「素読」という言葉に、また出あう。

図書館で予約していた本。

茂木健一郎さんと松岡正剛さんの「脳と日本人」。

2007年の本。

 

ぱらぱらと全体を見渡しているときに、また、見つけてしまった。

 

素読

 

ノーベル物理学賞を受賞されている、湯川秀樹さんについての話題。

 

物理学という非常に専門性の高い学問で、鋭く、俊敏な知性が必要な学問(茂木さんの表現)のノーベル賞受賞者。茂木さん曰く、その湯川さんが、

”幼少のころから漢文の素読をして育ち、漢籍について大変な素養をもっていましたね。もちろん、総合的な教養も身に着けていたわけです。つまり、ノーベル賞を受賞するような知のあり方の背後には、熱帯雨林のように豊穣で総合的な知性があったわけです。そういう知性がなかったら、エッジの立ったオリジナリティもありえなかったと思うのです。”

と言っている。

 

素読」から、身につく知性。

 

素読」でもいいから、とにかくたくさん読みたい、と思う。

 

今、私が猛烈に本を読みたいと思っているのは、総合的にものを考えられる大人たちにであったことがきっかけかもしれない。

出合ったのは、40代後半になってから。

 

50代の私から見ての大人の人たち。主には70代の方たちだけど、彼らと話をするといつも新しい発見や感動がある。そして、その方々は、もちろん私より人生経験豊富で、30年同じ会社にとどまっていた私からみると、本当に、大人なのだ。自分の頭で考えていらっしゃる。多分、ああいうのを総合的知性というのではないだろうか?

職業としても色々なことを経験されている方たち。

短パンのお尻ポケットにいつも文庫本を持っている方。

今も現役で本の編集校正をされている方。

今も現役で介護の現場で働いている方。

 

「もっと本を読みなさい」

そう言ってもらえたことの幸せ。

 

素読」でもいいから、意味がわからなくてもいいから、いっぱい読んでみよう。

 

素読とは、音読すること、と田口佳史さんはおっしゃっていた。

 

音読というのは、ボケ防止によい、と通訳の先生はおっしゃっていた。

 

英語でも、日本語でも、読んだ文字を声をだして読み上げることで、

インプット → 視覚の利用

アウトプット → 口を動かすという行動

インプット → 自分の声を自分の耳で聞く聴覚の利用

 

活舌のよさは、若々しさにもつながると。

 

自分で受けるときめた資格試験まで、あと10日。

意味が分からないと言っている場合ではないけど、日本語、英語、両方の教本を音読してみよう。

そして、録音して聞いてみると、自分の発話の悪さに啞然とするのだ。。。。

これも一つの計測。

測らなければ管理できない。。。

 

発話の練習と、受験勉強と、一石二鳥だ。

あと、10日、口を動かす!

論述は筆記試験だけど、、、。

まずは、頭に入れよう。

 

それにしても、どうして頭に残る言葉と、残らない言葉があるのだろう。

バカの壁って、おもしろい。

どうやら私のアンテナは、今は「素読」という言葉に立っている。