『絶望名人 カフカの人生論』 by フランツ・カフカ、 頭木弘樹

絶望名人 カフカの人生論
フランツ・カフカ
頭木弘樹
株式会社飛鳥新社
2011年11月3日 第1刷発行
2011年11月25日 第3刷発行

 

頭木さんの本だから、図書館で借りてみた。2011年の本。わりと最初の頃の作品。ひたすら絶望に向かっていくカフカの作品の中から文章が引用され、それについての頭木さんなりの解説が述べられている。見開き2ページの右側にカフカの言葉、左に頭木さんの言葉って感じ。文字も少なく、あっという間に読める。だから、どこまでも深く深く絶望の言葉が続く。

 

表紙を開くと、真っ黒い紙に白い文字。

 

”すべてお終いのように見えるときでも、
まだまだ新しい力が湧き出てくる。
それこそ、お前が生きている証なのだ。”

そして、ページをめくると続きの文字

 

”もしそういう力が湧いてこないなら、
そのたきは、すべてお終いだ。
もうこれまで。”

 

解説も説明もいらないくらい、クリアな絶望、、、

はじめに、に語られる言葉が、この本の核心かもしれない。

 

”心が辛い時、ほんとに必要な言葉は?
世の中にはたくさんの名言集があります。
その中には、たくさんのポジティブな言葉があふれています。
例えば、


All our dreams can come true, if we have the courage to pursue them.
追い求め続ける勇気があれば、すべての夢は叶う。
ウォルト・ディズニー

 

確かに素晴らしい言葉だけれども、本当に辛い時にこういう言葉が果たして心に届くのか"

と頭木さんは問う。

 

ピタゴラスの逆療法」と言って、現代の音楽療法で「異質への転導」と言う考え方がある。悲しいときには、悲しみを打ち消すような明るい曲を聴く方が良いということ。一方で、ギリシャの哲学者、アリストテレスは、「その時の気分と同じ音楽を聴くことが心を癒す」と主張した。
これはアリストテレスの同質効果」と呼ばれている。

両者の意見は真っ向から対立しているが、実は両方とも正しいということが今ではわかっている。

 

まず最初は悲しい音楽にひたる。アリストテレス、同質の原理。
その後で楽しい音楽を聴く。ピタゴラス、異質への転導。

と言うふうにするのがベストだそうだ。

まぁ言われてみると、そんな気もする。

 

そして音楽と同様に、名言にも同じことが言えると。

まずはネガティブな気持ちにひたり切ることこそ大切なのです”と頭木さんはいう。

なるほど。

そして、どこまでもネガティブになりたいときにぴったりなのがカフカの作品ということ。これでもかと言うほど、絶望的な言葉が並ぶ。

 

頭木さんの、カフカの紹介を引用しよう。

 

”彼は何事にも成功しません。失敗から何も学ばず、常に失敗し続けます。
彼は生きている間、作家としては認められず、普通のサラリーマンでした。
そのサラリーマンとしての仕事が嫌で仕方がありませんでした。でも生活のために辞められませんでした。
結婚したいと強く願いながら、生涯、独身でした。
体が虚弱で胃が弱く不眠症でした。
家族と仲が悪く、特に父親のせいで自分が歪んでしまったと感じていました。
彼の描いた長編小説は、全て途中で行き詰まり未完です。
死ぬまで、ついに満足できる作品を書くことができず、すべて焼却するようにと言う遺言を残しました。

そして、彼の日記やノートは、日常の愚痴で満ちています。”


どうだろうか。ほんとに恐ろしくネガティブだ。
頭木さん曰く、

”あまりにも絶望的でかえって笑えてくる。”
と。

そして、頭木さんは、この絶望したカフカの言葉に救われたのだ。だから、こうしてカフカの言葉をたくさんのところで紹介している。

そんなカフカだけれども、友人のマックス・ブロートが、カフカの遺言に従わずに、彼の原稿を発表したことで、現在に残る名作家の1人となっている。そして多くの作家たちに尊敬されてもいる。

安部公房ミラン・クンデラサルトルウッディ・アレンなどの人々のカフカへの称賛の言葉が紹介されている。

そんなカフカの究極の言葉が、最初に紹介した、「もうこれまで。」で終わる文章。

改めてカフカの作品を読みたいなと思う1冊だった。

 

目次
はじめに
第1章 将来に絶望した!
第2章 世の中に絶望した!
第3章 自分の身体に絶望した!
第4章 自分の心の弱さに絶望した!
第5章 親に絶望した!
第6章 学校に絶望した!
第7章 仕事に絶望した!
第8章 夢に絶望した!
第9章 結婚に絶望した!
第10章 子供を作ることに絶望した!
第11章 人付き合いに絶望した!
第12章 真実に絶望した!
第13章 食べることに絶望した!
第14章 不眠に絶望した!
第15章 病気に絶望、、、、していない!


どうだこの圧巻の絶望っぷり。


読んでいると、最後には耐え難くなるくらい、、、の絶望っぷり。

ホントのところ、カフカは、絶望してたのだろうか?世の中をシニカルに見ていたと言うだけで、絶望しながら笑っていたのではないだろうか、なんて気さえしてくる。

しかし、父親との関係の事は、確かにかなり悲惨だったようだ。とは言っても育児放棄されたとか、虐待されていたということではない。逆に過剰な干渉ということなんだろう。

特に、印象的だった文章を覚書。

 

・「人生の脇道にそれていく」
生きることは、たえずわき道にそれていくことだ。
本当はどこに向かうはずだったのか、
振り返ってみることさえ許されない。
 ー断片ー

 

・「自分を信じて、磨かない」
幸福になるための、完璧な方法がひとつだけある。
それは、
自己の中にある確固たるものを信じ、
しかも、それを磨くための努力をしないことである
 ー罪、苦悩、希望、真実の道についての考察ー


・「巨人としての父親」
父親が世界のすべてを支配していたことを責めるカフカ。それに対する、頭木さんのコメントが印象深い。

成功体験とコンプレックスが同居すると、人は攻撃的で独善的になってしまいやすいものです。コンプレックスのせいで、他人を否定し、自信があるだけに揺るがないのです。”

 

カフカの父親は、とても貧しい家に生まれ、飢えや寒さに苦しみながら、幼い頃から働かなければならなかった。けれど、彼には体力も根性も商才もあった。ついに、自分だけの力で店を持ち、それを繁盛させた。裸一貫から1代で財を成した人物。それでも十分な教育を受けられず、ドイツ語を使いこなすことができないというコンプレックスを抱えていた。それが、チェコ人やドイツ人、さらにはユダヤ人を罵倒するといった行動につながっていた。そんな父を批判するカフカの言葉が並ぶ。

そういう父親の姿を見ているというのは、カフカにとっては辛いことだったのだろう。

 

・「出張のせいで、だいなしに」
『変身』に対するひどい嫌悪。
とても読めたものじゃない結末。
ほとんど底の底まで不完全だ。
当時、出張旅行で邪魔されなかったら、
もっとずっと良くなっていただろうに、、、。
 ー日記ー


『変身』は、いわずとしれた、カフカの代表作。でも、カフカにとっては、作品の世界に入り込んでいたのに出張で邪魔されて、思うようにうまく書けなかった、という絶望の作品なのだ。。。。いやぁ、かなり突飛だけど、お話としては興味深かった気がするけれど、、、、今度読み直してみよう。

 

・「結婚することにも、しないことにも絶望」
僕は彼女なしで生きることができない。
、、、、しかしぼくは、、、、
彼女と共に生きることもできないだろう。

 ー日記ー

頭木さん曰く、

”男性も、女性も結婚しない人が増えているのも、現実を恐れ、逃げ続けている人が増えているからなのかもしれません”と。

この時のカフカの彼女は、フェリーツェという女性。フェリーツェとは、二度婚約して、二度婚約破棄した。。。。
アンビバレント」の典型。気持ちが両極端に揺れ動いてしまう。。。まるで10代の少女の恋愛のよう、、、。

 

・「結婚こそが現実入門」
女性は、いやもっと端的に言えば結婚は、
おまえが対決しなければならない実人生の代表である。
 ー八つ折りノートー

 

頭木さんのコメント。
”男性も、女性も結婚しない人が増えているのも、現実を恐れ、逃げ続けている人が増えているからなのかもしれません”
おっと、痛いこと言ってくれるね、、、、 。

 

と、さらりと読める言葉と、ぐさりと刺さる言葉と。

カフカを読み直してみないと、、、。

 

カフカは文字にして書くことで、絶望や苦しみからなんとか現実の世界とのつながりを維持しようとしたのではないだろうか。書くことで癒されたい、なんて思っていたわけではなく、書くことでしか生きていけなかった。そんな気がしてくる。

 

オブライエンは、書くことはセラピーとは思わないと言っているが、やっぱり、私にとっても書くということは何らかの頭の整理につながっていて、書くことによって、肩の荷を下ろすっていうことはあるように思う。

megureca.hatenablog.com

話し上手な人は、話せばいい。話すのが苦手な人は、書けばいい。それも苦手なら、音楽でも、アートでも、詩でも、、、表現することで救われることはあると思う。

 

カフカ、読み直してみよう。