『オッペンハイマー 原爆の父はなぜ水爆に反対したか』 by 中沢志保

オッペンハイマー 原爆の父はなぜ水爆に反対したか
中沢志保
中公新書
1995年8月25日 発行

 

映画『オッペンハイマーを観たあとに、オッペンハイマーのことを何も知らないなぁ、とおもって、図書館で「オッペンハイマー」で検索したところ出てきた本。1995年と少し古いけれど、まぁ、参考にはなるだろう、、、と。

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著者の中沢さんは、1955年長野県生まれ。国際関係学・国際政治史を専門とする方らしい。アメリカの核政策、『フランク報告』などについて論文を書かれている。

本文の中にも、「フランク報告」が出てくるのだが、恥ずかしながら、私には何のことだかわからなかった。それは、「原爆の日本への無警告投下に反対する」提案書で、当時シカゴにいたマンハッタン計画参加の科学者7人が1945年6月、「フランク報告」(The Franck Report)として原子エネルギー、特に原子爆弾の社会的、政治的影響を検討して大統領の諮問委員会に提出したもの。しかし、その提案は無視された。そして、原爆は、広島に、長崎に、落とされた・・・・。

 

と、フランク報告を含め、オッペンハイマーについての本というよりは、アメリカが、原爆、水爆の開発やそれをどう使うかについて、どのような歴史の流れになっていたのかというお話。

 

表紙の裏には、
”原爆の出現は歴史を核以前、核以後に二分する出来事であったが、 この2つの時代の間で運命を引き裂かれたオッペンハイマーは、 現代の科学者の象徴といえる。 原爆の完成によってヒーロー となり同僚の拍手に両手を挙げて応じた男が、 数ヶ月後には「私の手は血で汚れている」と震えた。科学者が抱くこの最大級の矛盾を核の国際管理を構想することで解決しようと試みた彼は、 水爆開発に反対し、 赤狩りの渦中で公職から追放された。”とある。

 

目次
序章 「危険」と「希望」
第一章  オッペンハイマーはスパイだった?
第二章  理論物理学者「オッピ―」の誕生
第三章 マンハッタン計画への参加
第四章 原爆の完成と対日投下
第五章 原子力の開発と管理
第六章 水爆開発をめぐる対立
第七章 オッペンハイマー事件
終章 科学と政治の接点を生きた科学者

 

感想。
そうか、、、。映画を観る前に、この本を読んでいたら、もっと映画のストーリーがわかって、深く鑑賞することができたかもしれない。。。やっぱり、事前に予習しておくっていうのも、必要かも・・・。もしも、これから映画を観る人がいたら、事前に一読の価値あり、と思う。事後でも、十分勉強になったけど。

 

オッペンハイマーが他の科学者と違っていたのは、科学者であり、かつ、政治に意見できる立場であった、ということ。本書を読むと、他の科学者との違いがよくわかる。前述の『フランク報告』を提出したフランク教授らは、科学者として自分たちの良心の表明として、原爆の使用を反対した。しかし、そこに政治的影響力はゼロといってよかった。軍には完全に拒絶された。でも、オッペンハイマーは、原爆をどう使用するかについても、政治に口を挟める立場にいた。そこが大きく違う。。。だから、戦後に水爆開発を反対したとしても、核の国際管理を訴えたとしても、やはり、「日本に原爆をおとした人間」として、日本人には見えてしまう。

 

しかし、もちろん、オッペンハイマーが決定をくだしたわけでもない。アメリカの原爆開発にかける執念はすごかった。ナチスよりさきに、、、、それは世界中の潮流でもあった。アメリカは、3つの核爆弾を作るために、20億ドル、30か所の関連施設、12万人の科学者を動員した。。。。現代でも、ちょっと考えられないほどの人数ではないだろうか。12万人の科学者、、、。それが、十数年の間でのこと、、。でも、中には、自分の開発している技術が、現実の世界でどう使われるかを理解していない科学者もいただろう、、、。

科学者だけではない。多くの企業も原爆開発に参加している。本書の中で出てきて、日本でもよく知られた会社としては、デュポン、モンサント、ジェネラルエレクトロニクス、、、、。ウランの分離、装置の開発、、、、戦争は、核兵器は、、、誰かひとりの責任ではない。。。。

 

映画にも出てきたレスリー・グローブス将軍(マットデイモン演)は、マンハッタン計画を進めるにあたり、ロスアラモス研究所をつくった。砂漠の何もない所だ。それより前は、各研究者の区画化を徹底した。研究者同士の交流を嫌ったのだ。秘密保持のため、、、。しかし、研究者にとっては、他の研究者との対話程重要なものはない。次第に、研究者のモチベーションは落ち、進捗は鈍る。だから、隔離された場所に、ロスアラモス研究所を作ったのだ。

そうか、、、そういうことだったのか、、、、と、映画を振り返ると、納得、という点がいくつもあった。

 

そして、アメリカの作った3つの核爆弾のうち、一つは、1945年7月16日「トリニティ」実験として成功。残る二つは、既に降伏済みのドイツではなく、日本に落とされた。。。。当時のアイゼンハワー将軍は、既に混迷している日本に原爆は不要と言っていたにもかかわらず。。。トールマン大統領は、原爆を日本におとした。


1945年、ルーズベルト大統領が急死していなければ、トールマン大統領になっていなければ、、、歴史はかわっていたかもしれない。。。たら、れば、がないのが歴史だけれど、、。

 

オッペンハイマーはじめ、科学者たちは、核兵器は安全保障にならない」と言い続けた。なぜならば、他国(当時ならソ連など)の開発も、いずれアメリカに追いつくだろうし、ミサイルと違って、核兵器はそれを撃退する手段はゼロであるから。しかし、アメリカの核開発は止まらなかった。そして、戦後は、各国の核開発を止めることなどできなかった。。。

そういう、歴史の流れ、そして現在に至る核の脅威。それを学ぶのに、適した新書だと思う。今でも、「なぜ原爆使用が必要だったのか?」「なぜ、使用ありきを疑わなかったのか?」の問題は、アメリカ国内でも答えが出ていない。それは、原爆に限らず、、、なぜ、戦争ありきなのか?!?!?

この、愚かしい人間、、、、と、しか言いようがない。

 

特に、心に残ったところを覚書。

オッペンハイマーが1966年にブリンストン大学から受けた名誉学位の学位記
物理学者にして、船乗りであり、哲学者、馬術家であり、言語学者、料理人であり、良いワインと、詩の愛好家である。」とあったそうだ。
母親は絵画をたしなみ、自宅には、ゴッホ三枚、ピカソ一枚、ルノアール一枚が、さりげなく掛けられていたのだと。

 映画の中では、ドイツに渡ったオッペンハイマーが、ドイツ語で流暢に初講義をすることに、アメリカ人が物理の何をとバカにしていた聴衆を驚かせるシーンがある。オッペンハイマーは、マルチリンガルだったらしい。ダンテを読むためにイタリア語を学び、東洋の哲学書を読むために、サンスクリット語まで学んだという。ハイスクール時代は、ギリシア語をマスターして、ホメロスプラトンをよんでいた。すごすぎる。。。やっぱり、言語脳が発達している人は、あらゆる思考脳が発達するのだろうか。

 

原子爆弾は、ウラン(235同位体のように重い原子核が分裂し、放出された複数の中性子が他の原子核にあたって、新たな核分裂をねずみ算式に引き起こす各連鎖反応の際に生み出されるエネルギーを利用する。他にプルトニウムが使われる。

 

オッペンハイマーは、教授という仕事をしながら人にものを教えるというスキルを向上させ、研究所長として働きながら組織を運営するスキルを身に着けた。周囲の人が彼の目覚ましい成長を語っている。彼の成長の過程を読んでいると、いかに、まっすぐ正直なひとだったか、と思う。偏屈な科学者ではなく、人からの指摘を受け入れ、素直に自分を修正できる人だったのではないかと思う。

 

・スチムソンの覚書提案で、「原爆の使用問題を検討する暫定委員会」が1945年5月4日に発足。オッペンハイマー、ローレンス(映画にでてきた実験物理学者)、アーサー・コンプトン、フェルミは、その科学顧問を任命された。だが、そこでも、「原爆を使うべきではない」という見解はだされなかった。疑問視は、あったけれど、、、、

 

シラードハンガリーからアメリカに亡命していた科学者)は、度々「アメリカが核を独占することは不可能であり、核兵器が世界に拡散した場合、アメリカは都市集中型の国土をもつたゆえに、核兵器の機種攻撃に脆弱である。核兵器は安全保障に利する手段になりえない」と、たびたび訴えていた。しかし、ハンガリーからの亡命者の声は、政治にはまったく響かなかった。

 

オッペンハイマーの言葉。
「科学者は、対日戦の戦況については何も知らなかった。原爆以外の方法で日本を降伏させる可能性があることに関しても、無知であった」
知らなかったからと言って、許されるのか、、、、。

WEIRDを思い出す。知らなかったからと言って、許されない、、、許されると考えるのが、欧米のWEIRDな人たち、、、。

原爆をなぜ使ったのか、なぜ防げなかったのか問題を理解するのは、WEIRDな人々への理解も必要かもしれない。

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オッペンハイマーのロスアラモス研究所長辞任の挨拶で語った言葉から。
「核時代への新しい対応に関して、「まず第一に 国際法の体系を変えなければならない」という人がいるが、 私はそうは思わない 。「いや、 必要なのは友好的な感情だけだ」という意見にも賛成しかねる。 私は、 第一に核兵器は人類全てに関わる「危険」なのだという共通の認識が必要だと考える。ちょうど ナチズムが連合国全体にとっての「問題」とみなされたように、核兵器も人類全体の「問題」なのである

ごもっとも。。。。

 

オッペンハイマーは、水爆を「皆殺し(genocide)兵器であり、その使用者はいかなる正当化も許されない」として、反対した。意図的に、ヒトラーユダヤ人虐殺を連想させるgenocideという言葉をつかった。

 

オッペンハイマーの言葉。
二匹のさそり」。供に核開発地獄におちいっていく、アメリカとソ連を揶揄して、瓶の中の二匹のさそり、といった。この二匹のさそり状態を回避するために、全ての手段と知恵を用いよ!と呼びかけた。。。が、及ばず。。。

 

オッペンハイマーの言葉。
科学者は罪を知った
科学者も政治的責任から逃れられない、ということ。知らなかった、では許されない。

 

アメリカの関係機関、物理学者、政治家、たくさんの固有名詞がでてくるので、覚えきれないけれど、その時の政治的動きの流れは見えてくる。結構、勉強になる本だった。

 

そして、最後は、アメリカの「政治的パラノイア」の時代に、公職追放となってしまうオッペンハイマー。映画では、その過程を描くことで彼のまっすぐな性質を描き出している。

 

もっと、彼のことしりたいな、って思った。

 

うん、読書は、楽しい。