五輪書
宮本武蔵
城島明彦 現代語訳
致知出版社
平成24年12月10日第一刷発行
齋藤孝著『読書する人だけがたどり着ける場所』で、「思考力を深める本」として紹介されていた『五輪書』。
云わずと知れた名著だ。図書館で検索していたら、「現代語訳」があったので、借りて、改めて読んでみた。
表紙には、
”全文をとことん読みやすくしました!
76分で読めます(20代30代10人平均値)
いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ⑤”
と書いてある。
76分?なるほど。
確かに、30分の電車の往復で、大方を読み終わった。やはり、現代語になっていると圧倒的に読みやすい。たまにでてくるカタカナが、原本はこうじゃないだろう、、、と思わなくもないけれど、読みやすい。
”棟梁のマネジメント能力”
”はたく拍子(タイミング)がドンピシャリだと、”
”体や足をスピーディーに”
等と出てくると、原書ではどういう言葉だったのだろう???と気になってしまう。宮本武蔵が、マネジメント能力とか、ドンピシャリだとか、、使うとは思えない。
まぁ、でも、内容を理解するにはこういう現代語訳はありがたい。一方で、やはり原書で読むことも大事だな、、、と思う。理解するのに倍以上の時間がかかるけど。
表紙裏の説明には、
”『五輪書』は、人生のさまざまな局面に待ち受けるさまざまな敵との戦いに勝つためのノウハウを記したビジネス書であり、乱世を生き抜くヒントを与えてくれる人生の指南書でもある。”
とある。
そして、
”底本は、岩波文庫『五輪書』(宮本武蔵著/渡辺一郎校注)。
宮本武蔵は、客分として遇されていた熊本藩の初代藩主・細川忠利の命を受けて『五輪書』を執筆したが、武蔵直筆の書は現存しておらず、流布本が多数存在するのみである。武蔵の執筆動機を考えると、流布本の中でも「細川家元」が最も信頼でき、それを原点とするのが理想的である。
そうした方針で編まれたのが、日本思想大系61『近世芸道論』所収『五輪書』(1971年岩波書店)で、岩波文庫版はこれを底本とし、さらに同書の誤写等を訂正するなどしており、1985年の初版以来、版を重ねていて読者にもなじみが深く、本書の拙訳と原典を対比したい人のことも配慮して、コンパクトな岩波文庫を底本として採用した。”
と。
出版社の致知は、もともと、人生指南のためにあるような雑誌だ。私もサラリーマンのころは、メールマガジンを読んでいた。なにかと目の前のことに追われがちなサラリーマン生活をしていると、致知が発信する言葉は、自分を取り戻すきっかけになる。しかも、私の好きな言葉がたくさんあった。今ではフーテンの私だが、意外と一生懸命、人生について考えている。。。
「はじめに」で、五輪書がどのような本なのか、説明がある。1970年代にビジネスマンを中心にベストセラーになったことがある、と。
私が初めて『五輪書』を読んだのは、1990年代、社会人になってからだと思う。確かに、ビジネス書、あるいはリベラルアーツの一つとして手に取ったのかもしれない。でも、時代ものが好きだった私には、時代劇の延長のような感覚で読んだ。もちろん、吉川英治の『宮本武蔵』も読んでいたので、チャンバラ物の延長、、、って感じだ。チャンバラというと怒られちゃうのかな。
今回、こうして読み直してみても、やっぱり、こりゃチャンバラの指南書でしょ、、、、という気がしなくもない。だって、「敵を倒す」「敵を殺す」が究極の目的だ、と言っている。確かに、1970年代~1990年代、ビジネスで勝つというのは競合を倒すと同義だったかもしれない。だから、ベストセラーになったのか。
一方で、今読んでも、やはり心に響くものがある。戦うべき相手は、決闘の相手でもなければ、競合でもない。自分自身と置き換えて読むといいのかもしれない。こういう本は、いかに自分の頭の中で、アナロジーを展開出来るかによって、記憶の残り方が違う。ただ、刀の振り回し方、敵との対峙のしかたと思って読めば、普通の人には実践で役立てる機会はほとんどないだろう・・・。敵の急所を一刺し、、、なんて、、、殺人だ・・・。でも、何か共通する精神論的なものが、ビジネスにつながって見えると、良書に思えてくるのだろう。
たしかに、かっこいい。
この文章は、かっこいいのだ。
何の迷いもない。
宮本武蔵が確信したことが、確固たる言葉で明言されている。
ま、現代語訳だから、ちょっとちがうかもしれないけれど、、、。
この、ブレない感じが、一つのお手本なのだと思う。
やはり、名著だ。
人生の指南書だ。
目次
地之巻
水之巻
火之巻
風之巻
空之巻
武蔵が『五輪書』を描いたのは、60歳になってから。その出だしはこうだ。
”わたしは、自分の兵法の道を「二天一流」と命名し、長年鍛錬してきたが、思うところあって、初めて書物にしてのちのちまで残したいと決意するに至った。”
と、13歳から28,9歳までに60回の勝負をしたけれど、一度も負けることがなかった自分を振り返り、鍛錬し、精進を重ねたことで兵法の真髄を体得できたので、50歳を過ぎて、それ以上追い求める道がなくなった、と書いている。
そして、兵法の流儀を、馬術、諸芸など他のあらゆるもののやりかたに当てはめてきたので、人生のすべてに師匠というものはない。だから、ここに、自分の言葉で、この書を書き記したい、と。あえて、仏法・儒教の古来の言葉を引用したりすることなく、自分の言葉で書くのだという決意が最初に述べられる。
このあたり、最初からど~~~んと、人生指南書だ。
自分の言葉で語る。
何からの引用もなく、それができる人が、今日日どれほどいることか。。。。松下幸之助だって、「青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ」というアメリカの詩人サミュエル・ウルマンの言葉を引用して自分の言葉にしていた。
本書は、宮本武蔵の言葉、そのものである。
だから、強く響くのだろう。
読んでいて、寄り道しない。まっすぐに、剣の道へ導いてくれる。
ただ、その「兵法の道」は、ただ兵法を学べばいいのではなく、「文武二道」(文武両道)が重要で、「兵法の功徳」が大事なのだといっている。
そこが、ただのチャンバラ指南書ではない、武蔵の言葉の重みなんだろう。
大工の棟梁が、木を選別する「木配り」と職人をつかう「人材配置」が大事であって、大工はその道具を理解して大事にすることが大切であるように、兵法の道理も、目に見えない思考と目に見える道具を大事にすることが大切、というアナロジーがでてくる。
棟梁が木を選ぶ、木配り。先日読んだ、西岡さんの『木に学べ』と重なる。
ビジネスの視点で考えても、文武両道であるように両面をもつことは大事だ。専門性をもつこととジェネラルな見識を持つこと、それがあって初めて専門性を活かすことができる。先日、エグゼクティブサーチファームの方が、人の上に立つ人物がリベラルアーツを身に着けることの重要性を話されていて、宮本武蔵の言う「文武二道」というのは、リベラルアーツを身に着けているということと近い気がした。そういう点でも、五輪書は人生の指南書なのかもしれない。
どの言葉も、なるほどな、って思うところはある。
風之巻にでてくる
”何ごとでも、し慣れたものをやるときは、はた目にも決して急いでいるようには見えないものだ。”
という言葉は、「急ぐ」というのと「速くやる」あるいは「慌てる」というのはちがうのだということ。やたら急ぐのはよくない、とも言っている。
敵がむやみやたらに急いでいるときは、こちらは逆に冷静にどっしりと構えて、相手のペースにひきずりこまれないようにすることが肝要である、と。
また、武蔵は、二天一流の兵法を伝えるにあたっては、誓約書や罰則の類はよしとしない、といっている。道を学ぶ者それぞれの智力を判断し、まっすぐで正しい道を教える。そうすることで、自然と真の道へと進み、迷うことなどないように導くことこそが吾が教えの道だと。
本書は、たしかに現代語で読みやすく、1時間半もあれば読み切れる。
ただ、やっぱり、、、今どき言葉っぽく、重さには欠けるかもしれない。
内容を理解するには、とてもありがたい現代語訳。でも、言葉の重みは、やはり原書なのかな。意味を本書で理解してから、岩波文庫を読むといいかもしれない。
五輪書、やはり、名著である。
ちなみに、最後の解説にあったのだが、宮本武蔵が生まれたのは、1584年、織田信長が明智光秀に殺された「本能寺の変」の二年後だそうだ。かってに、江戸時代の人の気がしていた・・・・。亡くなったのは、徳川三代将軍・家光の時代、1645年。五輪の書を書いた翌年、62歳でなくなった。死因は、がん。一度も妻帯しない人生だった。