『服従』 by ミシェル・ウエルベック

服従
ミシェル・ウエルベック
大塚桃 訳
佐藤優 解説
河出書房新社
2015年9月20日 初版印刷
2015年9月30日 初版発行

 

先日、『逝きし世の面影』について語り合った会の中で、本書を紹介してくださった方がいた。『逝きし世の面影』は、明治維新から文明開化の流れの中で失われてしまった日本の文化がテーマになっていたけれど、本書はフランスが舞台の話。フィクションであるけれど、実際に政権交代が起きた時にはこういう世界もありえるのかもしれないという、底知れぬ、、、未知への恐怖感がわいてくる・・・。

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著者のミシェル・ウエルベックは、1957年生まれ。1998年素粒子ちくま文庫)がベストセラーとなり、世界各国で翻訳・映画化される。現代社会における自由の幻想への痛烈な批判と、欲望と現実の間で引き裂かれる人間の矛盾を真正面から描き続ける現代ヨーロッパを代表する作家

 

Amazonの本の紹介を引用すると、
”2022年フランスにイスラーム政権誕生。
シャルリー・エブドのテロ当日に発売された、
世界を揺るがす衝撃のベストセラー、日本上陸。


読み終わって、呆然としながら、自分にこう言い聞かせなければならなかった。

「これは小説であって現実ではないんだ」と。

「こんなことは起こらない‥‥たぶん‥いや、もしかしたら」

──高橋源一郎(作家)



シニカルな状況認識、政治的な無力感、そして人間の滑稽さに対する冷め切った視線。

ウエルベックはヨーロッパの未来も若者の力もなにも信じていない。

けれど、その残酷さこそが文学の力なのだ。

 日本にはこんな作家はいない。
読むべし! 

──東 浩紀(批評家)



「彼も新政府内閣総理大臣なんじゃないか?」

ウエルベックは僕が今、そう感じちゃう唯一の生きる作家だ。

愉快な転覆を。

──坂口恭平(新政府内閣総理大臣)

 


「とんでもない」はずの物語に、打ちのめされるほど身につまされて……
ぜんぜん笑えなくて困った。

いままでのウエルベック作品で絶望していた自分の甘さに、さらに絶望。

文明の真の終焉を知らしめるのは、普通の小説でなく文学作品であることに、それでもわずかに希望を持ってしまうのは、単なる悪あがきに過ぎないのだろうか。

──中原昌也(作家・ミュージシャン)


官学という宮廷に仕える道化師は、露悪的にひれ伏しつつ、顔を背けて窮状をアピールする。


果たして、我々に咎め立てができるだろうか?
 

ウエルベックは、 “宗教"を越えた先、闘うべき対象の影を朧げに炙り出した。


──上田岳弘(作家)

 


近未来のフランスが舞台のはずが、読み終えると現代日本の話に思えてくる。


いま、首相も国会も民主主義も信用できない人、必読。


 ──市川真人(批評家)

 
”

 

と、翻訳発売当時、かなり話題になっていたようすがわかる。しかし、私は、知らなかった。。。フランスの歴史も政治も詳しくないし、、、とヨーロッパにおける、イスラムの存在もよくわからないし・・・。でも、とにかく、読んでみた。

 

感想。
なんだこれは・・・・!!
まじか?!?!って、、、、ほんと、、、、。
フィクションだけれど、ぞぞぞ・・・・って、嫌な鳥肌が立つ感じ・・・。

 

正直、読んでもよくわからないこともあった。人物、文化、あらゆることの背景理解が私には足りない。それでも、、、、読んだ後のこの後味の悪さは、強烈。

フランスという国が、イスラーム政権の誕生によって、革命的に、、、ではなく、徐々に、ずるずると、、、気が付けば、イスラムへの服従を誓う国になっていく・・・。右派と左派であれば、議論抗争もあったやもしれないが、気が付けば、、、さしたる討議もなく、イスラーム政権の思惑通りに社会が変化していく・・・。フィクションだけれど、ありえそうな話。

 

以下ちょっと、ネタバレあり。

 

小説の前半は、主人公の大学教授フランソワが、アカデミアへも鬱々としつつも、若い女学生とのエロスにはしってみたり、44歳という年齢に自分の性的限界を感じて退廃してみたり。同時にフランスにおける大統領選の行き先はどうなるのか?ときにしたりする。思想抗争による銃撃戦が街でおきていても、フランソワは我関せずの立場をとろうとする。

なんだか、フランス男の女へのだらしがなさでもかきたいのか、、、という感じで、たらたらとしたフランソワに、なんだかなぁ、、、、と思いながら読み進む。
なんか、面白くないから、読むのをやめようかな、、、とおもいつつも、ページをめくり続け、だんだんとハマっていった。

 

登場人物は、フランソワと関係をもった女性たち。学校の同僚たち。あるいは、同僚のおばちゃんとその夫の政治スパイ。そして、イスラム政権が発足したことによって、仕事を失うフランソワとその同僚。一方で、大した成果もないけれど、世渡り上手な大学同僚スティーブは、イスラーム政権色にそまった大学で、これまでの3倍の報酬を手にしたと聞く。

 

フランソワは、もともと「ジョリス=カルル・ユイスマン」の研究者として成果をあげ、大学教授にまでなっている。ジョリス=カルル・ユイスマンは、フランスの19世紀末の作家で、イギリスのオスカー・ワイルドとともに、代表的なデカダン派作家とされるひと。そのユイスマンの研究者が、最後にはイスラムへ改宗・・・という衝撃のラストなのだ。

 

ストーリー中盤以降、イスラーム政権が成立してからの、なし崩し的社会の変化が怖ろしい。フランソワの彼女だった22歳のミリアムは、家族と一緒にイスラエルへと移住(つまり、44歳のオジサンの彼女はまだ自立していない学生だったということ!)。ミリアム一家はユダヤ人だったということだろう。イスラムユダヤとの根深い対立は、いうまでもない・・・・。けれど、私は物事の本質までは理解できていないけど・・。

 

フランソワは、大学の職は失ったものの、十分な年金が支給されるので、生活に困ることはない。でも、自殺願望があるというほどではないけれど、44歳で年金生活、、、人生を見直したくなっても不思議はない。フランソワは、ユイスマンがかつて暮らしていた修道院へ行ってみる。でも、修道院での生活も、彼にとってはなんの慰めにもならなかった。そして、パリに戻る。

 

パリで、「ユイスマンの研究」について、更に本を出さないかと、ある人物から誘われ、フランソワは、再び研究に取り組む決意をする。また、その過程で、大学に戻ってこないかという誘いを、パレスチナで知られる新学長・ロベール・ルディジュからうける。

ディジュは、魅力的な男で、フランソワは彼との交流のなかで、徐々にイスラームに対する抵抗を感じなくなっていく。社交の場は、すっかりイスラームの社会になっていく。フランソワがふとパーティー会場で感じた違和感は、「そこに女性の姿はない」ということだった。街中からミニスカートも消えた。

そして、かつての新体制となった大学で教授となった面々は、10代、20代の妻をあてがわれて幸せそうにしてる・・・・。
もちろん、2,3人の妻を持つことも可能となって・・・。

 

最後は、とうとう、フランソワも大学でのポジションを得るとともに、ルディジュに誘われるままにイスラムに改宗・・・。構内の女子学生はみなヴェールをかぶっている。そのなかのかわいい子がいつか僕と床を共にしてくれるんだろう、、、、と願うフランソワ。そんな社会への服従に、
”ぼくはなにも後悔しないだろう。”と。

THE END.

 

ぞわぞわ~~~~~って。

 

全体に、フランス文学らしい、装飾というのか、やたらエロい表現も多い。なぜ、この文脈に、この場面が必要なのか?!とおもうけれど、一般的フランス男を表現しようとすると、酒と女なしには語れないということなのか?!


大学が舞台のひとつになっているので、若さに対するあこがれと諦めのような表現もめにつく。フランソワは、そもそも、「若者が好きではない」といいつつ、大学教授をしているのだ。そして、朝早いメトロに乗るのも嫌いでないのは、「勤勉なフランス」に自分が属しているというはかない幻想を抱くことができるから、と。デカダンス

 

ストーリーのところどころに、知らない間にフランス社会がイスラーム政権に乗っ取られていく表現が現れる。スッと読み飛ばしてしまえばどうっていうことのない文章だけれど、10年、20年とかけてじわじわと変化して社会の現実に、はっとさせられる。

だいたい、軍隊だって、15年もすれば全体がいれかわってしまう。若造とおもっていても、あっというまに支配階層になる。1000年、2000年の歴史を思えば、15年なんて、あっというま、、、ともいえる、と。


本書の中で、大統領選に勝利したイスラーム政権大統領、ベン・アッベスは、革命的なやり方で社会をかえたのではなく、じわじわと変化させることで人々に「安心」をあたえつつ、家庭第一をスローガンに、国の社会的支出を85%も削減させた。そうして、気が付けば、イスラーム社会に属していなければ、生きていけない社会を作り上げていく。目指していたのは、イスラムによるローマ帝国の再建。カトリック教徒は敵ではなく、「物質主義」こそが敵。ただ、ユダヤ教についてはちょっと違うのだ、、と。

このあたり、イスラムカトリックユダヤ、、、やはり、このあたりの複雑さは私には理解しきれない。それでも、緩やかな変化によって社会への影響力をじわじわと増していくあたり、不気味だ。

 

強烈な一文がある。
ジャーナリストたちは自分が理解しない情報は無視するという先天的傾向をもっている。”と。だから、違和感を感じたとしても、報道されず放置される。そして、気が付いたときには後戻りできなくなって、、、、。

理解しない情報や、「理解したくない」情報も、その傾向がある気がする。

また、
”社会での労働が賃金労働に移行したことが家族の崩壊と社会での個人の孤立をまねき、その再構築には、生産が職人や個人事業に回帰することが不可欠になる。”

だから、「家庭第一」だけでよいのだという思想。これもまた、怖い。

たしかに、賃金労働と個人の孤立は関係があると思う。だからといって、、、企業や社会組織を破壊し、「家庭第一」に戻ればいいのかというと、そうではないだろう・・・、と私は思う。

賃金労働が社会をかえたというのは共感するけれど。たしかに、そうして、成果主義能力主義、、、が暴走した。

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今、わたしはサラリーマンではなく本書をよんでいるけれど、サラリーマンだったら、もっとじわっといやぁな感じを受けた気がする。会社という組織だって、ある意味宗教がかっている。政治的でもある。どこかに属しているという安心感と引き換えに、会社の価値観に服従しているということに、、、属している間は気づきにくい。。。。

 

疑問をもたずに「服従」することの安心感は、麻薬のようなものの気がする。

 

実に、怖い一冊。

でも、フィクションだから、とおもって読めば、恐ろしくもあり、楽しくもある。いや、やっぱり、本書に「楽しい」という言葉は似合わない。女性からあらゆる自由が奪われていくのは、目に見えているからわかりやすい。2,3人も妻をあてがわれて気が付けば服従している男性のほうが、もっと悲劇かもしれない。

 

こういう本を読んだ時、感想や意見を自由に言い合える環境が無いという社会も、また恐ろしい。

 

いろいろ、深い一冊。

どよ~~んとした気分になるのを厭わなければ、一度は読んでみる価値がある本かも。

 

ちなみに、時々出てくる料理名やワイン、ビールの名前は、楽しい。フランソワは、一晩でイルレギーを二本も空けていた。イルレギー(Irouleguy)は、スペインに近い国境付近のワイン産地。かつて800年間もイスラム教に征服されていたスペイン。そこに近いワインを飲み干す、、、というのも、何かの比喩なのかもしれない。そして、飲むビールは、ベルギービール。それも、意味深。

 

うん、やっぱり、読書は楽しい。