『合戦で読む戦国史 歴史を変えた野戦一二番勝負』 by  伊藤潤

合戦で読む戦国史
歴史を変えた野戦一二番勝負
伊藤潤
幻冬舎新書


2022年5月25日 第一刷発行

図書館で歴史で検索して出てきた本。新しかったので借りてみた。

 

裏の説明によれば

桶狭間の戦いは信長の天才的用兵による「大勝利」だったのか。大阪の戦いにおいて豊臣家の滅亡は必然だったのか。備前国平戸藩主・松浦静山の名言「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」は、果たして真実なのか。
人気歴史作家が戦国史の転機となった12の野戦に着目し、新史実を踏まえて勝因・敗因を徹底分析する。「優位に立つ者は奇道に走ってはならない」「実際の戦場は誤算と失点だらけ」「どんな戦いも勝負は紙一重」など、ビジネスにも人生にも役立つ教訓を導き出した画期的な戦国合戦史。”

 

感想。
面白い。けど、マニアック。。。
そんなに歴史に詳しいわけではない私には、ちょっとついていけないところも、、、。理解というより、そもそも、そんな合戦を知らなかった、、と言うものもある。
マニアではないので、買って手元に置いておきたい、、、という程の本ではないけれど、歴史を勝負の原因から探る、と言う点でみているので、面白い。

何より、本書は、もともと陸上自衛隊の隊内誌「修親」に、2020年3月号~2022年2月号までに隔月で掲載されていたものをベースにしているそうだ。なので、読書の対象は、自衛隊の指揮官を想定して書かれていたもの

なるほど、だから合戦毎に、最後のまとめには勝因や敗因の説明、教訓のような言葉が並んでいる。

読み物として、なかなか、面白い。

戦争でこの知識を活かすような時代は来ないことを祈るけど、、。

 

目次

第一章 北条氏康と河越の戦い 埼玉 天文15年(1546) 4月
第二章 毛利元就厳島の戦い 広島 天文24年(1555)10月
第三章 織田信長桶狭間の戦い 愛知 永禄3年(1565)5月
第四章 上杉謙信川中島の戦い 長野 永禄4年(1561)9月
第五章 武田信玄三方ヶ原の戦い 静岡 元亀3年(1572)12月
第六章 武田勝頼長篠の戦い 愛知 天正3年(1575)5月
第七章 明智光秀山崎の戦い 京都 天正10年(1582)6月
第八章 柴田勝家賤ヶ岳の戦い 滋賀 天正11年(1583)4月
第九章 龍造寺隆信沖田畷の戦い 長崎 天正12年(1584)4月
第十章 伊達政宗摺上原の戦い 福島 天正17年(1589)6月
第十一章 毛利輝元関ヶ原の戦い 岐阜 慶長5年(1600)9月
第十二章 徳川家康と大阪の戦い 大阪 慶長19年(1614)1月 慶長20年(1615)5月

 

正直、名前を聞いても、戦いの名前を聞いても、ピンとこないものも、、、、。
でも、なぜその戦いが起こったのかというお家騒動などの説明もあって、一応、エピソードとして分かりやすい。

 

やはり、有名どころとしては織田信長今川義元を破った桶狭間の戦いについての解釈はなかなか面白い。織田信長も、やっとのことで勝ったのであって、最初から計算づくでうまく行っていたわけではなかったのだ。
桶狭間周辺の地形と道についても詳しく解説されている。桶狭間の周辺、南にのびる知多半島のあたり、西は伊勢湾に面している場所。低いところに行けば見通しがわるいし、伊勢湾に流れる扇川と手越川によって、土地はあちこちで分断されており、味方内であっても連絡は取りにくい地形であったのだ。あちこちの合戦で、信長側も多くの死者をだしている。もともと、2000 vs 25000 で、圧倒的に今川勢が数で勝っていた。だから、今川は合戦で勝ち続けたところに油断が生じた。だからこそ、信長の背水の陣での敵地攻撃は、勝利となった。

この戦いは、緒戦の勝利によって義元と今川勢に油断と慢心が生じ、それが軍紀の弛緩につながり、そこを信長につかれたことで、今川勢は一気に崩壊した
のだと。

粘り勝ち。

桶狭間の戦いは、信長の天才的用兵が大勝利を引き寄せたのではなく、互いに誤算と失点をかさねながら、なんとか義元のミスにつけ入った信長の辛勝だったのだ、と。

なるほどねぇ。


とまぁ、こんな具合に、合戦を解析している。
あえて、負けた武将の視点をメインにかたられているものもあり、敗者に共通しているのは、やはり、「油断」なのかな、、、と思う。
希望的観測、油断、慢心、、、、。

確かに、ビジネスや人生にも通じる教訓かもしれない。

ちなみに、著者によれば、日本三大奇襲戦は、桶狭間厳島、河越、なのだそうだ。しらなかったなぁ。。。。 

 

厳島は、第二章になっている毛利元就陶晴賢(すえはるかた)に勝った戦い。厳島は、平家の時代から様々な歴史の舞台になっているので、なんだか時代がわからなくなるけれど、ここでいう厳島の戦いは戦国時代。足利家、大内氏、毛利氏、の関係が入り乱れていていた。背景が、、、わかりにくい。が、この戦いも、劣勢だったはずの毛利軍が勝利をおさめた。

予想外の暴風雨、という展開はあったものの、やはり、元就の周到な作戦計画が勝因になった、という。一方の陶晴賢は、不必要な作戦で自滅した、、と。

教訓は、どんな状況でも、”できる限りの準備をする”っていうことの大切さ、かな。

 

よく、「緊張しない方法」というHow toでも言われる。

大事なのは、しっかり準備する事。

基本なんだよね、準備する事。

受験も、面接も、大事な商談も、プレゼンも。

希望的観測ではなく、あらゆる事態を想定して、準備、練習すること。

運だけに頼っていると、油断につながる、、、、。

結構、重要な教訓だ。

 

もう一つの三大奇襲戦、河越ってまた、地味、、、だけど、第一章で取り上げられている。これは、何回かの戦いの集積ということらしいが、激戦の果てに北条氏が山内・扇谷両上杉氏、古河公方に勝利し、その後の関東制圧へとつながっていった、ということ。また、この時代の上杉家がややこしい、、、。山内上杉、扇谷上杉、、、。そして、地味な、、、と思ったのだが、やはり、この戦いはわずかな史料しか残っていないらしい。ポイントは、河越の地形。河越は今の川越だ。武蔵国の中心で、河川が氾濫しやすいものの、肥沃で農業生産性が高く、栄えていた。戦国時代になると、南北関東を結ぶ河川交通の中心として注目されるようになっていく。そして、太田道新・太田道灌親子をはじめ、多くの武将が城を建てる。北条氏は、あとから城を奪った勢力だった。河越の戦いでは、北条氏はやはり敵の油断のすきをついている。北条氏は、河越城を打通するという戦いの目標が明確だった。一方、攻められた側の山内・扇谷上杉勢は寄せ集めの部隊で統一が取れていなかった。

上杉勢は、味方同士の連携がうまくいっていない隙をつかれ、恐怖が恐怖を呼んで逃げ腰になってしまったのが、敗因ではないのか、と解説している。

 

人数だけいても、統一がはかれていなければ組織としての強みはないも同然。。。

「結局、河越合戦における連合軍は、だれが主将か不明確で、それぞれの部隊も明確な目標を設定されていないまま戦いが始まったため、その弱みを露呈した」と、結論づけている。

 

なるほどね。

 

組織における「目標の共有」は、大事だ。

ほんとに。

VISION」や「MISSION」を繰り返しメンバーと共有するのは、無駄じゃない。

 

方法論はともかく、目指すものを共有しておくことが大事。

 

うん、なかなか、面白い本だった。

歴史好きなら、もっともっと面白いのだと思う。

 

戦い、という視点で見てしまうとただの歴史になってしまうけれど、これらのことから今の自分にどう生かすのか、と考えながら読むと、なかなか学びもある。

 

・粘り勝ち

・周到な準備

・目標の共有

 

なるほどね、と思う一冊。