『持たざる国への道 高橋是清暗殺後の日本』 by  松元崇 (その2)

持たざる国への道 高橋是清暗殺後の日本
松元崇
財団法人大蔵財務協会
平成22年7月29日 印刷
平成22年8月10日 発行

 

目次
第一部 持たざる国への道
 第一章 先の戦争は何だったのか
 第二章 国際社会からの離脱 二度に渡った上海事変
 第三章 中国戦線の実態
 第四章 「持たざる国」への道 軍靴に押しつぶされた戦争回避路線
 第五章 「持たざる国」の財政 臨時軍事費特別会計
 第六章 誤算による日米開戦
 第七章 先の戦争が残したもの
 第八章 軍部の暴走を許したもの

 

第二部 金本位制とはなんだったのか
 第一章 金貨の流通が見られない金本位制 江戸の通貨制度
 第二章 明治憲法下の金本位制
 第三章 明治憲法下の日本銀行
 第四章 英米中央銀行 財政と金融の調和のとれた政策運営

 

第三部 明治憲法下の義務教育
 第一章 義務教育制度の導入
 第二章 国の助成の本格化
 第三章 高橋是清の受けた教育

おわりに
年表
参考文献
索引


 昨日の続き。

1936年(昭和11年)、2・26事件で高橋是清が暗殺され、財政規律は崩れ、軍事費は国民総生産の40%台(昭和18年、90%台昭和19年にもなって国民経済を飲み込んでいったようすが、昨日までのところ。

 

昭和16年、日本が大英米戦に突入すると、財政規律が完全に失われ経済面で深刻な混乱対立が生じるようになった。 

松元さんは、”そもそも東条英機自身が経済財政の基本原理を理解しない指導者であった。”と書いている。


更に本書から引用すると、
昭和10年末、高橋是清は暗殺される前の最後の予算閣議で、強硬に軍事費増を要求する軍部に対して、「(陸軍幼年学校のように)社会と隔離して特殊な教育をするということは、片輪を作ることだ。陸軍では、この教育を受けた者が嫡流とされ幹部となるのだから常識を欠くことは当然で、その常識を欠いた幹部が政治にまでくちばしを入れるとは、言語道断、国家の災いと言うべきである」と述べていた。”
と。

偏った教育は、正しい判断を下せなくさせる。さもありなん・・・。教育は大事なのだ。本当に、国家をつくるのは教育なのだ。

 

高橋是清は、軍による財政への口出しに、強い態度で反対した。だから、暗殺されてしまった。そして、陸軍の好き放題の動きとなり、悲劇の戦争に突入した。。。

 

陸軍の暴走が戦争につながったという話は、よく聞くことではあるが、それと高橋是清との暗殺が、盧溝橋事件とつながっていた歴史のながれが、本書を読むとよくわかる。

 

第一部第6章 誤算による日米開戦では、日米戦争の時よりも日露戦争の時の方が、経済格差は大きかったことが述べられている。 日露戦争の時との決定的な違いは、日英同盟を背景に欧米金融市場での戦費調達を期待できたのが日露戦争だったのに対して、日米戦は世界の金融市場から孤立して戦わなければならなかったということ。 戦争突入後には、「石油の一滴は血の一滴」と言われ、松の根から油の生産が真面目に行われた。でも松の根から生産された油にはゴムの含有量が多かったため、航空機用にはならず、自動車エンジンに使用してもショートなどの支障を生じさせた。なんて愚かな・・・・。
かつ、松の根を掘り起こしたことは、昭和20年代に台風・豪雨時に各地で大きな土石流が発生する原因にもなった。もしかすると、その後遺症は今も続いているのかもしれない。

 

第一部第8章では、明治憲法が なし崩しになっていった話から、「憲法」の語源「Constitution」の本来の意味について説明される。
Constitutionとは、体質、気質、性質と意味を持つ言葉で、 もともと成文法だとか、不変だとかいった意味は無かった。でも、明治期に「憲法」と訳したことで、憲法典を表す意味となってしまった。
Constitutionの使い方の事例が示されている。

have a cold constitution
冷え性

build up a strong constitution
「体を丈夫にする」

だそうだ。さすが、松元さん。。。

憲法は、作っておしまいなのではなく、その中身と実行が大事なのだという文脈の中で出てきた話。

 

第二部では金本位制、第三部は義務教育と続く。 

金本位制の話は、明治、大正時代に遡る。海外との貿易が活発になり、為替の安定が重要になっていったことから、通貨制度が整えられていく様子が語られる。それは、簡単な道ではなかった。日本も国際金融の中で、色々ともがき、学びながら仕組みをつくってきたのだな、ということがわかる。
天災による経済への影響もあった。大正12年日本銀行関東大震災で「震災手形」を出したことで、国家的な危機に際して、これまでの「優良な商業手形」とはことなる「震災手形」をだしたことで、鬼子を抱え込むことになる。そして、「震災手形」の整理が問題になっている状況下で、金融恐慌がおこる。不良債権処理問題は、税金で対応しようとしたが、多くの反発も生んだ。そして、井上準之助の金解禁高橋是清の金輸出再禁止と続く。

円を安定させるには、国内の金をこれ以上流出させてはいけない、と考えたのが高橋是清だった。なるほど、とおもうストーリーがたくさん。

 

第三部の義務教育に関しては、江戸時代の寺子屋から今の義務教育の仕組みまでの変遷。明治40年頃までは、寺子屋の風景が主流だった。だれかが師匠になって、その周りで子供達が自由に学んでいる、そんな風景。明治5年に学制が発布されたけれども、寺子屋と同様の小学校が並存していたのだそうだ。
もともとは、原則地方負担とされた小学校の運営費だった。それは、江戸時代からの地方の自治は地方で、という伝統にしたがうものだった。しかし、江戸時代に藩が独立していた時とは、明治時代では地方のありようも変わっていた。かつ、授業料はかなり高額だった。
そして、明治27年日清戦争の勝利によって国家財政に余裕ができたことから、明治29年には、国庫補助が行われるようになる。無償の義務教育というのは、国家財政と密接に関わっていて、財政が潤った理由は戦争だったのだ・・・・。そういう時代だ。

そして、教育は、寺子屋時代の自由闊達な教育というよりは、だんだんと、軍事教育的な趣がでてくる。
寺子屋の伝統を引き継いだ明治の初等教育は、それが終わった時点で一人で実社会にでて生活できる最低限の能力「生活力」を身につけされることが期待されていた。それは、今日の教育が重視している「個性」や「生きがい」といったよりも、「生活力」を重視ししていた。

江戸時代の研究家である杉浦日向子さんの言葉が引用されている。
「現在、確かに個性的であることは尊重されています。しかし本当に個性的な人間はほんのわずか。多くの人々は、集団の規律を脅かさない程度で、恐る恐る個性を満足させているだけなんて気がします」

おっと、また、厳しいコメントが。でも、確かにそうだよなぁ。。。。と、教育の話は深い。

 

全体に、税制制度の話が軸にはなっているけれど、さまざまなフィールドの勉強になる一冊だった。高橋是清の事も、よく知らなかったなぁ、と思う。ほか、 石橋湛山松方正義宇垣一成など、気になる人がたくさんでてきた。

 

日本の財政の歴史なんて、これまで深く興味をもって考えたことがなかったけれど、財政はまさに国の運営の基盤なわけで、戦争の歴史とも切っても切り離せない。歴史書としても勉強になる一冊だった。高橋是清ももっと知りたくなる。

 

財政音痴な私には、ちょっと難しいけれど、とても興味深く読める一冊だった。

やっぱり、読書は楽しい。