『変身』 by フランツ・カフカ

変身
フランツ・カフカ
高橋義孝 訳
新潮文庫
昭和27年7月28日発行 
平成23年4月30日 107刷 改版
平成28年6月5日 105刷

 

 絶望名人カフカの本。読み直してみた。 初めて読んだのは、10代だったろうか、20代だったろうか、もう記憶にない。実家の文庫本の本棚の中に並んでいたのは覚えている。薄い本 なので簡単に読めるかと思って手に取ったけれど、よくわからなかった。起きたらいきなり虫になっているって、よくわからん、、、、SFの楽しいお話でもない。無茶な設定だよ、と思いつつ、何の感想もなかったのが若いころに読んだ『変身』。有名な本だし、一応読んでおくか、くらいな対象だった。

 

今回は、「絶望名人カフカ」の作品を読み直してみよう!という意思をもって読んでみた。

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翻訳も色々あるのだろうが、図書館にあった中でも新潮文庫を選択。最後に有村隆広さんの解説がついている。カフカの生涯と作品についての解説を読んでから、本作を読んでもいいかもしれない。やっぱり、本書は、カフカという人を知ったうえで読んだ方が、心に響く何かがある気がする。

 

フランツ・カフカは、1883年、チェコスロバキアプラハに、裕福な商人ヘルマン・カフカの長男として生まれた。父親のヘルマンは、南ボヘミアの田舎生まれのユダヤ人で、長い間ゲットーに住んでいたが、その後商売で成功し、当時のプラハユダヤ人としては成功者の1人だった。そんな父親に対してずっとコンプレックスを持って生きていたのがフランツ・カフカ。忙しい両親のもとで、孤独を感じる少年時代を過ごし、母親の愛情さえも、厳しい教育をする父親の擁護者の1人としてしか受け取れなかったカフカ
両親の愛を感じつつも、孤独を募らせたカフカ
解説の中には、カフカが故郷なくしたユダヤ人の子孫である事は、彼の文学に深い影響与えた事は紛れもない事実である」と書いている。解説では、本作以外のカフカ作品についても、その作品が書かれた頃のカフカの生活環境などが書かれているので、簡単なカフカの解説本としても役にたつ。

『変身』は1912年の11月に執筆されているが、出版されたのは3年後の1915年のこと。作家自身が、本作は不完全なものだとコメントしていて、作品の出来栄えに本人は満足していなかったようだ。カフカにとって満足した作品など一つもないのかもしれない。

ほんとに、へんちくりんな本である。でも思わず読んでしまう。何なんだこれは、、、。

 

読んだことがない人でも、朝、いきなり虫になっていた話ということくらいは知っているだろう。でもって、虫として死んでしまうのだ。悲しいと言うのか虚しいと言うのか。。。奇怪な作品。

 

本の裏の説明には
”ある朝、気がかりな夢から目を覚ますと、自分が1匹の巨大な虫に変わっているのを発見する男グレーゴル・ザムザ。なぜこんな異常な事態になってしまったのか、、、。謎は究明されぬまま、普段と変わらないありふれた日常が過ぎていく。まるでリポートのような文体が、読者に与えた衝撃は、様々な解釈を呼び起こした、海外文学最高傑作の1つ。”
とある。

 

そうなのだ。主人公のグレーゴルは、両親と妹と一緒に暮らす普通の1人のサラリーマンだったのだ。それが、ある朝起きると自分が寝床の中で1匹の巨大な虫に変わっていることを発見する。新潮文庫の本翻訳版では、クモとは出てこないが、虫はクモと訳されている本が多いのではないだろうか。とにかく、目覚めたら、ベッドの中で虫になっていたと言う異常な事態にもかかわらず、グレーゴルは仕事に遅刻したらどうしようとか、日常生活を送るにあたっての心配事を並べたてるのだ。


そして、その日から、グレーゴルは虫として両親と妹と共に生活する。姿が見えなくなってしまったグレーゴルだが、何故か会話は成立する。ただ、虫になったグレーゴルに食事を運び、世話をしてくれるのは17歳の妹・グレーテだけだった。母は、「グレーゴルが人間に戻った日のために」グレーゴルの部屋をそのまま維持しようとする。姿の見えなくなったグレーゴル。虫になってそこらをウロウロするグレーゴル。これまで、一家の大黒柱として家計を支えていたグレーゴルだったが、このままでは一家の生活が立ち行かなくなるので、仕事を再開しようとする父親。いつも通りの母親。

なんなんだ?!?!この状況は??


そして、グレーゴルは、醜い姿のまま家の中をうろつく。父親が投げたリンゴがあたって、瀕死の重傷になるグレーゴル・・・。
そして、最後は、そのまま死んでしまうのだ。虫の亡骸は、家政婦にポイっとゴミ扱いされるのだ。。。。

なんなんだ?!?!この結末は。

虫になった息子が人間に戻る日を待ち望んで苦しい生活を続けるより、死んだことにして忘れてしまった方が楽だということなのか。。。。

なんなんだ?!?!

 

やっぱり、今読んでもよくわからない。でも、この虚しさ。グレーゴル本人の虚しさと、両親、妹が感じているそれぞれの虚しさは別物。でも、虚しさを共有している家族。

なんだかなぁ、、、、。
けど、やっぱり、読みだすと止まらない面白さ。


実は、友人宅へお土産をもって電車で移動中に読んでいたのだが、本に夢中になって思わず、網棚にのせた友人へのお土産を電車内に忘れてきてしまった・・・・。無念・・・・。
それくらい、面白いのだ。普段なら、網棚に荷物を載せることなんてしないのに、本を読むのに邪魔だったので思わず紙袋を網棚に乗せてしまい・・・・、あぁあ、、、。
駅員さんに事情を話すと、見つかった駅まで取りに行っていただくことになりますとのこと。そんな時間はないし、それほどのものではない。
「見つかっても取りに行きませんので、廃棄していただいて結構です。爆発物ではないことだけ、お伝えください。。。」といって、駅を後にした。

 

おそるべし魅力のカフカ。ある意味、危険な作家だ。
けど、やっぱり、暗いなぁ。救いがないのだ。

他のカフカの作品は、絶望したときに読んでみよう。
今の私に、絶望名人の本は不要なようだ。

 

ほんと、変なお話。