『教科書に出てくる遺跡と文化財を訪ねる ① 大昔の時代と国づくり(縄文・弥生・古墳時代)』

教科書に出てくる遺跡と文化財を訪ねる ① 大昔の時代と国づくり(縄文・弥生・古墳時代
こどもくらぶ編集
あすなろ書房
2019年1月30日 初版発行

 

再び、時代をさかのぼって、『教科書に出てくる遺跡と文化財を訪ねる』の①。大昔というざっくりしたタイトルがちょっと笑える。

 

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①は、縄文時代弥生時代古墳時代について。

表紙には、新潟県笹山遺跡出土深鉢形土器の写真。まさに、教科書で見た見た!ってやつ。
縄文時代の土器で、巨大なサングラスをかけたようなおデブな土偶とともに、教科書によくでてくる。深鉢形土器は、縦の長さが横の長さより長い鉢のこと。写真の土器は、火焔型土器と呼ばれ、上に高くつき出た部分が、燃えさかる炎のように見えることから名前が付いた。今から約5000年前のもの。土器として国宝に指定されているもののなかで「国宝指定番号1」なので、「ナンバーワン」という愛称もあるらしい。


縄文時代を代表するのは、三内丸山遺跡青森市。1992年に発掘されたということで、たしかに、ニュースになったことをぼんやり覚えている。竪穴式住居、石器、土器、土偶も発掘されている。三内丸山遺跡は、2021年に登録された世界文化遺産北海道・北東北の縄文遺跡群」に含まれる。
他には、貝塚。本書では千葉県の加曽利貝塚が紹介されていた。

 

弥生時代になると、大陸から米作りが伝わり、人々は狩りや採集に加えて、米作りによっても食料を得るようになる。水田をつくって、協力して農作業をしたことから「むら」ができて、やがて「くに」となっていった。
有名なのは、
・登呂遺跡@静岡市
・吉野ケ里遺跡@佐賀県

 

登呂遺跡は、第二次世界大戦中(1943)に、軍需工場を建設するとき、発見された。大陸から九州北部へ伝わった米作りは、弥生時代に太平洋側まで伝わっていたのだ。約2000年まえの遺跡と言われている。
登呂遺跡は、2回くらい行ったことがあると思うのだけれど、とにかく、暑かった、、、という記憶がある。大学時代の夏休み、浜名湖での合宿の後に寄った記憶がある。あとは、家族旅行かな??一人旅ではないと思う。

 

吉野ケ里遺跡は、有力な豪族が周りの豪族を従えて「くに」をつくり、となって住んでいた集落跡と言われている。
佐賀の吉野ヶ里町というところにあって、佐賀駅から電車で田園の中を走っていくと、吉野ケ里歴史公園にたどり着く。見学用に整備されているので、倉や住居などが順を追って見学する事ができる。お墓もある。
ここは、登呂遺跡とは反対に、冬に行ったことがあって、寒かった。周囲の山から風が吹き下ろす感じで、北風ぴゅーぴゅーのなか、風を遮るもののなにもなく、、、荒涼とした印象がある。。。人もまばらで、、、、なかなか、、、シャビィ・・・なところだ。しかも、その時、私はタイからタイ人スタッフをつれて佐賀に出張にきていて、その週末合間にタイ人を連れて行ったのだ。彼にとって楽しかったのか?ただ寒かったのか??でも、タイにある遺跡とは全く異なる景色なので、それなりに感動はしていた、、、と思う。

 

弥生時代国宝として、「金印:漢委奴國王(かんのわのなのこくおう)」と、「銅鐸:袈裟襷文銅鐸(けさたすきもんどうたく)」が紹介されている。

 

金印は、へびの形をしたつまみがついていて、2.3×2.3cm、ツマミを含めると高さ2.2cmくらい。こんなちっちゃなもの、よく発掘したわ、、、と思う。福岡県志賀島(現在の福岡市東区)で、江戸時代に農民が発見したと伝えられている。
その農民、発見してからどうしたんだろう、、、、。自分のモノにはしないで、藩主にとどけたのかしら??

銅鐸は、お祭りの時に使用したらしい。神や先祖をまつって、鳴らしたり飾ったりしたのだろう、、と。ま、だれも見たわけじゃないから、想像でしかないけど。

 

「くに」ができてきて、豪族や王のお墓がつくられるようになる。古墳時代だ。
百舌鳥・古市古墳群」は、2019年に世界文化遺産に登録された、大坂府堺市羽曳野市藤井寺市にまたがる古墳群。
上空からの写真が掲載されているのだが、たしかに、こりゃ、古墳群だ。あちこちにポコポコと古墳の緑の小山が見える。
有名なのは、大仙古墳の巨大な前方後円墳仁徳天皇の墓と言われているものだろう。誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳も有名。

どうでもいいことだが、前方後円墳って、スパークリングワインのコルクに似ている。。。と、いつも思ってしまう。。。丸い頭に、四角い胴体、、、みたいな。

 

古墳が見つかるのは、近畿地方から瀬戸内海。やっぱり瀬戸内海は、穏やかで住みやすかったんだろうな、、と思う。 

 

弥生時代から古墳時代になってくると、「くに」ができて、互いに物を交換し合ったり、領土を争ったり、、、社会が形成されていく。そして、飛鳥時代へ、、、。

仏教が入ってくると、だいぶ、人間社会っぽく感じられる。災害があったり、争いがあったり、困ったことを困った、と嘆くようになって、初めて宗教が必要になっていったのだろう。その変遷も、じっくり勉強してみると面白い。

 

三内丸山遺跡、まだ行ったことがない。べつに、縄文時代でしょぉぉぉ、べつに、、興味ないし、、、と思っていたけれど、世界遺産になったことだし、やっぱり、いってみてもいいかな、、なんて思った。

日本の歴史の一部だしね。日本人として、縄文時代を体感するのも悪くない。

 

 

『教科書に出てくる遺跡と文化財を訪ねる ① 大昔の時代と国づくり(縄文・弥生・古墳時代)』