『歴史を変えた誤訳』 by 鳥飼玖美子

歴史を変えた誤訳
鳥飼玖美子
新潮文庫
平成16年4月1日 発行

 

先日、新橋駅前の古本市で見つけた本。330円。鳥飼玖美子さんと言えば、NHKの英会話でも随分お世話になった。私は、彼女の声が好き。お話も面白くて楽しい講師だった。その鳥飼さんが歴史に残る様々な誤訳について解説した本。タイトルからして興味深い。旅の共にウズベキスタンへ連れて行き、行きの飛行機で読了。

面白かった。通訳の勉強としてだけでなく、歴史の勉強としても面白い。なるほど、こういう裏舞台が、、、って感じ。

 

本の裏の説明には、
”原爆投下は、たった一言の誤訳が原因だった・・。突きつけられたポツダム宣言に対し、熟慮の末に鈴木貫太郎首相が 会見で発した「 黙殺」という言葉。 この日本語は果たして 何と英訳されたのか。ignore(無視する) それとも reject(拒否する) だったのか?
 佐藤・ニクソン会議での「善処します」や中曽根「不沈空母」 発言 など。世界の歴史を変えてしまった誤訳の真相に迫る! ”
と。

 

政府間交渉では、あとから「通訳が間違えた」と言い訳するために通訳が使われると言われるほど、その役割というか立場に複雑なものがあると言われる。通訳は「自分」を持ってはいけない。話者のいうことを忠実に訳す。それが、その言語の文脈からしても間違っていても、、、、。答弁をコロコロ変える話者だったとしても、その通りに発話する。「まちがってませんか?」なんて確認することも許されない。なかなか、難しいものなのだ。そんな立場の通訳者が、数々の歴史的場面でどのように対応し、どのような歴史がのこってきたのか、、、、あるいは、通訳を使わなかったことで日本国の首相がどのような騒ぎを巻き起こしたのか、、、、。英語堪能な首相ほど、結局、言葉で失敗している、、、。なかなか、面白い一冊。

 

目次
序章 誤訳はなぜ起きるのか
第一章 歴史を変えた言葉
第二章 外交交渉の舞台裏
第三章 ねじ曲げられた事実
第四章 まさかの誤訳、瀬戸際の翻訳
第五章 文化はどこまで訳せるか
第六章 通訳者の使命


序章では、「訳す」という行為のなかで、通訳と翻訳の違いが説明される。二つは、性格を異にする作業である。
翻訳=transration
通訳=interpretation

翻訳は、文字に書かれた情報を異なった言語の文章に書き換える。時間をかけて仕事をすることが可能。
通訳は、口頭で表現されたメッセージを異なった言語に変換し口頭発表するもの。一瞬が勝負の仕事。

大雑把に言うと、通訳の仕事は翻訳の30倍のスピード(会議通訳会の大御所ダニカ・セレスコビッチの言葉)だという。

そう、それくらい、通訳というのはものすごいスピードが要求されるのだ。ボケ防止にいい、と言っている場合ではないくらい、通訳をしているとほんとうに脳が疲れる・・・。


通訳の種類についても、説明してくれている。会議通訳、放送通訳、通訳案内業(観光通訳)、法廷通訳、芸能通訳、、、。テクニカルに分類すれば、一般通訳、逐次通訳、同時通訳。
一般通訳というのは、商談・随行などの通訳で特別な訓練を必要とせず、escort interpretingと呼ばれることもある。
逐次通訳は、講演などで話しが一区切りしてから訳すもの。
同時通訳は、通訳ブースに入りヘッドホンを突け、耳から入ってくる音声言語を即時別の言語に通訳していく。

本書の中で、鳥飼さんもいっているのだが、同時通訳が神業的に難しいと思われているが、実は逐次通訳もかなり高度な技術が必要。内容を理解し分析、メモをとり即座に内容を再生する、これがなかなかどうして、難しい。日本語であっても、一度聞いたニュースの原稿をそのまま再生するのは至難の業だ。骨子はただしくても、情報のいくつもが抜け落ちる、、、。それを、記憶とメモで自分の頭にとどめて、正確に再生するのは、同時通訳とはまた別のすご技なのだ。

「通訳は、逐次に始まって、逐次に終わる」というのは、ほんとうにそのとおり。

 

歴史をかえた誤訳として例にあげられている最たるものが、ポツダム宣言に対する日本側の回答で「黙殺」というもの。

無条件降伏を要求された日本の鈴木貫太郎首相は、当時の日本の雰囲気からしても、ポツダム宣言に対して弱気の発言をすることはできなかった。もっと様子をみてから最終決定に踏み切ろうと、「静観したい」という意味のことを「黙殺する」と表現した。ところが、連合国側は、これを"ignore”=無視する、と翻訳した。当時まだ中立関係にあったソ連のモスクワ駐在日本大使館から、外務省に対して言葉の意味に重大なくいちがいがあると電報がはいった。でも、すでに、連合国側の態度は硬化していた。
そして、広島に原爆が落とされる・・・。

この話しには、色々な見方があるという。そもそも、日本側が翻訳したのか?連合国側が翻訳したのか? 黙殺のニュアンスは、そもそも英語で表現しえたのか? 東京大学名誉教授・中村隆英氏の話によれば、当時の同盟通信記者がignoreと英訳したのを連合国側がrejectと解釈したのが真相らしい。

その後、当時の同盟通信社で海外局長をしていた長谷川氏の話よれば、後日談として「ノーコメント、としておけばよかったかもしれない、、、」と。

鳥飼さんは、本件の例から、様々な辞書による「黙殺」の意味を示してくれている。しかし、その意味というのは、その言葉の文化的背景があって理解できるものであり、やはり、ノーコメントといったとしても、同様にうけとられたかもしれない。

 

他には、日米繊維交渉と沖縄返還交渉に絡んだ、佐藤・ニクソン会談での佐藤栄作首相の「善処します」という言葉が生んだ外交問題。日本人が「善処します」といっても、それは全面的な「YES」ではないけれど、アメリカ人には、「YES」と受け取られた。日米繊維交渉と沖縄返還が絡んだ会談で、日本の繊維業界が対米輸出の自主規制に協力すると受け取られたけれど、「善処します」にはそういう「YES」の意味はなかった。
この時の「善処します」は、”I will examine the matter in a forward looking manner.”
と訳されたのか”I’ll do my best.”と訳されたのか、今となっては謎なのだそうだ。

 

中曽根首相の「不沈空母」、「運命共同体」発言もまた、物議をよんだ。日本はアメリカの属国か!?

 

あるいは、「日米構造協議」をどう訳すか。英語では、” SII: Structural Impediments Initiative”で、直訳すると「構造障壁に関するイニシアティブ」。「協議」と呼ぶのか、「交渉」と呼ぶのかについても、アメリカと日本の間で、意見の相違があったのだという。

モニターという言葉のニュアンスの違い。英語でmonitorといえば、「チェックする」「監視する」という意味があり「観察する」といっても「管理監督のために」というニュアンスが入る。一方、「見守る」というニュアンスもある。構造協議の中で、アメリカ側の報告書が「アメリカ、構造協議の結果を監視」と訳された。この時日本は、「監視するとは何事だ!」と憤ったという。


通訳というのは、相手の文化や立場を理解したうえでないと、言葉の選択がほんとうに難しい。

あとは、文学の訳のなかで、ホトトギスとウグイスをどう訳しわけるか、とか。太宰治の『斜陽』のなかにでてくる「白足袋」をどう訳すか、など。ドナルド・キーンは、斜陽にでてくる「白足袋」を"white gloves"と訳しているのだそうだ。これは、白足袋というのがきちんと正装して、相手を敬ったといういみで、西洋における白手袋と同じ意味合いで表現したのだという。中世の貴族が白手袋をしている感じ。文学の翻訳は、これまた難しい・・・。

 

ほんとうに、言葉というのは、日本人同士であっても理解のすれ違いがおこるのだから、違う言語で違う文化の人のために語るというのは、難しいのだ。だからこそ、AIによる機械翻訳の方が、「こういう意味だったかも」と聞いた人が解釈する余地があっていいのかもしれない、と思うこともある。

人間による言語変換と、機械による言語変換は、やはり、大きく異なる。機械はそのコンテクストを考慮しない。人は、考慮できてしまうからこそ、言葉の選択に迷う。

 

訳するというのは、ほんとうに奥が深い。
とはいえ、大事なのは、相手が言わんとすることを理解しようとすることなのだろう。
やはり、「わかるは愛」なのだ。(「わかる力は愛」、池田晶子の言葉)

megureca.hatenablog.com

どのような職業も、「愛」なしには成立しない。そんな気がした一冊。 

 

なかなか掘り出し物の古本だった。

出合えてよかった。