『マンガ日本の歴史 1 秦・漢帝国と稲作を始める倭人』 by 石ノ森章太郎

マンガ日本の歴史 1
秦・漢帝国と稲作を始める倭人
石ノ森章太郎
中央公論社
1989年10月25日 初版印刷
1989年11月8日 初版発行

 

2023年に全国通訳案内士(英語)の資格試験の受験勉強で、日本史の勉強を何十年ぶりかにやり直した。おかげさまで、試験には合格したのだけれど、私の日本史の理解はまだまだ表面的なものでしかない。小説に限らず、色々な本を読んでいると、なんにしても歴史の理解というのは、その物語を深読みするのに必須な教養であることをつくづく感じる。ちょうど、有志の日本リベラルアーツに関する勉強会で、今年度から事務局を頼まれたこともあり、もう一度日本史を自分なりに振り返ってみたいと思った。

とはいえ、教科書はたくさん持っているけれど、、、、もっと楽しく!ということで、気にはなっていたけれど読んでいなかった石ノ森章太郎さんのマンガ日本の歴史に手をだしてみた。あまりにもシリーズ数が多いので、図書館でかりながら、ぼちぼちと、、、、。

ということで、1冊目は、秦・漢王朝の時代。日本は、縄文から弥生にかけて。

 

目次
序章 後漢王朝へ、倭の奴国(わのなこく)より・・・
第一章 稲作文化、海を渡って日本列島へ
第二章 自然を征服する人々の歓びと怖れ
第三章 百余国の王と民衆

 

ポイントを覚書。

 

福岡市博物館にある国宝「金印」の由来の話が、序章。AD57年に、倭の奴国が、朝鮮楽浪府の仲介で、後漢帝国の光武帝朝貢にいき、東の遠い国からよくぞきた、ということで、金印を授かる。

megureca.hatenablog.com

 

第一章~第三章は、倭の奴国がクニを代表して後漢へ行くようになるまでの歴史を振り返っている。

 

BC300年頃、縄文文化は、人口増加や自然(植物・動物)の乱獲で、すでに危機的状態になっていた。食べ物を求めてさまよっていた縄文人が、渡来人が稲作をしているムラをみつけたことで、縄文人と渡来人との交流が始まった。

 

渡来人は、米作りのみならず、青銅器・鉄器・素焼無文土器(弥生土器)・勾玉・磨製石器の技術と文化をもたらした。

 

米作りが始まると、米の出来具合の良し悪しは、「神」の力によるものと考えられるようになり、神様に豊作をおねがいする「神祭り」が行われるようになる。それは同時に、巫女を生み、男女の性的な交わりの祭りでもあった。

 

そして、ムラができる。近親者間の結婚を避けるために、ムラを越えての男女の祭りも行われた。そして、そこから男女のとりあい、、米の取り合い、、、ムラ同士の争いが増えていく。ムラにはそれぞれ神様がいるので、ムラとムラとの戦いは、神様と神様の戦いでもあった。

 

戦いで疲弊していくと、ムラムラを統一する動きがでてくる。そして、「王」が登場。

こうして、米作りがおこり、ムラ同士の争いが起こり、それは同時に自然破壊の始まりでもあった。。。


倭の奴国が、光武帝に会いに行ったとき、「徐福はどうしておる?」と聞かれた場面が描かれている。仲介した楽浪府の太守は、「不老不死の仙薬を求めて東方へ船出され、そのままかの地にとどまったと伝えられている、、、今頃300歳くらい・・」と。

徐福?どこかで聞いたことあるぞ??っておもったら、熊野へ旅したとき、さんま寿司をたべた「徐福寿司」においてあった、「徐福さん」と同一人物のことらしい。新宮には、徐福公園もあって、

”約2200年前に霊薬を求め渡来した徐福
秦の始皇帝の命により不老不死の霊薬を求めて渡来した徐福。現在、公園内には徐福の墓があり、平成6年(1994)8月に墓所を中心に中国風の楼門を設置するなどの整備を行いました。園内には徐福の墓のほか顕彰碑、徐福の重臣たち7人を祀った七塚の碑などがあります。”
との、説明。

そうか、、、歴史の勉強は、旅の楽しみの深堀にもつながる。

megureca.hatenablog.com

 

本書の最後の方には、参考文献に加えて、いくつかの解説も掲載されている。
*肩書は、本書掲載のもの。

 

時代概説:義江彰夫(東京大学助教授)
 民衆と神祭りの関係について。弥生人が生んだ収穫祭=神楽(かぐら)が、日本の祭りの始まり。日本の歴史は、つねに国際環境の大きな視野のなかに置いて考えていくことが必要。

 

服装の歴史:高田倭男(高田装束研究所所長)
 日本人の生活や文化は、海に囲まれた島国で、温暖で湿潤な気候に強い影響をうけている。
 南方系は、涼しくなるための工夫でワンピース型が多い。北方系は、熱を逃さないように手足の先端まで覆うような、ツーピース型が多い。
 装うという行為は、自分自身の為もあるが、多くは人に対しておこなわれる。

 

家具とインテリアの歴史:小泉和子(生活史研究所代表)
 日本の住まいは、家具がない。椅子より床座を選んできた。日本の家具は、必要な時に使用できるように工夫された、スタッキング家具。蒲団、卓袱台、などなど。そのような工夫は、西洋では近代にできたものだが、日本では古代からあたりまえだった。
 今では椅子が一般になっているが、日本文化の中にはいまでも床座が深く根付いているものがある。茶道、華道、、、三味線も。

 

建築の歴史:藤井恵介(東京大学工学部助手)
  建築復元の方法について。絵図や図面から調べたり、遺跡を調査して調べる。また、様式・技術などから推察する。建築がどのようにつかわれたのか、どのような技術がつかわれたのかなども、研究対象。 

 

私の中の記憶の断片が、ちょっとずつつながる感じ。

 Connecting the dots

それこそ、読書の楽しみであり、人生の楽しみ。

 

読書は楽しい。