「隠された十字架  法隆寺論」 by  梅原猛

隠された十字架
法隆寺
梅原猛

昭和56年4月25日 発行
平成16年6月15日  45刷
新潮文庫


先日、「日本人は思想したか」で、吉本隆明さん、梅原猛さん、中沢新一さんの鼎談を読んだ。その中で梅原さんが、ご自身の著書について言及されていて、それが「隠された十字架 法隆寺論」だった。

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そもそも法隆寺にも、聖徳太子にも、私はそんなに詳しくないのだが、「法隆寺」と言う言葉と「十字架」と言う言葉の組み合わせが気になったので、図書館で借りてみた。なかなか分厚い新潮文庫

 

秦恒平さんの解説、年表を含めると、なんと602ページ。だいぶ、分厚い。

 

著者の梅原猛さんは、大正14年(1925年)仙台生まれ。
昭和23年、京都大学哲学科を卒業。立命館大学教授、京都市立芸術大学学長を経て、多方面で活躍された哲学者。2019年に、93歳で亡くなられている。

 

「隠された十字架 法隆寺論」は、当時季刊紙だった「すばる」に3回にわたり連載ののち、昭和47年5月に出版され、版を重ねつづけてきた。その間に、厳しい批判や反論も現れたものの、平成16年で45刷、というのだから、すごい。

梅原さんがこの本で語っているのは、法隆寺聖徳太子一家の怨霊を鎮めるために建てられた寺だ、という仮説。

 

法隆寺は怨霊鎮魂の寺。美しく妙(たえ)なる法隆寺像は、この本によって崩壊する。
大胆な仮説によって、学会の通説に華麗な挑戦を行い、推理小説のような面白さで真実の古代思想を蘇らせた知的冒険の書。”
と、単行本の帯に、こういう文章が刷り込んであったそうだ。
秦恒平さんの解説)

 

梅原さん自身が言っているのが、
”この本を読む際にして、読者はたった1つのことを要求されるのである。それは物事を常識ではなく、理性でもって判断すると言うことである。
私は哲学を天職として選んだ。
哲学の仕事は常識を否定して人々を懐柔の中に突き落としそこから新たに根源的な強いを始めさせようとする仕事である。”
ということ。

 

本は、梅原さんがたてた法隆寺は怨霊鎮魂の寺だ、という仮説を如何に証明していくか、というもの。

 

私にとって、法隆寺法隆寺で、怨霊鎮魂でも、仏教万歳でも、なんでもいいのだが。。。。ちょっと、面白そう。梅原さんの文章は、骨があるというか、なんというか、骨太な感じ。理性でもって、理論でもって書かれているからかもしれない。

分厚くて、一瞬、読むことを躊躇したのだけど、せっかくなので、法隆寺に関する勉強だと思って、よんでみた。
歴史素人なりに、面白かった。

 

途中で、法隆寺の復習をした。

(参考図書:いっきに学び直す日本史 古代・中世・近代 教養偏 東洋経済新聞社)


法隆寺 
厩戸王(うまやとおう)(聖徳太子 574~622年)が斑鳩に建てた寺、と言われている。聖徳太子は他にも大阪難波四天王寺など、全部で7つもの寺を立てている。仏教のお寺。時は飛鳥時代仏教文化といわれるくらい、仏教のお寺がたくさん建てられた。法隆寺は、たくさんのお寺の中でも特に重要で、五重塔・金堂や回廊の一部は、当時の建築様式をよく伝え、現存する世界最古の木造建築物。

 

 

世界最古だって!!しらなかった。

そういわれると、何十年も前に、学校で習ったような気もしなくもない・・・。

で、教科書にも、「聖徳太子が建てたと言われている」と書かれているわけだが、いや、聖徳太子の鎮魂のために建てられたのだ、というのが梅原さんの説。

 

法隆寺は、607年に創建されたが、「日本書紀」に天智天皇のとき670年に全焼した、と記されている。この記事から現在の法隆寺は再建されたと言う説と、建設の様式から創建当初のものであるとの説があった。
「年輪年代測定」という科学的手法による分析結果から、現在では、再建された、という説に落ち着いている。

ということで、やはり、創建は聖徳太子かもしれないけれど、現存しているものは、その後、再建されたもの、という説は支持されそうだ。

 

また、法隆寺の建設には、柱の中央よりやや下の部分に膨らみが持たせてあり、ギリシャのエンタシス様式が認められるそうだ。仏教って、やはり元をたどれば、西に、西に、、つながっていく。

 

あぁ、こんなことなら、9月に国立博物館でやっていた、”聖徳太子1400年遠忌記念 特別展「聖徳太子法隆寺」”にいっておけばよかったなぁ、、、。気になったのに、行かなかった。

やはり、気になる展覧会は躊躇せずに行くべきだ。。。。


聖徳太子に対する冒涜かもしれない、と言いつつ、梅原さんなりの「法隆寺は鎮魂のためのお寺だった」と言う説を裏付けするような、梅原さん理論が展開されていく。

 

もともと歴史に詳しいわけではない私にとっては、何が一般的に言われている常識かもわからない中で、梅原さんの理性的な説明についていこうとしながら本を読んでみた。

 

「十字架」と言う文字に、どこかでキリストの話が出てくるのかと思ったが、そういうわけではなかった。
ただ聖徳太子は、イエス・キリストのように厩戸で生まれたと言われている。そして聖徳太子弥勒になって復活したとも言われる。

そう考えると馬小屋で生まれて、死後に復活する人と言う生涯は、聖徳太子イエス・キリストのような人と言う説があるのもわからなくはない。梅原さんはそうはいっていないけど。 

 

本書の初めの方に、法隆寺の7つの謎、が紹介される。一般的に言われる7つの謎。そして、石田茂作さんの「法隆寺雑記帖」に紹介される7つの謎。そして、梅原さんにとっての7つの謎。

自分自身の疑問を最初に提示し、それを順に謎解きしていく。

骨太な文章。

読み応えがある。

なにが正解かはわからないけれど、こうして論ずることが楽しい。

だから、梅原さんの文章は楽しいのかもしれない。

 

法隆寺の救世観音は、フェノロサによって、夢殿から発見されたのだそうだ。そして、モナ・リザと比較されている。なかなか、興味深い。

 

法隆寺が、聖徳太子の怨霊鎮魂の寺であるとういことの真偽は、まぁ、歴史の不思議として取っておくとして、仮説をたてて、それを立証していこうという試み、そのものが面白い。

歴史の真実は、やはり、なぞだと思うけど。

 

世のなか、白黒はっきりつかないことはたくさんある。

過去のことですらそうなのだから、未来のことなんて、わからない。

現在だって、わからない。

でも、あーでもない、こーでもない、、、って妄想してみることが楽しい。

 

明るい未来を妄想しよう。

歴史に触れると、未来を妄想したくなる。

人の思考は、時空を超える。

そして、思考しない限り、未来は創れない。