田の本屋で立ち読み(座り込み読み)している少年たちの写真が掲載されている。がっつり、地面にお尻をつけている子もいて、笑える。

 

・近年「Tsundoku(積読)」という日本語を英語として取り入れようという動きがある。
「立ち読み」も、日本固有の状況かで習俗となったが、おそらく東アジアには習俗として戦前、日本から伝播したように、欧米件にも伝播する余地はあるだろう。”


 
・本書における「立ち読み」の定義
 ”立ち読みとは短時間に享受できるコンテンツを持つ冊子ーーー主に雑誌、マンガ、絵本ーーを開架ら直接自由に選び取って、書店内か店頭で十分享受する行為、またその習慣。多くは立ったままだが、座っている場合もある。”

 

・明治初めには「立ち読み」という言い方はなかった。ヘボンの辞書(初版から第三版:1867~1886)にこの言葉が記載されていない。
 ”一方で、各種レファレンスツールを総ざらいしたところ、2023年の末にネット公開されたばかりの次世代デジタルライブラリーで、あの勝海舟(1823~1899)の談話に「立ち読み」という言葉を発見できた。”
老爺(勝海舟自身のこと)が立ち読みをしていた店の主人に、貧乏で本が買えないと思われて親切にしてもらった、、、て。

ちなみに、
「次世代デジタルライブラリー」は、国立国会図書館次世代システム開発研究室での研究を基に開発した機能を実装した実験的な検索サービス。

NDLラボ

 

・”これは思いつきだが、立ち読みをみんなでするという習俗が、国民レベルで黙読の訓練になったようにも思えてくる。”
黙読しているうちは許容されて、立ち読みしながら笑う、つまり声を出したらハタキで追い出されるという図式があったって。(笑)

 

岸田劉生:「きんちゃくのかんこうば」:隣家にあった勘工場の店棚の絵。通路の両側に、玩具、絵草紙、文房具、はてはタンス、鏡台、、、なんでもならんで売られていた。

 

そういえば、昭和の時代、うちの実家に一番近い本屋さんは、雑貨店だった。もちろん、タバコも売っていて、駄菓子、文房具、、、まさに雑貨屋さんだった。あそこは、立ち読みすると怒られた。なんか、店の中のにおいを思い出す。。。本と一緒に何でも売っているおみせの湿った香り・・・・。

 

・”・・・実はこの丸善の二階はパリのカルチェラタンにつながっていた、と考えるとよいと思う。どういうことかというと・・・・。
戦前洋行した日本人が、海外に立ち読みがないと度々述べていることを本書の最初に言ったのだが、その同じ洋行日本人が、パリのカルチェラタンにある書店では、外国なのに立ち読みができるというのだ・・・・。

カルチェ・ラタン:パリの地域の名前。セーヌ川の南側、第5区と第6区を中心に広がるエリアで、中世、ソルボンヌ大学をはじめとする学問の中心地で、授業がラテン語で行われていたため「ラタン語」の地区といういみで、カルチェ・ラタン。

高峰秀子さんの『わたしの渡世日記』の中でも、パリに留学中カルチェ・ラタンで日本人留学生と交流が語られていた。

megureca.hatenablog.com

 

ついでに、余談だが、現在SOMPO美術館で開催中(2025年9月20日~12月14日)のモーリス・ユトリロ展に先日行ってきたのだが、「カルチェラタン」の教会を描いたものも、素敵だった。

 

立ち読みって、文化だよな、って思う。

本好きの友達と本屋さんで待ち合わせすると、お互いにその場にいるのに本に夢中になって、互いに相手が見つけてくれるのを待っていたりして、、、、気がつけば予定の時間をとっくに過ぎていた、なんてこともよくあった。

 

本屋は、楽しい。

読書は、楽しい。