『戦争に行った父から、愛する息子たちへ』 by ティム・オブライエン 

戦争に行った父から、愛する息子たちへ
ティム・オブライエン 
上岡伸雄、野村幸輝 訳
作品社
2023年4月25日 初版第一刷印刷
2023年4月30日 初版第一刷発行
Dad's Maybe Book (2019) Tim O’Brien

 

日経新聞、2023年6月24日の書評にでていて、面白そうなので図書館で予約してみた。記事には、
私小説は日本ならではの文学形式とされるが、本書はアメリカの作家がはからずも書いたユニークな私小説ではないかと思う。”とあり、かつてベトナム戦争にいった著者の2002年以来の著作ということ。オブライエンの作品を読んだことはなかったけれど、ちょっと気になったので読んでみた。

 

著者のティム・オブライエンは、1946年、ミネソタ州生まれ。1969年から1年間、ベトナムで従軍。除隊後、ハーバード大学大学院博士課程で政治学を学び、1973年に自らの体験をもとにしたノンフィクション『僕が戦争で死んだら』を出版。『カチアートを追跡して』で1979年に全米図書賞を受賞。ほかに、村上春樹が翻訳した『本当の戦争の話をしよう』(1990)、『ニュークリア・エイジ』(1985)など。

本書を読みながら、彼の他の本を読んでみようとおもったのと、ヘミングウェイももっと読んでみよう、と思った。

アメリカの歴史上の人物や、文化上の作品、人物もたくさんでてくる。言葉の引用も多い。都度、訳者の注釈があるので何のことを言っているのかは文字上では理解できる。でも、アメリカを深く知っていると、もっとこの本の重みがわかるんだろうな、とおもった。
重みというか、深さ・・・。

profound って、こういう時に使う言葉かな、、、って思った。

二人の息子のために、何年もかけて書き続けてきたエッセイが一つになったような、、、。そして、ベトナム戦争に行った自分を責めているような、責める自分を責めているような、、、。アメリカ人にとっては、まさに「あの戦争はなんだったのか」の敗北の戦争であり、20代前半でその現場にいた著者にとっては、重すぎる経験だったのだろう・・・。
そして、その経験から、物を書くことを生業として、、、その自分の姿を、時にヘミングウェイと重ねながらも、前線で実際に敵と対峙した自分と、あくまでも赤十字軍で前線で敵と対峙することのなかったヘミングウェイとでは、戦争経験はまったく違うものだ、と言い切る。

「息子への手紙」という項から始まる本書は、最初は、息子たちへの愛のメッセージかと思う。2003年前にうまれたティミ―(長男)への愛の言葉から始まる。それを「一年と少し前の2003年」と言っているので、18年くらい前から本書の材料を書き始めていた、ということだ。ティミーが生まれた時、オブライエンは既に56歳だった。56歳にして、初めて父親になったのだった。そりゃ、こういっちゃなんだが、孫のようにかわいいだろう。。。その愛おしさにあふれた文章が続く。
ただ、育児は、そんな夢物語だけではなかった。常に泣き続けるティミー。食べては泣き、寝ては泣き、、、両親ともに疲労困憊、、、、。原因もわからず、病院にいってもお手上げ。。。子供は泣くものだといわれるだけ、、、。結局、原因は、食後の逆流性胃腸炎のようなことだった。そして、ようやく訪れた平和な日々。息子が初めて口にした言葉。息子の成長を喜ぶ父親の姿、ただ、微笑ましい。

 

大きくなるにつれ、今度は、子供達にどのような機会を与えてやればいいのかと悩む。危ないことはしてほしくない。不幸にはなってほしくない。すると、子供達の自由を奪うようなことを自分はしているのではないか、と思いなやむこともある。
子供達が、強烈な確信を抱く人間になって、「俺は正しい、おまえは間違っている」という様な人間になってしまったらどうしよう、、とか。

 

弟のタッドが、新品のバスマットにわざとオシッコをした時、オブライエンは本気で怒った。妻が止めるまで、幼いタッドを怒った。そんな自分に自己嫌悪してしまう。母親になだめられたタッドは、よちよちとオブライエンの仕事場にやってきて、ごめんなさいをいった。

「本当にごめんなさい。でもね、僕には頭が二つあるんだ」といったタッド。

「一つの頭は、”こんなことをしたらお父さんはいやがる”って。でも、もう一つがこういうんだ。”これは面白そうだぞ”。」

息子の道徳的な選択の多様性に気が付いたオブライエン。その夜、タッドとティミーの寝室で二人に言った。「昔々、お父さんは、頭が二つある男を本当にしっていたんだ。」と。それは、お父さんだよ、と。
そして、1968年の夏、徴兵された夏のことを話した。自分の国を愛している自分、ベトナム戦争に反対している自分。。。話している途中で、二人は寝てしまったけれど、自分自身への語り掛けは延々とつづいた、、、。

 

強烈な確信なんてなくていい。


人は、二つでも三つでも、頭をもっていたほうがいいのかもしれない・・。
ちょっと、胸が痛くなるエピソードだ。

 

また、ティミ―が8歳の時に話が、胸に迫る。学校から車で帰る途中、おそらくホームレスと思われる人が目に入った。その人がかぶった帽子には「ベトナム帰還兵」とかかれていた。ティミ―は、妻のメレディスに車を止めてと叫んだけれど、ラッシュ時で車を止めることなんてできなかった。それから、ティミ―は、数日間、紙袋にヨーヨー、サンドイッチ、グラノーラバー、自分の写真、釣り糸、リンゴ、お父さんの本を1冊入れて、その彼を探し続けた。結局見つからなかった。家族のみんなにとって、わすれられない事件だった。
その1年後、ティミーは、「15番通りの僕の友だち」という題の詩を書いた。本書のなかで、その全文が紹介されている。
物書きを生業とする父親にとって、その出来の良し悪しということではなく、1年もティミ―が心の中にそのときのショックをかかえていた、ということがショックだったと綴っている。かつ、関心さえさせられた、と。8歳の自分の息子が、自分より善き人間になっていることにきがついた、と。

 

自分自身が、ハーバード大学をやめる時、親に言われたことを思い出し、息子たちにはこの先の人生において、どういう言葉をかけてやればいいのだろう、と自問する。
オブライエンの両親は、大学を辞めるなんてよしとけ、といった。そして、「やめとけ」「よく聞け」という親の声によって、未来が全重量をかけて扉を閉ざしたような感覚がした、、と。結局、オブライエンは大学を中退する。そして、親に連絡したのは、許可を求めていたのではなく、解放をもとめていたのかもしれない、と。
もちろん、親は息子の将来を心配して、「大学中退はやめておけ」といったのだ。そんなことはよくわかっている。。。さて、息子たちが同じように何か言ってきたとき、自分は、何と言ってやれるのだろうか、、、と。

 

大事にしていた読者からの手紙を失くしてしまったエピソードも、深い。その手紙をくれたのは、26歳の女性だった。手紙に書いてあったのは、8歳か9歳のころから、うまくいっていない両親と息が詰まるような生活をしていたという話から始まった。母親にどうしてお父さんと結婚したのか?ときくと、「彼への同情心から」と言われた。中学生になったころ、彼女はお父さんが戦争に行ったことがあることを知る。ベトナムから生還したが、それいらい、何も語らなくなったのだということがわかる。「話しもしてくれない人をどうしたら愛せるのか」と母親は彼女に言った。そして、高校の最終学年のある日、彼女は『本当の戦争の話をしよう』(オブライエンの著書)という本の購読を宿題に出され、その本を学校から家に持ち帰って食卓に置いておいた。父親はそれを読んだ。そして、少しずつ、話し始めた。10年たった今も、私たち家族は話をしている、と。

一冊の本が、一つの家族の危機を救ったのかもしれない。

猛烈に、『本当の戦争の話をしよう』が読んでみたくなった。

 

戦争を支持するのなら、という項では、本日は「憤怒」についてである。議題を箇条書きする、といって延々と戦争について語られている。
1.戦争を支持するのなら、戦場へ行きなさい。
・・・・
11.弾丸は敵を作り出すことができます。
・・・・
24.ベトナム戦争では300万人の人々が亡くなった。
・・・・
28. だれが戦死者について心の底からおもいやることができるのだろう・・・

そして、死者の数が続く。

 

ファラーポス戦争(ブラジル内戦)、2万人
中国によるモンゴル征服、3000万人
清王国による明王朝征服、2500万人
中国のドンガン人の反乱、800万人
スペインの国土回復戦争、500万人
中国の安史の乱、1300~3600万人
フランスのユグノー戦争、280万人
北アフリカのムーアの戦い、300万人
黄巾の乱、450万人
インドの大反乱、80万人、
・・・・・

そして、「憤怒」とは、激しい思いやりの事だしかし、私たち全員にとって、思いやりというものは難しくなってしまうことがある。私たちの心は凍ってしまうことがある、、と。
そして、不謹慎だが真面目な提案として、「戦争」という言葉をあらゆる文章から削除し、「集団殺戮(子供も含む)」という言葉で代替してはどうか、と。
その方が、本質を捉えているのだ。。。テロとの闘いも、テロとの集団殺戮だ、、、と。

 

ティミ―がバスケットボールの選手に選ばれなかったあとのエピソードも、泣けた。最初は、家族みんなが腫れ物に触るかのように、バスケットに関するあらゆる単語を飲み込んだ。オブライエンは、何と声をかけてやればいいのか、わからなかった。そっとしていた。でも、いつも伝えてきたことがあった。
「努力のない勝利に価値はない。勝利のない努力には価値がある」
その言葉をティミーは思い出したのかもしれない。何も言わない父親に、ある日、また頑張ってみる宣言をする。黙って見守るって、難しいけど、黙っていても通じることもある。子供のだんまりは、うまく言葉にできないだけで、言葉がでてくるまで、じっと待つて大事なんだろう。

 


私は、ベトナム戦争のこともよくわかっていないし、アメリカのこともよくわかっていない。それでも、本にでてくる、よくわからないような、聞いたことのあるような単語が、いくつも気になった。なんだか、良く知らないでいることが罪なような気がしてきた。 

 

本当に、知らないって怖い。

正しく理解せず、「強烈な確信」を持つ人間にはなりたくない。

知りたければ、調べて、読んで、学んで、自分の頭で理解すること。

誰かの言葉を記憶するだけでは、理解したことにはならない。

自分のことばで語れるようになって、はじめて理解したって言えるのかもしれない。

 

人生は、一生学びの連続何だと思う。

だから、読書は楽しい。