LIFE SHIFT 2 ライフ・シフト2
100年時代の行動戦略
アンドリュー・スコット/リンダ・グラットン
池村千秋 訳
2021年11月11日発行
東洋経済新聞社
原本:The New Long Life: A Framework for flourting in a Changing World (2020)
帯には、
”この変わり続ける世界でどう生きるか?
日本人の不安に答える『ライフ・シフト』最新版”
『人生100年時代』という言葉を世に送り出した、『ライフ・シフト』の第2弾。
確かに『ライフ・シフト』は、凄く刺激的な本だった。
なので早速『LIFE SHIFT 2』も買って読んでみた。
全体の感想を言ってしまうと、内容的にはHow to本に近くなっていて、分かりやすいと言えば分かりやすいのだけど、ちょっと、物足りなさを感じなくもない。
ただ、人生100年時代が、当たり前になってしまったから、そう感じるのかもしれない。
327ページ。
買ったその日に、全部読めてしまった。
1800円。税別。
2時間の映画くらいの価値はあるかな、、、。
どこにでもいる誰か、架空のキャラクターを想定した具体的な物語のような展開なっている。彼らの目を通して、環境変化を身近な変化として理解し、自分だったらどうするのかを考えてもらおう、という作戦のようだ。
出てくる架空キャラクターは、7人。
・ヒロキとマドカ @日本。20代。伝統の街、金沢に住む若いカップル。
・ラディカ @ムンバイ。 20代。女性のギグワーカー。
・エステル @ロンドン。 30代。シングルマザー。
・トム @テキサス州。 40代。トラックの運転手。妻と子供がいる。
・イン @シドニー。 52歳。会計士。バツイチ。会社からリストラされた。
・クライブ @バーミンガム。 71歳。元エンジニア。仕事に復帰したいと思っている。
なんとなく、自分に近い立場の人の話が、読んだあとの印象に残りそうなものだが、私に近い人は、このキャラの中にはいない、、、。
それでも、あるある、、、という場面は出てくる。
本書は、三部からなる。
第一部:人間の問題
この数世紀の間、技術は進化してきた。確かに、産業革命からデジタル技術の進化まで、あらゆることは便利になってきた。人が動かなくても、洗濯も掃除も、モノづくりも、物流や販売ですら、人の労働は昔ほど必要ではなくなっている。
それでも、「人間だけが、人間の問題を解決できる。」という。
機械、ロボットは、与えられた作業をする。AIだって、与えられた条件の中での最適解をだすに過ぎない。
問題の本質を見抜き、どう対処すべきかを考えるのは人間でしかない、という事だと思う。
なぜなら、「あるべき姿」を設定するのが人間に他ならないから。
「自分の人生のストーリーは、自分でつくるべし」というのが、第一部のメインメッセージ。
第二部:人間の発見
第二部では、「自分の人生のストーリーは、自分でつくるべし」に対して、具体的にどうすればいいのか?が語られる。
自分のストーリーを作るためには、まず、そもそも今いる自分の「足場」を知ること。過去、現在、未来。自分の未来に向けてのストーリーは、時間配分を考える。
『ライフ・シフト』の基盤になる考え。
60歳で定年したらセカンドライフ、ではない。
人生100年時代は、60歳でもまだまだ、先は長い。40年もあるのだ。だから、老後資金が心配になる。心配するなら、そなえればいい。そう、時間配分、資金配分、自分のエネルギー配分が大事、ということ。
ストーリを考える時には、
・年齢に対する考え方
・時間に対する考え方
・仕事に対する考え方
を変える。
「現在」にしばられすぎないで、自分の人生のストーリを考える。
「トンネリング効果」(トンネルの中にいると外界が見えなくなるように、何かに集中しているがゆえに他のことに意識が回らなくなっている状態)に、だまされるな!
見方を変える。
そして、そのストーリーをより豊かで幸せな物にするためには、
・学習する
・移行する
がキーワード。
学習するのは、選択肢を多くしておくため。いくつになっても学び続けることが大切。
移行するというのは、住むところであったり、人間関係であったり。コミュニティや世代を越えて、自分のストーリーを作っていく。
第三部:社会の問題
第三部は、これからの経済や社会がどうなっていく可能性があるか、という話で、企業、教育機関、政府、としてこれから取り組むべき方向性の提案。
本書のメインは、第二部だろう。
如何に、自分のストーリーを作っていくか。
先の7人の目を通じて語られていく。
ラディカは、20代のギグワーカー。確かに、今の時代にあっているかもしれないけれど、会社に就職しないということは、会社から提供される「教育」の機会は得られないという事だ、というくだりがあり、確かにその通りだと思った。
サラリーマンは、上司や職場に恵まれなければ、残念なこともあるけれど、意図しない異動だって、違う世界を経験できるチャンスになる。そもそも、今とは違う場所で働くというチャンスは、新しいことに挑戦できるチャンスなのである。研修だって、ただで勉強させてもらえると思ったら、楽しまない手はない。
与えられたチャンスを活かさないなんて、もったいない、かっこわるい。
と、私は思う。
インは、会計士という専門性をもっていながら、52歳にしてリストラされてしまう。会計ソフトが人より正確に24時間働いてくれるので、52歳の支払う給料では、見合わない、、ってことになってしまう。そして、インのケースは、別のキャリアの道を探す方向へ行くのだが、それはまぁ、人それぞれだろう。
でも、今の自分の強みが、10年後にも市場で必要とされているか、は考えたほうがいい。
技術者だってそうだ。
分子生物学の研究の場で、DNA操作や解析ができること、PCRができることは一つの高度なスキルだったけれど、今では相当な部分が機械になっている。私が入社したころに一生懸命身に着けた技術は、いまは必要とされていない。あ、PCRはコロナで必要とされたか、、、。でも、PCRも人がやるのはサンプル調整、試薬混合、であって、DNAの増幅操作そのものは厳密な温度管理ができる機械がやってくれる。
タイプライター、ワープロ、昔は一分で何文字入力できるか、といったことが一つのスキルだったかもしれないけれど、いまなら、音声入力が圧倒的に速い。
四半世紀前までは、高度専門職、といわれていたものが、いまでは人が不要になっている業界は、たくさんあるだろう。
とはいっても、やはり、人にしかできないことがある。
自分のストーリーを考えるのは、ロボットには任せられない。
自分の人生は、自分で考えて、自分で決める。
そのために、学び続ける、って、やはり、間違っていないと思う。
私にとっては、それでいい。
学び続けようと思う。