『食卓のない家』 (上) by  円地文子

食卓のない家 上下
円地文子
新潮社
昭和54年4月15日

 

2022年5月15日(日)日経新聞朝刊、TheSTYLE Culture 文化時評の記事で、「小説が問うあさま山荘の核心」という記事があった。そこで紹介されていたのが本作品。1978年に日経新聞に連載された円地文子の『食卓のない家』

先日の記事では、
”72年の連合赤軍によるあさま山荘事件を素材にした作品だ。長らく品切れだったが、今年1月に再刊された。事件から50年の節目の年に文庫本として蘇ったのだ。
 連合赤軍事件に関連し、あまたの小説やノンフィクション、映画、漫画が世に出た。多くの作品が、革命を目指した若者と国家の闘争や、凄惨なリンチ殺人の悲劇を描く。
 しかし本作は全く趣を異にする。〈罪を犯した若者の家庭 VS 世間〉の闘争に焦点を当てたのだ 。
 事件を起こした学生の父親は、旧財閥系電機メーカーの研究部門の幹部だった。が、「子と親は別人格」として謝罪を拒み、辞表も書かない。毅然とした態度を貫く。
 会社には親の責任を問う脅迫めいた抗議の電話や手紙が相次ぐ。役員達は「あの男の神経は針金でできているんじゃないかな」「少なくとも進退伺ぐらいは出すべきでしょうね」などと批判する。この辺りの描写は今も切実で古びていない。
 実際の事件では、ある犯人の父親は大企業を退職し、別の犯人の父親は自ら命を絶った連合赤軍も日本の社会も村共同体であることに変わりはない。構成員に時に理不尽な〈自己批判=総括〉を迫る独善に支配されているのではないか。” 
とあった。

 

興味をひかれて、読んでみたくなった。
図書館で借りてみた。
昭和47年の本。かなり古い、書庫の本だった。

 

感想。
一気読み。充実感あり。
難しいテーマだ。加害者とその家族。でも、世間から執拗な嫌がらせをうける被害者にもなる。家族としてはある意味被害者でもあり、その被害者が加害者にもなる。。。

犯罪者の家族に焦点をあてた作品は、世の中には他にもたくさんあるけれど、そういうのともちょっと違う。東野圭吾の『手紙』もすごいけど、そういうのともまたちょっと違う。まぁ、読んでみてください、と言いたくなる。新聞の連載だったということもあるのか、話としては読みやすい。展開がテンポよい。

 

作者の円地文子さんは、1905(明治38)年東京生まれ。小説家、劇作家。国語学者上田万年の次女。日本女子大附属高等女学校中退。作品多数。『源氏物語』の現代語訳でも知られる。1985(昭和60)年文化勲章受章。1986年没。

多分、私は他の作品は読んだことが無いと思う。


結構な数の登場人物を、実にうまく背景説明しながら登場させていて、端的に人物同士の関係が理解できて、人間関係図を目の前に貼りだしながら作品を書いたのかな、と思うくらい、ストーリ全体にぶれがない。小説家なら当たり前かもしれないけど、読んでいて様々な引用も含めて、すごい才女だったんだろうな、という感じがする。ひらめきで書いているというより、よくよく練られたうえで、書かれている感じ。

たしかに、50年ちかく前の作品だけれど、令和の今読んでも違和感がない。社会における女性の立場などはいかにも昭和で、厚生省で働く女性が、女性進出の代表のような描かれ方をしているが、世間と家族のありよう、会社の中での地位争いのようなものは今とたいして変わらないように思う。

うん、面白いから、是非、読んでみて。
って、言いたくなる作品だった。

 

話の軸となるのは、犯人の父親。一人の男として、父として、夫として、たくましくもしなやかに生きてい生きざまが、いさぎよい。そして、ただの頑固な冷血漢ではないものの、固くなであり、かつ心の広い人物としてえがかれているところ、それを支える人がちゃんと存在する事、そこにほっとする感じ。たぶん、作品の魅力は、この父親のキャラクターにある。

 

以下、ネタバレあり。

 

主な登場人物は、

童子信之(きどうじのぶゆき):犯人として逮捕された長男・乙彦の父。電気系メーカーの技術者で、会社の重要な技術開発をしてきた。乙彦が逮捕されてからは、乙彦とは絶縁するといって、拘置所に面会にもいかなければ、弁護士も立てないといいきる。世間からの様々な嫌がらせにも毅然として対処し、会社での様々な陰口にも動じない。最初から最後まで、自分をつらぬいた男として描かれる。

 

童子乙彦:過激派で山荘人質事件、仲間のリンチ事件で逮捕され、小菅拘置所にいる。本人は直接殺人は犯していないが、殺人ほう助の罪。長男として大事にされて育っていて、大学にはいってまさか過激派に属するとは、だれも思っていなかったようなごく普通の男の子だった。事件が事件だけに、裁判全体の方針が定まらず、まだ公判も始まっていない。拘置所では、歴史の本を読んで過ごしている。父親に似て、信念を貫く強さがあり、革命のやり方が間違っていたことは認めつつ、革命は必要だと信じている。

 

童子由美子:信之の妻。乙彦の母。乙彦の一件で精神を病んで入院。物語の途中で、自殺してしまう。

 

童子珠江:乙彦の妹。乙彦の件で、婚約者・千原達也との縁談が破談になる。すっかり、気持ちは落ち込み、平然と会社へ行く父を恨めしく思っている。相談したい母親は精神破綻。叔母の喜和を頼るようになる。のちに、達也が色々と画策して無事に結婚し、達也の新任地へ帯同家族としてアメリカにわたる。アメリカで暮らしていく中で、父親が正しかったことに気づき、自分の人生も自分の足で歩いていくのだということを自覚するようになる。

 

童子:乙彦の弟。事件の年が大学受験だったが、失敗。浪人して、今は無事に大学生になっている。子供の時からひょうひょうとしてあっさりとした性格で、ちょい悪ガキ。兄のやったことは兄のやったこと、と父と似た冷めたところがある。でも、母の自殺、姉の渡米で父と二人きりになってから、信之は修がすっかり大人になっていることに気づかされる。兄への態度、父への態度、まっすぐに正直に生きている感じ。そして、さまざまな困難にも動じない強さを感じる。

 

千原達也:珠江の元婚約者。達也の叔父が代議士をしていて、そんな犯罪家族と親族になるのはまかりならん、という叔父と父の勢いにおされて、達也は、いったんはあっさり結婚をあきらめる。しかし、叔父の政治活動の背景に政治とカネの怪しい陰を嗅ぎつけ、叔父と父親を丸め込んで、珠江との結婚を達成して、アメリカにわたる。

 

中原喜和:由美子の姉。信之にとっては義姉。厚生省のエリート。独身。由美子が精神を病んで入院してしまったので、あれこれと鬼童子家族の世話をしている。鬼童子家の誰にとっても、サバサバとして、しっかりして、頼りになるおばさん。本作の中では、信之に次ぐ重要な登場人物。

 

川辺弁護士:弁護士。公判待ちの乙彦に弁護人として面会にいく。信之の高校時代の先輩。信之に頼まれて乙彦の弁護人になったのではなく、自らかってでた。しかし、事件全体の弁護方針と独立していることから、乙彦の弁護は退くことになる。乙彦が心を許して、一番の秘密、自分には子供がいるかもしれないことを語ったのは、川辺弁護士だった。

 

沢木香苗:大学院で山岳仏教を研究している。信之が気晴らしに出張帰りに故郷の南紀へいって、久しぶりに那智の滝を観に行ったとき、偶然、くり返し出会う。東京に帰ってからも、ひょんなところで出会い、信之の同級生が香苗の教授であることが判明。その後、親交が続き、香苗は徐々に信之に惹かれていく。香苗の兄も、かつて過激派の活動に加わっており、その時のケガで右手が不自由となった。それを機に過激派の活動からは遠のき、いまでは左手で絵を書いている。鬼童子家族とは違う形の家族として、沢木家が描かれている。

 

朝野みよこ:乙彦の大学生協にいた店員。大学生の中で人気者だった。乙彦は友人に知られることなくみよこと付き合っていた。そして、乙彦の子供を身ごもったらしいのだが、乙彦の前から姿を消してしまう。乙彦は、そのことを川辺弁護士にだけ告げた。 

 

と、ここまででだいぶ長くなってしまったので、ストーリーの紹介はまた次回にしよう。登場人物紹介だけで、だいぶストーリーも盛り込んだけど。

 

フィクションではあるけれど、当時の社会を知るにもよい題材だなぁ、という感じがする。

あさま山荘事件という悲惨な事件がソースになっているけれど、本書は明日への希望につながる感じの物語。読み終わった後に、何とも言えないすっきり感がある。

個人としての解放感のような、社会への責任感のような、、、。

そうだ、私も、ちゃんと生きていこう。

そう、思える感じ。

私だけかな?

 

結構、お薦め。

面白かった。

今年になって、再刊された意味が分かる気がする。

うん、面白い。

 

『食卓のない家』 (上)