『老い方 死に方』  by 養老孟司

老い方 死に方
養老孟司
PHP新書
2023年8月24日 第1版第1刷

 

本屋さんで見かけて、面白そうだったので買ってみた。養老先生の新書。990円(税込) 。

帯には、
”4人の織者と語り合う。
老後、介護、生活
「老いの壁を越える」

本書で「老い」について語る5人”
とある。

また、語り合った人々の簡単な紹介も。

 

養老孟司
解剖学者。東京大学名誉教授。著書に『バカの壁』など

 

南直哉(じきさい)
禅僧。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)。福井県霊泉寺住職(ともに曹洞宗)。著書『超越と実存』など。

 

小林武彦
生物学者東京大学定量生命科学研究所教授。著書に、『生物はなぜ死ぬのか』など

 

藻谷浩介
地域エコノミスト日本総合研究所調査部主席研究員。著書に『里山資本主義』など。

 

阿川佐和子
エッセイスト、小説家。著書に『聞く力』など。


養老先生が、4人の方々と話し合った様子が、 モデレーターの方の言葉と共に 綴られている一冊。

 表紙裏の説明には、
”自我を「できるだけ広げてしまう」生き方とは
 入院や 愛猫の死を経験した養老孟司氏が、改めて死を見つめる。新たなタイプのアンチエイジング 薬の開発、人気 エッセイストによる認知症の介護の実体験、生活保護費から見えてくる老後の生活の真実、 自己を開くことが死の「練習」になる…。幸福な老後を過ごすための大切な知恵が詰まった一冊。” とある。

 

221ページの新書。アッという間に読める。
なかなか、面白かった。わりと、サラーーっと読める。養老さんの言葉と、対案者の言葉との間に、モデレーターの質問が入ったりするので、流れがわかりやすい。モデレーターありの対談ものは、読みやすい。老いや死がテーマだけれど、若い人にも楽しく読んでもらえる一冊ではないだろうか。

 

養老先生は、1937年生まれなので、すでに87歳。まえがきで「老いの真っただ中」と書かれている。読者が本書を読んで どう感じるかはともかく、 本人としては大変 面白かった 対談 だったとのこと。 それは何より。
”ぜひ読んでいただき 人生を考える一助にしていただければと願う ”と。

 

目次
まえがき
 第1章  自己を広げる練習
南直哉 ×  養老孟司

 

 第2章  ヒトはなぜ老いるのか
 小林武彦  × 養老孟司

 

 第3章 高齢化社会の生き方は地方に学べ
藻谷浩介 × 養老孟司

 

第4章 介護 社会を明るく生きる
 阿川佐和子 ×  養老孟司 

 

どの章も面白かったけれど、私が一番いいなと思ったのは、第一章の南さんとの対談。他の3名の方々は、著書を読んだこともあるし、ある程度頭にある内容だったけれど、南さんのことは知らなかったので、へぇ、ほぉ!と、楽しく読んだ。

南さんは、1958年生まれで、早稲田大学 第一文学部 卒業、大手百貨店に勤務の後 1984年 出家得度、という変わった経歴を持たれている。たぶん、俗世界も知っての後の出家、というところが個性的なところなのだろう。著書も多く書かれているようなので、『超越と実存』も含め、いずれ読んでみたいと思う。『超越と実存』は小林秀雄賞を取られたそうで、その時に選評をかかれたのが養老さんだったとのこと。その選評の中で養老さんは、「評価すべき点は、この著者の強さ。思想の強靭さ。」と書かれたそうだ。

曹洞宗の僧というのだから、一番厳しい修行を超えられた方、ということだろう。禅宗でも臨済宗曹洞宗だと、曹洞宗の方がさらに厳しい、という印象をうける。南さんは、祖母がクリスチャンで、一時はキリスト教の洗礼をうけようとしたこともあったけれど、牧師さんに「原罪とは?」「人とは?」と質問をし続けていた子で、洗礼をしたいと伝えると、「キリスト教は人を信じるのではなくて、神様をしんじるんだよ」と言われ「君は今、やめておいたほうがいい」といわれたのだそうだ。

そして、後に、曹洞宗へ。今では、様々なところで講演もしている。小学校では、「夢や希望なんかなくても生きられるぞ」と話すと、食いつきがいい、という。そして、そのようなことを話すかというと、

僕はね、夢や希望っていうのは、 今を犠牲にして先の利益を得るという意味では 投資の話の転用じゃないかとも思うのです。 そして投資というものはやはり失敗がある。夢や希望を持ってもうまくいかないことがいっぱいある。夢と希望は破れることがほとんどだと言った方がいいと思うんです。」 と。それでも、諸行無常。人は生きていくし、生きていけるのだ、と。
なるほどなぁ、、、、と。うなずいてしまった。

今を犠牲にして、先の利益。確かに、今の努力というのは、先の結実を得ようとしているのだから、投資みたいなものだ。そして、それは、失敗することもある。いや、失敗することの方が多い。。。

実際、ポジティブシンキングは、それは成功だと思い込むことかもしれない。。。自分の人生を肯定するために、自分のやってきたことを否定しない。でも、本当は、失敗だらけだ。けど、それを成功だったと思い込むのがポジティブシンキング、、ともいえる。いやいや、その前に、そもそも、成功なんてそうそうないんだから、それでいいんだ、、と。ありのままの事実を受け入れる、。それでいいのだ。。。

 

これは、やっぱり、若い時には納得しがたいことかもしれないけれど、成功とか、幸せとか、その価値基準を自分軸でもつことが一番なんだよね。

二人の対話の中で、南さんは、養老先生がなぜ解剖学を選ばれたのかという質問をする。そして、養老さんは、「解剖は、お坊さんの修行に似ている」といって、「九相図巻」という、女性の死体が描かれている絵図を紹介する。寝姿から、骸骨になるまで、、、、。本書にもその絵図が乗っているのだが、なかなか、すごい。そして、死体の解剖には1か月以上かかるのだという。モノ言わない相手と1か月以上向き合う。すべてが「自己責任」。臨床なら患者がやってきて不調を訴える。解剖にはそれがない。自分で考えるしかない。それは修行のようなものだ、と。

生きて、死ぬ。その当たり前のことの中に人生があり、孤独もある。そして、誰かと一緒にいたという記憶は、いくつになっても孤独ではない自分にしてくれる。家族だったり、飼い猫だったり。でも、結局は自分で自分を「手入れ」する。自分のことを何とかするのは自分なのだ。そうしていると、だんだん、周りの環境と自分の仕切りがなくなってくるのだそうだ。

自分に親しみのある空間や環境は、自分で「手入れ」する。それは、自分の「手入れ」。


第2章では、人はもっと身体をつかったほうがいい、という話。自給自足の生活は、身体を使う歓びを得られる暮らしだ、と。
私もあこがれる、自給自足の生活。でも、それは孤独なのではなく、互いに物々交換で生きていく環境ということ。いいなぁ。。。


第3章では、生活保護費の住民負担率は、東京が高いという話。高額所得者が多いのも東京だけれど、生活保護が多いのも東京など、都市部。地方で生活保護になることの方がすくないのだ。。。、過疎化していると言っても、今現在、子供が減って高齢者が増えている地方では、子供へかける財源がたくさんあるので、かえって若者が移住して、子供の数が増えつつあるところが多いのだそうだ。高齢化と少子化は別問題。
 また、養老さんから、全世界の昆虫は2030年までの40年で、8~9割へってしまったという、驚くべき話が・・・。
私たちの見えないところで、生き物が減っている。。これは、知らなかった。魚沼市に行くと、街中ですら虫がいない、というのはよく聞く話だが、養老さんは、生き物が減っているというのと、人間の出生率が減っているということに何か共通の要因があるのではないかと疑っている、と。日本だけの話ではないし、都市部だけのはなしでもない。ドイツの自然保護区域ですら、虫が減っているのだそうだ。虫好きの養老さんには捨て置けない現実。。。環境の変化と少子化。無関係ではないかもしれない。一時ほど、環境ホルモンという言葉は聞かれなくなったけれど、メス化するオス、オス化するメス、、、。う~~ん。結構、難しい科学の問題があるかもしれない、という点は、同意してしまう。


第4章の阿川さんとの対談では、お父さんやお母さんの介護を通じて、昭和初期の人々の話に。お父さんは、「ひたすらワガママで、ワンマン」だった、と。まさに、向田邦子さんのお父さんと同じ感じ。きっと、どこの家も、そんなかんじだったのだろう。
そして、老いてしまえば、それをそのままうけとめればいいのではないか、と。「聞こえない」「見えない」をそのまま受け入れてしまえばいいのだ。。。
まぁ、その境地にいけるのは、90歳すぎかなぁ、、。

面白い話しが。認知症高齢者に施設での催しや集まりに参加してもらおうとしたとき、女性はよく出てくるけれど、男性はなかなか出てこないことがあるという。「6階の食堂で音楽会をやるので来てください」といっても、男性はなかなか腰が重い。そういう時、男性には、「これから会議がございますので、ご出席をお願いします」というと、腰をあげてくれるのだそうだ。。。笑っちゃうけど、、、楽しい。養老先生は、「僕なら、虫取りに行きましょう、っていわれたらいっちゃうけど」って。また、それも素敵。

そして、「認知症を社会問題にしているのは、人間社会の約束事だ」という。約束がなければ、ボケもない。これは、障害者をつくっているのは、人間社会、というのと同じかもしれない。

コストの上で、合理性、効率性をあげると、そこに合わない人は障害者にされ、認知症患者にされてしまう、、と。

養老先生曰く、
「例えば、認知症になって徘徊していて、雨になって、肺炎になって死んじゃう。それは、それでつり合いが取れている部分があったんですよ。脳の能力がおちてくれば、生命が危機にさらされる。そういう意味では、いまは生きるのが随分らくになった」と。なるほど。そうとも言えるのかもしれない。

 

どなたとの対談も、興味深い。まぁ、何があっても、ぼちぼちと生きていくんだよね、って思う。自分の手入れ、ちゃんとしよう。食べる、寝る、動く。あこがれの自給自足生活。そこまでたどり着けないにしても、自分の手入れは自分でしよう。