バイオフィリア Biophilia 自然愛

バイオフィリア。

初めて聞いたけどちゃんと英和辞書には載っていた。

Biophilia:  生物自己保存能、生命愛 

 

バイオフィリアが満たされると幸福を感じられるということ。

 

昨日、オキシトシンについて「諸刃の剣」という言葉で表現されていた本、

「GO WILD」 by ジョン J レイティ (NHK出版 2014年12月20日)の本の中で出てきた。

 

レイティは、「脳を鍛えるには運動しかない」(NHK出版)の著者である。運動によって脳内の血流が促されることでしか、脳は鍛えられない、という趣旨の本。私が、運動することを人生の優先事項にするようになったのも、この本を読んだから。「GO WILD」も、いかに健康に生きるかという話なのだが、「バイオフィリア」という言葉は初めて聞いた気がする。

 

私達の最良の部分は自然の中にある、という話の中で使われた言葉

 

「バイオフィリア」、この言葉を最初に用いたのは、ドイツの社会学者哲学者及び社会心理学者だったエーリッヒフロム。フロムは1964年の著書「悪について」においてバイオフィリアを多用している。「バイオフィリア」は、人間が生得的に備えている他の生物への愛情であり、すなわち人間の本質の一部、という事を生物学者E・O・ウィリアムは言っている。

 

 人間であれ他のどの生物であれ、生物種としての成功は、環境への適応の度合いによって決まる。どれだけ、自分の遺伝子を残せるか。特に人間の場合、大きな脳で自然界についての知識を駆使することが、その適応を助けた。「バイオフィリア」は、運動・ランニング・タンパク質・脂肪・睡眠などと同じく、私達に満足や幸せをもたらすと考えられる 。

 

確かに、都会の日常生活が続くと、自然のあるところへ行きたくなるし、公園のベンチでボーっとすることでさえ、癒される。あるいは、ベランダで小さなプランターで家庭菜園してみたり。それは、自然への愛が満たされていることなんだ。都会にいると、自然欠乏症になるから、メンタルヘルスがやられてしまうのかも?とか思った。

 

日本では、自然欠乏障害に関する革新的な考えがいくつも生まれているらしい。 

「森林浴」という言葉は、今や日本人ならだれでも耳にしたことがあると思うが、「森林浴」に対する英語はないらしい。そして、「森林浴」に関する研究は、日本がすすんでいるとのこと。なんせ、国土の67%が森林(国土交通省サイト)。

 

自然とのふれあいが、心身の健康に恩恵をもたらし、それはコルチゾール値・心拍数・血圧といったストレスを計測する客観的指標によって効果が確認されている。

 

ただ、ジムにいって室内で運動するより、外で体を動かした方が、気持ちはすっきりするし、パワーが沸く気がする。単に、私が田舎育ちだからなのかとおもったら、人間としての動物的本能だったらしい。

 

著書の中で、「自然は気まぐれで残酷なので、ジムにいた方がいいと思われるかもしれない。しかしその気まぐれさこそが野生的な生活から得られる恩恵の一部なのだ」と記されている。(この本は、野生的な生活が、健康を取り戻す、という趣旨の本)

 

思い通りにいかないところも、自然のいいところ。雨が降ったり、風が吹いたり。それに応じて、着るものを考えてみたり、予定を変更して引き返してみたり、そんな瞬時の対応を考えることでワーキングメモリーを使う事も、心の満足につながるのもかもしれないと思った。

 

自然の前に、人間は無力である。

自然は、人間には無関心である。

だからこそ、人は自然とのつながりを求めるのかもしれない。

片思いのほうが、心がうごかされるみたいなものかな。

 

思い通りにならないからこそ、人生、充実できる。

全部、思い通りになったら、つまんないよ。

なんてね。

 

今日は、雨のにおいに自然を感じて癒されよう。