『信長はなぜ葬られたのか 世界史の中の本能寺の変』 by 安部龍太郎

信長はなぜ葬られたのか
世界史の中の本能寺の変
安部龍太郎
幻冬舎新書
2018年7月30日 第1刷発行
2018年8月10日 第3刷発行

 

図書館の歴史の棚で見つけた。先日、明智光秀を読んだので、やっぱり本能寺の変って謎だな、と思っていたところだった。安部さんの本だし面白そうなので、借りてみた。

megureca.hatenablog.com

 

裏の説明には
”戦国時代は世界の大航海時代だった。スペインやポルトガルは世界中で植民地獲得に乗り出し、その波が鉄砲やキリスト教伝来と言う形で日本にも押し寄せていた。織田信長はこれにどう対処するかと言う問題に直面した、わが国初の為政者だったのだ。
安土城跡に発見された「清涼殿」の意味、スペインからの使者イエズス会ヴァリニャーノとの熾烈な交渉、そして決裂。その直後に本能寺の変は起きた。江戸の鎖国史観から見ていてはわからない、世界における本能寺の変の真実。信長が背負っていた真の孤独とは。”
とある。

 

感想。
面白かった。
確かに学校でならった歴史だと、なんとなく本能寺の変の本質がうやむやになって秀吉、家康の時代へ移っていくのだけれど、そのころ世界は大航海時代鎖国してしまった日本は、世界との関係に関する情報を隠してしまった。だから、世界との関係で語られることが少なかった戦国時代末期。これは、なかなか面白い話だ。

 

本能寺の変の裏には、単に明智光秀1人が謀反を起こしたということではなく、朝廷の思惑、秀吉の思惑、イエズス会の思惑など、様々な利害関係が入り混じっていたのではないかと言う事。歴史は、明智光秀ひとりに責任を押し付けた。朝廷にしても、イエズス会にしても、そのほうが都合がよかった、と。なるほどーーー!そういうこともあるかもしれない。教科書で語られる歴史は、まだまだ仮説にすぎないところがあるのだ。都合の悪い証拠は、その後の為政者が燃やしてしまったり、改竄したりするので、真実は分かりにくい。だからこそ安部さんのように様々な資料を調べ、ひもといていく歴史家の話が面白い。


目次
はじめに
第一章 消えた信長の骨
 秀吉が信長を見殺しにしたのか
 富士山麓に埋められた信長の首
 織田信長は、桶狭間の前年に上洛していた
第二章 信長の神の敵は誰か?
 正親町天皇の勅令が、織田信長を滅亡の危機から救った
 織田信長の覇業を影から支えた元関白
 織田信長を葬り去った闇の人脈
第三章 大航海時代から本能寺の変を考える
 隠された信長
 キリスト教禁教、イエズス会との断交
第四章 戦国大名キリシタン
 黒田官兵衛の実力とは?
 加藤清正の経済力
 北野大茶会の謎
 毛利家とキリスト教
 ポルトガルデウス号事件
 室町幕府終焉はいつか
 根強く広まるキリシタン信仰
 秋田のキリシタン弾圧
 徳川幕府キリスト教

 

目次を見ただけでも、何やら面白そうな新説の気配。教科書で習う歴史がある程度頭に入っていないと、何が新説なのかがわからないから、やっぱりこういう本を楽しく読むには、基礎知識が必要だ。このところ、日本史の本をあれこれ読んでいるから、ふむふむ、とそれなりに面白く読めた。まだまだわからないことも多いけど。歴史上でマイナーな、私にとってマイナーだった人たちも、このところ2回、3回と目にすることで、なんとなく記憶に残るようになった。やっぱり記憶の定着には、繰り返しの出会いが大事。。。

 

安部さんは、織田信長には昔から興味があって、いつか彼の小説を書いて突き止めたいと思っていた。そんなとき出会ったのが立花京子さんの『信長権力と朝廷』(岩田書院)の本だった。信長と朝廷の交渉経過を丹念に追って、両者の対立を浮き彫りにした画期的な本だったという。図書館で探しても出てこないので、マニアックな本なのだろう。

その本では、それまで天皇と信長の間に軋轢はなかったと言う一般的な解釈を覆し、両者の間に緊迫したやりとりがあったことが明らかにされた。安部さんは、目からウロコが落ちた、と。

 

安部さん曰く、日本史では、天皇や公家、寺社は政治とは関係がなかったかのように解くことが多いが、これは大きな誤りであり、公家も寺社も荘園領主や座の本所として大きな経済力を持っていたし、天皇は、征夷大将軍を始めとする官位を武士に与える権限を持っていた、と。確かに。明治維新のときだって、結局朝廷にたよった。

そして、立花さんの研究に触発されて、本能寺の変に取り込むことにした安部さん。

公家側の代表選手は、五摂家筆頭の近衛前久(このえさきひさ)。

近衛前久は、足利義昭のいとこに当たり、妹は、足利義輝の妻になっていた。つまり将軍家と近い立場にあり、室町幕府復権を目指していたということ。この辺の話は、前久を主人公とした『戦国秘譚 神々に告ぐ』(「戦国守礼録」)に書かれているらしい。そして、その後安部さんは『信長燃ゆ』を執筆。これはベストセラーになるだろうと思っていたけれども、思ったほど売れなかったという。それは時代が早すぎたのかも、と。後に本能寺の変を扱った小説の多くには近衛前久が登場し、信長と朝廷の軋轢が変の原因だと語られるようになったらしい。。私は全く知らなかったけど。

 

そして、その後も、変の背景を調べていくうちに、国内的な問題だけでなく、国際政治の対立があると言うことを突き止める。信長は、イエズス会を通じて、ポルトガルと友好関係を築き、南蛮貿易による利益や軍事技術の供与を得ていた。ところが、ポルトガルは1580年にスペインに併合されてしまう。すると、信長はスペインと新たな外交関係を築く必要に迫られ、イエズス会東アジア巡察師のアレッサンドロ・ヴァリニャーノと交渉を続けたが、合意に至らなかった。

イエズス会と手を切った信長は、自分を神として安土城内の摠見寺に祭らせ、家臣や領民に参拝するように求めていた。人間が神だなどの事はキリスト教徒にとっては絶対に許せないことだった。そしてイエズス会と信長との関係は完全に断絶する。

 

イエズス会との断交は、スペインとの断交を意味したイエズス会とスペインを敵に回したために信長政権は、途端に不安定化する。南蛮から入ってきていた輸入物が途絶えてしまうから。キリシタン大名南蛮貿易で富を得ていた豪商たちが信長を見限り始めたから。そして実はそれに乗じてうまいことやったのが秀吉で、秀吉の朝鮮出兵は、スペインの思惑に沿ったものだったという。日本にしてみれば、東南アジアの交易を支配しているスペインと友好関係を保たなければ、硝石や鉛、軟鋼や真鍮などの軍事物質が手に入らない。秀吉が明国征服を明言した1586年には、スペインと同盟をすれば、勝てる見込みが十分にあったのだ。しかし、スペインは1588年にイギリスとドーバー海峡で戦い、無敵艦隊の3分の2を失う大敗北を喫していた。それ故、スペインは、明に出兵する日本を後方から支える力を失っていたのだ。で、秀吉の朝鮮出兵失敗。。。

 

そうか、なるほど、海外との関係なくして、戦国時代の末期は語れないのだ。また、キリシタン大名の影響力も忘れてはいけない。そもそも、イエズス会において、ゴッドファーザーに従うというのは、洗礼を受けたものの当然の義務。そうして、禁教となった後にもゴッドファーザーの言葉にしたがうキリシタン大名は、多くいたのだ。

 

本書の最初の方は、信長が本当に目指していた天下統一の図式と死の真相について。信長のお墓は京都の阿弥陀寺にあり、遺骨を祀った清玉上人は、決して秀吉に遺骨を渡さなかった。かつ、信長の首塚静岡県西山本門寺にあるということ。それらの話と朝廷との関係や秀吉との関係について。後半は、イエズス会が及ぼした影響について。一向宗をつぶそうとしたのは、実はイエズス会だったとか。ついでに、聖徳太子厩戸皇子と名乗ったのも、イエス・キリストが馬屋でうまれたからだとか。

 

なかなか面白かった。

真面目に、歴史の勉強本(マンガも多いけど)ばかり読んでいた今日この頃、こういうピリリとスパイスのきいた本はやっぱり楽しい!

安部さんの本、もっと読んでみよう。

何が史実なのかは、自分の頭で考える。ま、考えてもわからないんだけどね。妄想も楽しい。