『木に学べ 法隆寺・薬師寺の美』 by  西岡常一 薬師寺宮大工棟梁

木に学べ 法隆寺薬師寺の美
西岡常一 薬師寺宮大工棟梁
小学館
1988年3月1日 第一刷発行

 

あぁ、これこそ、本当に本当の本だ。。。読み終わって、思わずニンマリしてしまう、著者に、出版社に感謝したくなる一冊。

 

知り合いが『ボイジャーに伝えて』が良いという話をしていた時、好きな本の話題で盛り上がった。そのときに、小林秀雄に詳しい友人が良いといったのが、本書『木に学べ』で、『ボイジャーに伝えて』を紹介して下さった方も、「あー、あれはすごくいい、西岡なんとかっていう宮大工の人の本」といっていたので、ぜひにも読んでみたくなった。

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1988年の古い本。図書館で借りてみた。ずしんと厚みのあるハードカバーの単行本。ぱらぱらめくると、うん、写真もあって、中は西岡さんの奈良弁の語り口のまま。なんとも魅力的な一冊。一瞬にして、あぁ、これは、素敵そう、、、と感じた。

そして、もう、読んでいて、うんうん、、そうかそうか、となんどもうなずいてしまった。へぇ~~こういう本があったんだ、なぜ今まで出会わなかったのだろう、と思った。

 

著者の西岡さんは、1908年生まれ。法隆寺棟梁西岡常吉の孫として誕生。法隆寺薬師寺宮大工棟梁。1988年、本書の出版時には80歳。16歳から祖父を師に大工見習をはじめ、1934年に初めて東院礼堂解体修理で棟梁となる。その後、法隆寺文化財保存事業、薬師寺金堂の再建、西塔再建など。。。とにかく、宮大工のすごい人。

 

読めばわかる。日本の木造建築の理にかなったすばらしさと美しさ。そして、それを守り伝えていくことの大切さ。西岡さんの、 関西弁混じりの柔らかな語りで綴られる文章はそれだけでも美しく、力強い。読んでいて、そうです、その通りです、おっしゃる通りです、と頭を垂れずにいられないという感じ。そして、心地よい。長年の経験に基づいた、確固たる信念であり、確信。揺るがない。まさに、世界最古の木造建築、法隆寺のような存在感。
言葉の一つ一つに、西岡さんの確信が充ち溢れている。自分の発する言葉に、逃げ道を作っていない。かっこいい。。。

 

本の内側に、法隆寺伽藍図、薬師寺伽藍図があるのだが、手書きだ。筆でかかれた手書き。これだけでも芸術作品のよう。法隆寺のカラー写真も、昔ながらのフィルム写真の色。やっぱりデジタルとは何か違う。くっきりしすぎていないところだろうか。読んでいるうちに、どんどん法隆寺薬師寺を訪れたくなる。

 

目次
第一章 千三百年のヒノキ
第二章 道具を遣う心
第三章 法隆寺の木
第四章 薬師寺再建
第五章 宮大工の生活
第六章 棟梁の言い分
第七章 宮大工の心構えと口伝

 

すべてが、西岡さんの語り。

”私に何か話す言うても、木のことと建物のことしか話せませんで。
しかし、いっぺんには無理やから、少しずついろんなこと話しましょ。”

と、始まる。
そして、
”棟梁いうもんは何か言いましたら、「木のクセを見抜いて、それを適材適所に使う」ことやね。” と。

”木というのは、まっすぐ立っているようでいて、それぞれクセがありますのや。自然の中で動けないんですから、生き延びていくためには、それなりに土地や風向き、陽の当たり、周りの状況に応じて、自分をあわせていかなならんでしょ。例えば、いつもこっちから風が吹ているところの木やったら、枝が曲がりますな。そうすると木もひねられますでしょう。木はそれに対してねじられんようにしようという気になりまっしゃろ。こうして木にクセができてくるんです。”
と。

1300年たってもちゃんと建っているのは、木のクセをちゃんと知ってつくっていたから。飛鳥時代の大工は、心から法隆寺を作りたくて熱心に作った。聖武天皇の時代に量産した国分寺はほとんど残っていない。大工がいやいや作ったからだ、と。

 

全部、こんな感じで、西岡さんの語り。

 

第一章では、樹齢1000年のヒノキを使えば、建物は1000年もつという話。だから、法隆寺は、1300年のヒノキで、1300年持っている。たしかに、すごいことだ。そして、ヒノキというのは、同じ緯度でも中国やアメリカにはないそうだ。日本、そして台湾にしかない。また、高さ50mの木には50mの根があるという。そんな貴重なヒノキだが、日本にはもう樹齢1000年のものは無く、西岡さんは台湾までヒノキをもとめていかれたそうだ。

 

西岡さんの言葉が胸に響く。
”みんな生産、生産ということをよく言いますけど、鉄を生産した、石油を生産した言うても、あれは地球の中から出しただけですが。ですけど農山林資源はほうとうに作り出すんや。太陽の光合成でね。一粒の米から何十石という米ができるんや。それなのに日本は工業立国なんていいますが、工業じゃ立国できません。農業立国やないとあきまへん。でないと滅びます。アメリカはそれをよう知っとる。自分の農業守るためにオレンジ買わし、小麦買わしてる。日本は工業立国で自動車こうてもらわんといかんというとるけど、これはどういうことやと思います。日本の血と脂を売っているようなもんです。自然を忘れて、自然を犠牲にしたらおしまいですね。自動車売って儲けてお金を農山林業にかえさんと自然がなくなってしまいます。”

たしかにマイニングは、生産というのとはちょっと違う。土地を耕しても土地を生産したとは言わない。鉱物を掘りだして生産したといって換金するのは、確かに価値創出ではあるけれど、、、、物質生産ではないんだな。うむむ。

 

第二章では、さまざまな大工道具の話。道具を大事にしなさいというは当たり前の話だが、弟子が独立するときは、師匠より良い道具をもたせるそうだ。そして、その道具をもって 立派な仕事が出来ないわけがないだろう、というプレッシャーになるのだと。ヤリカンナという道具の話が最初にでてくるのだが、なにかとおもったら、ヤリの形をしたカンナ。柔らかな木面を作ることができるのだが、良いヤリカンナをつくるには良い鉄が必要で、高炉でつくったような鉄ではだめなのだそうだ。
和釘は、西洋の釘のように、丸い頭がない。でも、頭がなくても抜けないように、しっかりと木と結びつくのだそうだ。和の技術、おそるべし。
斧には、三つのスジあるいは四ツのスジが刃のところにきざまれている。3本はミキといって御酒。4本はヨミといって、「地水火風」。こうした刻みをいれた斧を、木を切る前に、その木にもたせかけて拝むのだそうだ。「これから木伐らせてもらいます。ありがとうございます。」って。本来ならお酒や五穀を備えるところが、山の中だからこういう形にしたのだろうと。今の鍛冶屋さんも使う方も、なんで斧に刻みがあるのか知らない、と。
電気ガンナは、回転するもの。あれは、切るのではなく、ちぎっている。電気ガンナで削ったモノは、ほっておいたら1週間でかびてくる。ヤリガンナなら、水がスッと切れてはじけてしまうそうだ。
切れない包丁できった玉ねぎは涙がでるけれど、良く研いだ包丁できると涙が出ないのといっしょかな。スパっときると、細胞がつぶれない。包丁も同じだね。

 

第三章では、法隆寺について。第四章では薬師寺について。法隆寺薬師寺とでは、時代が違う。法隆寺は、聖徳太子飛鳥時代に学問のために建てたお寺。一方の薬師寺は、法隆寺のおよそ50年後に聖武天皇が自分の奥さん、つまり中宮(のちの持統天皇)の病気回復のために建てた信仰のお寺。

二つのお寺の特徴を比べると、法隆寺は強く、薬師寺は強いものを優しくみせようとしている、と西岡さんは言う。仏像も、法隆寺のほうが怖い顔をしていて、薬師寺の方がやさしい、と。

法隆寺は、室町時代に改修された部分があり、それを飛鳥時代の建築部分と比べると、明らかに装飾的になっているのだそうだ。また、回廊の東西の長さが異なるのは、講堂を中心に五重塔と金堂を配したとき、より大きな金堂のある場所が狭く感じないようにさせるためだとか。伽藍というのは、回廊があって完成するものだという。

法隆寺の回廊の室町時代飛鳥時代の作りの違いの見方。相輪の美しさ、夢殿がなぜ八角形なのか、宝珠の美しさ、地相にいかにあっているかなど、法隆寺の魅力がたくさん語られる。
法隆寺の五重の塔は、各階の四つの角の部分、隅木(すみぎ)が最上階までずー-っと一直線に並んでいる。木のクセをみて、ちゃんとつくっているからそうなのだそうだ。時代が新しくなって作られた塔はこうはいかないのだと。

中門の話では、梅原猛さんの「聖徳太子の怨霊が伽藍からでないようにするため、中門の真ん中に柱をおいた怨霊封じだ」という説を、そんなことはないんです、と全否定。仏教というものに呪いとかそんなもん、ありません、と。金剛力士(仁王)は片方が赤く、片方が黒い。人間は煩悩があるから黒い。中に入って、仏さんに接して、悟りを開いて出てくると赤くなる。中門の真ん中に柱があるのは、その入り口と出口をわけているのだと。

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薬師寺も同様に、金堂の装飾にペルシアのぶどう、ギリシャの唐草、インドのストゥーパ、中国の四神がかざりとして掘られていること、東塔は多くの改修を重ねているが、西岡さんが作り直した西棟は、東塔より創建時にちかいはずであることなど、こちらも魅力満載。
もしも台風や地震で西塔がたおれて、東塔が残ったら、「わたしは腹切って死ななきゃならん」と。匠の言葉におもわず、ふふふ。

薬師寺三蔵院の上棟式で西岡さんがあげた祝詞が紹介されている。
「三蔵院絵殿上棟祝詞、つつしみ、つつしみ、おそれみ、おそれみて申す。かけまくも、かしこ神代のいにしえ、たくみの道のとおつおや神たちの宮づくりのわざの、のりをはじめ給える。。。。。。。。」
おもわず、音読したくなる感じ。

西岡さんは、構造物は社会だという。斗、皿斗、柱、それぞれ個人個人。それぞれが自分の力を発揮して、組合わせて、崩れにくいものができる。なるほど。

 

第五章~七章では、西岡さんの宮大工としての人生論。宮大工としておじいさんに教えてもらった口伝など。
人の心がわからないようでは、人をたばねてはいけない」と。人の心をわかるようになるには、大工だけしていてはダメ。掃除、洗濯、子守り、、、母親からやかましいほどやらされたのは、すべてつながっていたのだと。”しまいには、寿司までまかされました”って。

そして、技術も技法も実際にやって覚えるものです、と。
”数をふまんとおぼえられません。法隆寺の修理・解体という大事業にあたってはじめて、わかったことがたくさんありますのや”と。

 

法隆寺薬師寺、どちらもじっくり訪れたくなる。 

なんとも、心が洗われるような感じの一冊だった。

 

やっぱり、経験するって大事だ。実際に経験せずにあれこれ言っても、言葉に重みがない。やっぱり、経験に裏打ちされた言葉って強いなって思う。

 

何歳になっても、経験は積み重ねることができる。毎日生きている限り、経験のチャンスはある。そのチャンスを自分のものにするかどうかは、自分次第。

80歳の心からの言葉は、ずしんと響いた。

 

いい本だった。

これは、どんな人にもかなりお薦め。

素直な気持ちで、はい、そうです、って読める。

 

読書は、楽しい。