「素読」(そどく)
広辞苑によると
文章の意味・内容はさておいて、まず文字だけを音読すること。漢文学習の初歩とされた。そよみ。すよみ。
「ぶれない軸を作る東洋思想の力」 田口佳史、枝廣淳子著
光文社新書 2018年12月20日 初版第1刷発行
を読んで思ったことの覚書。
江戸時代は三歳くらいから素読で「百字百回」をした。
何を読むかというと、儒教の経典で重要な九種の書物、四書五経。
これらを、意味は分からなくてもいいから百字ずつ百回読むのだそうだ。
とにかく、テキストを頭から覚えろ、ということ。
百字がどれくらいかというと、一般の新書の一行が40文字くらい。一日3行。
それくらいだったら、毎日覚えられそうな気がする。
しかし、意味が分からないことを覚えるというのはまた難しい。素読をしながら、百回も読んでいるうちに意味をかんがえたりするのではないだろうか。
また、現代の生活においては、気を付けていないと、いらない情報が目から耳から、どんどん入ってきてしまう。
素読は、情報が限られた時代だったからこそ、よかったのかもしれない。
でも、もちろん、今の時代でも。
意識して、余計な情報はいれない、という工夫が必要な気はするけど。
素読をやって、意味はともかく音として頭に入っているところで寺子屋に行って話を聞く。教科書がなくても、頭に入っているから、なんとなくわかる。
素読でわからなかった意味が、先生の説明で意味が分かる。
それは、楽しかっただろう、、、と思う。
意味など分からなくても、少し身近なものになっておく。
そして、ある時、点と点がつながる。
それは、現代においての私の読書の楽しみ方の一つである。
Megureca!(Megのエウレカ!) の瞬間。
よく、予習、復習の重要性を言われるけれど、
大人になってからの学習は、予習というよりは、自分が何に興味を持っているのかを自分で理解しておくことが重要のように思う。
内容の理解ではなく、これから何を学ぼうとしているかの理解。
素読ではないけど、フォトリーディングは大人の学習で、予習のように有効のように思う。
そもそも、フォトリーディングは、
① 準備
② 予習
④ 復習
⑤ 活性化
からなり、②予習、というステップがある。
全体を見渡して、目次をみて、この本を読むべきかどうか決めるステップ。
この本から、何が得られそうなのかを把握するステップ。
私は、3年くらい前に2日で10万円というフォトリーディングの講習を受けた。すでにやり方は我流になっているし、5つのステップをちゃんとやっているわけではないけど。素読ではないけれど、ざっと中身を見渡す、というのは結構身についている気がする。
2日で10万円という、超高額講座。
詐欺かもしれない、と思いつつも、本当に本が速く読めるようになるなら、、、と思って受けた。
10万円の価値があったかというと、微妙。
受けたことは後悔していないけど、フォトリーディングに興味があって、知りたい!の気持ちを満足させてもらったという事で、一日1万円、2万円なら、大満足だったかも。
講座には、50人くらい?はいたと思うから、あれで講師は500万円稼いだのか、と思うとやっぱり、詐欺に近い気がしなくもない・・・。
フォトリーディング協会?のルールなのかもしれないけど。
最後に、ちゃんとポール・R/シーリィさんのサイン入りのcertificateをもらった。
と、話を元に戻そう。。。
大人の学習は、誰かに言われてやるのではなく、自分が好きでやること。
仕事で必要な資格だったとしても、好きで選んだ仕事だろう。
大人の学習こそ、素読に学んで、まずは、自分が知りたいことを自分に知らせてあげよう。
最初から理解できなくてもいい。
知りたいう気持ちが本物なら、必ず、身につく。
大人の学習は、自分を知るという事でもあるのかもしれない。
何を学ぶかも、自分で決めよう。
自分の頭で考える。
教養は幸運な時には飾りとなるが、不運の中にあっては命綱となる
by アリストテレス