「ドーダの近代史」 by 鹿島茂

「ドーダの近代史」
鹿島茂 著
2007年6月30日 第1刷発行
朝日新聞社
 
松岡正剛さんと佐藤優さんの「読む力」の中で通俗本だけど、面白いとして挙げられていた一冊。

megureca.hatenablog.com


松岡さん曰く、
”幕末の尊皇攘夷から征韓論を経て、西南の役にいたった「説明しにくい事態」の原因を、いままでにない視点から追求するというかなり面白い通俗本です。水戸学や西郷隆盛中江兆民頭山満らが、「ドーダ、まいったか」という風にいつのまにか自分を取り巻く状況や思考に自己満足する論理にはまり、しだいに超然として言ったのだと叙述されていく 。”と。
 
2007年の単行本だが、もともとは、「一冊の本」2003年11月号~2007年2月号に掲載された同タイトルの作品に加筆したものということ。
 
なかなか、面白かった。


近代史、幕末を中心にかかれたドーダ論なのだが、幕末って、私には、よくわからないのである。

でも、面白かった。


明治維新、確かに日本が大きく変化したとき。でも、その時日本は、単に欧米に追い付こうとしただけで、自分たちで描いた独自の日本の在り方はあったのだろうか?と、、、よくわからない。外にお手本を求めて成長するのは日本の得意なところだと思うけど、その思想の土台は、この時代にできたのではないか、、と思う。
ずっと、鎖国していたわけだから、まずは先進国に追いつこう!という事だったと思うけど、そこに「ドーダ」の思想で解説されると、お!なるほど!、という感じ。
面白かった。
 
「ドーダ」というのは、東海林さだおさんが「もっとコロッケな日本語を」で提唱している「ドーダ学」!らしい。
「もっとコロッケ・・・」は読んだことがないので、おいおい、読んでみようと思う。本書が面白かったから。
 
最初に、「ドーダ学」が説明されている。


”ドーダ学というのは、人間の会話や仕草、あるいは衣服や持ち物など、要するに人間の行うコミュニケーションのほとんどは、「ドーダ、おれ(わたし)はすごいだろう、ドーダ、マイッタカ」という自慢や自己愛の表現であるという観点に立ち、ここから社会のあらゆる事象を分析して行こうとする学問である。”
 
わかる!
「寝てないんだ」といって、ドーダ俺、忙しいんだぜ。
「鼻ピアス」で、ドーダ俺、勇気あるんだぜ。

「全身ユニクロ」で、ドーダ俺、ファッションより大事にしているものがあるんだぜ。
みたいなことが、例示されていた。
わかる!
 
こうして、ブログを書くのだって、
「ドーダ、私、色々考えているんだぜ!」みたいなもんだ。
自己愛の表現。
吉本隆明さんが、自己憐憫で文章を書くと言っていたけれど、それもある視点からすれば、「ドーダ!」だ。
 
この、ドーダ論で読み解くと、西郷隆盛の最後、なぜ負け戦と分かってて戦い、あのような最後を遂げたのか、、、も分かる気がするのだ。

ドーダは時代によって異なったあらわれかたをする。

強烈に出現するときは、ほとんど同時的、多発的に表れる。

幕末はそんな時代だったのだろう。
 
ドーダには、ストレートで直球の「陽ドーダ」と、ひねくれた変化球の「陰ドーダ」がある。
西郷さんが、江戸城無血開城に関わったときは、「陽ドーダ」。征韓論西南戦争に走ったときは、「陰ドーダ」。分かる気がする・・・・。
 
尊王攘夷の思想が生まれてきた水戸学発祥の地、水戸藩における光圀公、つまり水戸黄門のドーダは、「貧乏ドーダ」に由来する。「大日本史」を書いたのは、貧乏ドーダから、「知的見栄はりドーダ」への転換。
 
ほか、中江兆民、右翼の巨頭と言われる頭山満、色々な人のドーダによる歴史が解説される。
 
山本七平が、太平洋戦争と西南戦争の類似点(負け戦と分かっていたはずなのに始めた戦争)を指摘していることを引用し、西郷さんが嵌った「陰ドーダ」には、
[戦争の精神]×[戦争の物量]=1 
というなかで、[戦争の精神]が大きければ勝つんだ!ドーダ!があった、という。
 
精神の大きさで、ドーダ!、というのは、太平洋戦争だけでなく、失敗にありがちな、、、気がする。
会社の業績も、「根性で頑張れば上がる」とか、「努力すれば報われる」とか、、、、精神の大きさで、ドーダ!と言ったところで、精神というのは不確定要素でしかない。他の確定要素を向上する努力をせずに、精神の大きさでドーダ!、、、、というのは、やはり、、、そこにストラテジーはない。
 
 
近代史、としても面白いけれど、結局はそれぞれの人のエゴで歴史は作られてきた、と思うと、なるほどね、と思う。
小池百合子のドーダ。
安倍晋三のドーダ。
そういうものに、常に振り回されているのが都民であり、国民かもしれない。
ま、政治家は、「ドーダ!」の大量生産ができる人が、はまる仕事だろう。。。
 
でも、ドーダ教祖の東海林さんによると、ドーダ心が一番強いのは、自由業の人だという。漫画家、小説家、音楽家、タレント、歌手、、、、。
 
自己愛、大切だよね。
ドーダ!
でも、いいんじゃない?
 
でも、謙虚さも忘れずに行こう、、、。 

ドーダ学、もっと学んでみたくなった。

 

若者の「自分探し」、とかいうけど、

養老孟司さんは、「自分探しなんてやめちまえ」と言っている。

代わりに、自分の「ドーダ」探しは、ドーダ。

 

自分の中の正しい?「陽ドーダ」探してみたら?

「私なんて、、、」という「陰ドーダ」しか探せなかったら、そんな「陰ドーダ」を自慢しているドーダがあることを、「陽ドーダ」に変換してみよう。

 

なんでもかんでも、ポジティブシンキングがいいとは思わないけど、

適切な、ドーダ!の発信は、健全だと思う。

でも、謙虚さを忘れずに、、、。