今日 お教えていただいた、禅の言葉。
踞地金毛(こじきんもう)の獅子(しし)
臨済宗の臨済禅師は、弟子を指導するときに、「かぁぁぁっつ!」と喝をいれる。
臨済の喝、徳山の棒(りんざいのかつ、とくざんのぼう)の喝の方の話。
その、臨済の喝には、4つ使い道がある。
ある時の一喝は、金剛王宝剣の如く、
(金剛王さんの、剣のように。すばらしい名刀のこと。なんでもスパスパきれる名刀みたいに。)
ある時の一喝は、踞地(こじ)金毛の獅子の如く、
(「踞地」とは、大地にうずくまること、「獅子」とは、ライオンのこと。坐禅で坐っている姿が、そよそよと風に吹かれた金毛の獅子のように、目を細めてい、そこでじっとエネルギーを蓄積しているような感じ)
ある時の一喝は、探竿影草(たんかんようぞう)の如く、
(水の中に棹をさして草をさがしているみたいに、弟子の心境をためしてみる)
ある時の一喝は、一喝の用(ゆう)を作(な)さず。
(空振りの一喝もある。。。。一応、ユーモアらしい・・・。)
坐禅をするときは、イメージとして、
そよそよと風に吹かれている、
坐っている姿を、金毛の獅子の如くに ・・・
ということ。
ライオンが大自然の中で、じっと坐っている姿ってかんじだろうか。
自宅でオンライン坐禅をするとき、窓を開けたくなる。
もう、今の季節は結構寒いのだけれど、外の空気と触れている感じが、悪くない。
結構、好きだ。
百獣の王、ライオンのようにはなれないけれど、ネコくらいには慣れそうな気がする。
呼吸に意識をする。
そして、空間に身を任せてみよう。
だれも、「かぁぁぁっつ!」とは、言ってくれないけど。
「喝」といわれるような坐禅はしたことがない。
ただ、しずかに座るのが好きだ。
悟りを開こうっていう訳ではないし、ただ、静かに座っているほうがすっきりする。
でも、庵にいって坐禅をするときは、住職にたたいてもらう。
それは、素人の坐禅なので、後ろからいきなり叩かれるようなものではなく、
住職が回ってきたときに、合掌して頭を垂れて、こちらから叩いてください、とお願いする。
何も言わずに、右と左、一度ずつ叩いてもらう。
堂内に、たたかれる音が響く。
ただそれだけ。
無言。
ネコなら、たたかれたら逃げちゃうだろうけど。
ただ、じっと座っている。
呼吸に集中する。
それだけで、なにか充実感がでてくるのだから、坐禅も不思議なものだ。
ただ、やってみればいい。
それでいい。