夏の坐禅会に参加してきた。
7月の全生庵、夕方から徐々に暗くなる時間。
春の坐禅会の時は、同じ時刻だと真っ暗だったのに、夏はまだ明るい。
そして、だんだんと暗くなっていく。
今回は、1回目の坐禅の時間は、お堂の照明を全部消して、外からの明かりがだんだんと弱くなっていくところを体感。始まる前に住職が、
「ご自身で、明かりをつけずにだんだんと外が暗くなっていくのを静かに感じることなんてないでしょうから、たまには、、、」
といって、お堂の明かりを消された。
もちろんエアコンなんてないので、窓を開けはなして、だんだんと暮れていく陽を感じながらの坐禅。じっとすわっていると、たまに通り抜ける風が気持ちい。
時計をみないので、正確な時間はわからないけれど、住職のお話も含めて終わってみたら1時間以上たっていたので、20分を2回だったと思う。2回目は、お堂の中央の明かりだけつけて。夏の警策は2回。バシッ、バシッと。。冬の4回より少ないのだけれど、今回のは痛かったなぁ。。。臨済宗なので、自らお願いして打ってもらうのだ。
蝉の声、風の音、外の明かり、車の音、どこかの工事の音。都会のど真ん中で、静かに1時間座っているって、どれだけ贅沢な時間なのか。。。
吹き抜ける風が気持ちいいと感じられる空間を、みんなで共有しているという喜び。ありがたきこと。
無になるために、呼吸を1~10まで吐く息で数えるとよいと教わる。10まで数えることを繰り返すのだ。でも、気が付くと、15,16,、、と、どこまでも数えていたりして。
蝉の声を聞きながら、奈良に行きたいなぁ、なんて考えが頭をよぎったり。
今回も、雑念だらけの坐禅でした・・・。
坐禅の後の住職のお話は、山岡鉄舟のこと。全生庵は山岡鉄舟ゆかりの寺で、山岡鉄舟が建立した。7月19日は鉄舟の命日で、全生庵では法要が営まれる。亡くなってから100年以上たっているというのに、今年も多くの人が訪れたとのこと。
山岡鉄舟は、幕末の幕臣であり、剣術家。江戸無血開城の立役者の一人でもある。
剣・禅・書の達人としても知られ、剣では一刀流に習い、後に無刀流、すなわち刀が無い流、、、を自ら興した。書では、とにかく多くの作品を残している。あんぱんの木村屋の看板も山岡鉄舟の書。今月、お堂の下の広間に飾ってあったのは、『達磨禅師』にまつわる書だった。鉄舟は、毎日100枚くらいは書いていたそうだ。当時は、墨汁なんてものはなく、弟子が朝から晩まで墨をすって、墨の準備が整うと鉄舟が次から次へと書いた。
禅については、最初から達人だったわけではない。子供のころは物覚えが悪く、「素読」でみんなが覚える「 四書五経」もなかなか覚えられず、自分は素読では覚えられないと悟って、すべて書きとったのだそうだ。写経のように。そして、生涯、写経をし続けた。書いても書いても終わらない。でも、一日一枚とおもって書き続ければ、いつかすべてのお経を書くことができるだろう、と。
剣・禅・書の達人として知られ、万能の人かのようにおもってしまうが、鉄舟は才能に恵まれていたわけではなく、ただただ、努力をし続けた人だったのだ、というお話。
やり続ける人が、歴史に残る。
才能があっても、辞めてしまえば、それまで。
やり続けることの大切さのお話。
まさに、先日読んだ、マシュー・サイド『非才』で言っていることを実践したひと。
継続は力なりって、やっぱり嘘じゃないと思う。
ただし、正しいやり方で。
今回の坐禅会は、コロナが終息してから初めての懇親会も開催。3年半ぶりだとの幹事さんの言葉。そうか、3年以上たったのか、、、、、。
こうして、全生庵に通うようになってもう何年になるのか。
これも、継続することで、いつかは「無」になれる日がくるのだろうか?
まだまだ、先は遠そうだけど、続けていこう。