『シリーズ日本近現代史① 幕末・維新』 by 井上勝生

シリーズ日本近現代史① 幕末・維新
井上勝生
岩波新書
2006年11月21日  第1刷発行
2021年10月5日 第24刷発行

 

知り合いがこのシリーズを使って勉強会をしていると言っていたので、ちょっと気になって図書館で借りて読んでみた。岩波新書だから、内容の信頼性は問題ないにしても、2006年の本ということで、少し情報として古いかもしれない。それでも幕末維新の勉強になる一冊。

 

表紙の裏側には、
”黒船来航から、明治維新へ。
激しく揺れ動いた幕末・維新とはどういう時代だったのか。東アジア世界に視点をすえ、開国から西南戦争までを最新の研究成果をとりいれて描く新しい通史。従来から「屈服」したと言われてきた幕末の外交を再評価し、それが成熟した伝統社会に基づくものであることを明らかにする。維新を書き直す意欲作。”
とある。

 

著者の井上さんは、1945年岐阜県生まれ。京都大学文学部卒業。専攻は、日本近代史。当時の肩書は、北海道大学名誉教授。幕末に関するいくつかの本があるようだ。読んでいて、高齢の方だな、、、という雰囲気があった。なんだろう。どうしてそう思ったのかは、上手く言い表せられないのだけれど・・・。

 

感想。
なるほど、様々な視点から描かれていてなかなか興味深い。幕末と言えば!と言うような中心人物があまり出てこない。勝海舟にあっては、江戸無血開城の際に、西郷隆盛と会談があったと言う事しか書かれていない。坂本龍馬も出てこない。当時の中心人物からの視点ではなく、当時の農民たちの実態とか、藩士たちがどのような考えだったかと言うことが書かれていて、攘夷から徐々に開国に変化していく様子が説明されている。

島崎藤村『夜明け前』の世界と近い感じがする。普通に生きている人々の視点からの歴史。

megureca.hatenablog.com

 

そしてその変化は、アメリカ、イギリス、ロシアといった海外からの圧力によって起こったのではなく、鎖国時代から海外のことをそれなりに知っていた藩士たちによって、自ら変化していったのだ、というのが、本書の主な主旨。屈服したのではなく、自分たちで西洋に追いつくためには西洋に学ぶ必要があると言うことに気がついた。よく言われるように、江戸時代においても鎖国と言いながら、海外の情報は、朝鮮、オランダなどからとっていたし、幕府はペリーが来航することも事前にわかっていた。知ってる人は知っていたのだ。2023年の今だと、多くの人がそのように言うようになったけれど、2006年の時点では新しい視点だったのかもしれない。いずれにしても、幕末・維新を再復習という感じで面白かった。ただ、今はもっと新しい説があるようにも思う。

 

目次
第1章 江戸湾の外交
第2章 尊攘・倒幕の時代
第3章 開港と日本社会
第4章 近代国家の誕生
第5章 「脱アジア」への道

 

気になったところ、覚書。

 

・ペリーが来航した際、当時の国際法上で対応に問題があったのは、ぺリーの方だった。交渉に当たった日本側の担当は、与力中島三郎助にしても、林全権にしても冷静で、人道問題と通商問題をきちんと分けて対応した。別に屈服していない。

 

薩摩藩は、鎖国時代から琉球を隠れ蓑とする清からの唐物の密輸入蝦夷地の昆布の清への密輸出など中国へつながる密貿易ルートを作り上げていた。それが藩収入の半分以上に近い利益を上げていた。だからこそ、最初に積極通商の意見に変わったのは、薩摩藩島津斉彬だった。外交を政治に使ったに過ぎない。

 

・幕末に活躍した老中として有名な「阿部正弘」は、一橋派の雄藩大名を支持していた。そして、篤姫島津斉彬の養女)を将軍家定の御台所にいれた。そうか、そうだったのか!

 

孝明天皇は、外国嫌いで「無謀な現実の戦争」を想定していた。ただただ、嫌いだからいやなんだも~ん、って感じか・・・。

 

・ペリー来航時の日本は、鎖国していた。故に、欧米人にあうと「嫌悪と警戒」「虚勢と恐怖」の感情が日本人に生まれたと思われがちだが、実際はそうではなかった。「嫌悪と警戒」は、近代の文明開化以降に生み出された劣等感によるもので、江戸時代の人たちは興味津々で、外国人に対しておじけづいたりしていなかった。女子供も、興味津々に外国人に近づいて愉しんでいた。

 

・すでに港を使って国内の商売をしていた人たちは、海外との商売も歓迎していた。在地商人、地域の民衆が、ゆっくりと開国を定着させていき、外国商人の侵入を断念させていた。

 

長州藩アメリカ商船への奇襲攻撃、フランス通信艦への砲撃は、当時の近代国際法に違反した、まったく弁護できない行為だった。今でいうところのテロ行為。

(その時、伊藤博文を含む長州ファイブは欧州に密航し、イギリスの国力に驚き、攘夷なんて絶対無理!と理解し始めていた)

 

・第二次長州征伐中に急死した孝明天皇天然痘にかかって死んだという説と、ヒ素中毒の毒殺という説がある。毒殺説では、当時から下手人は岩倉具視とささやかれた。。。慶喜は、孝明天皇を頼りにしていた。その後、岩倉を含む反慶喜派の公家たちが赦免された。うん、これは、毒殺説の方がただしいかも。。。天然痘なら、もっと周りの人もたくさん死んだのでは?!?!

 

歴史の解釈は、時代と共に研究が進むことで変わっていくことがある。誰の目線でみた歴史なのかということも大事なんだろう。

何か一つを信じるのではなく、各方面からの情報を総合して考えないと歴史を知るのはむずかしいなぁ、とつくづく思う。

だからこそ、点と点がつながったとき、歴史は面白い。

 

うん、面白い本だった。けど、もっと新しい本が読みたくなる感じだった。情報は更新しないと、ね。更新するということは、その基礎となる知識が必要。やっぱり、磯田さんの言うように、教科書は教科書として、平均値としてしっておくべきなんだろう。

megureca.hatenablog.com

 

歴史の学びには終わりがない。だからこそ、延々と楽しめるネタなのかもしれない。

学びは、楽しい。