『日本の歪み』 養老孟司、茂木健一郎、東浩紀 (その1)

日本の歪み
養老孟司茂木健一郎東浩紀
講談社現代新書
2023年9月20日 第1刷発行 

 

日経新聞の広告で見かけて気になっていたのだけれど、、、、まぁ、急いで読むこともないかと思って、図書館で予約して順番待ちをしていた。でも、20人以上の待ち人。。で、月末の駅ビル、カードポイントdayにつられて、本屋さんで買ってみた。
三人の写真が表紙カバーに。

 

帯には、
”この社会の居心地の悪さはどこからきたのか?
「考えたくなかった」戦後日本の論点を徹底討論!

右も左も、いまだに日本は外圧頼り。
内発的に自分たちの価値を肯定し、守るということができていない(東)

天皇が生物学を勉強したのは、正気を保つためにやっていたんでしょう(養老)

日本人は戦争による被害も、人災でなく天災のようにとらえてしまう (茂木)

「シビリアン・コントロール」なんて、自分の国の言葉でもできないようなものが身につくはずがない (養老) 

戦後、この国は人の心を安定させるものを、かなり 潰してしまった。新興宗教が強いのも、コミュニティの貧しさと関係している(東)

「9条」に限らず、日本は 整合性をつけることへの欲望がない(茂木) 

日本経済が30年も停滞している理由は、もう作らなくていい、壊さなくていい、という暗黙の民意なんじゃないか (養老)

被害の記録を伝えたいなら、震災の日だけでも実際の津波の映像を流した方がいい (東)”

 

と。多岐に及ぶトピックスが、三人の鼎談となっているので、結構わかりやすいし、面白い。3人の中では、茂木さんがモデレーターっぽい役割をしつつ、養老さんと東さんの意見を聞く、って感じ。茂木さんや養老さんの本はよく読むので、私にとっては、東さんの発言が新鮮だった。ゲンロンにあまり興味がなかった私は、東さんのことはよく知らないけれど、一度、『ゲンロン戦記』をよんで、けっこう面白い人だ、と認識をあらたにしたことがある。

megureca.hatenablog.com

今回も、知識の幅も広く、考えの軸をしっかり持った人なんだな、という印象をもった。 

 

養老孟司:1937年、神奈川県生まれ。東京大学医学部卒業。東京大学名誉教授。
茂木健一郎:1962年、東京都生まれ。東京大学理学部、法学部卒業。東京大学大学院客員教授
東浩紀:1971年、東京都生まれ。東京大学大学院博士課程修了。株式会社ゲンロン創業者。

 

3人の共通点は、「東京大学卒」ということ。

 

目次
はじめに
第一章 日本の歪み
第二章 先の大戦
第三章 維新と敗戦
第四章 死者を悼む
第五章 憲法
第六章 天皇
第七章 税金
第八章 未来の戦争
第九章 あいまいな社会
第〇章 自身
おわりに

 

感想。
うん、広い。新書なので、キュッとまとめてあるけれど、目次を見てわかる通り、どの話題も話せば何時間でも、何日でも話せそうなトピックス。それを、きゅっとコンパクトに鼎談としてまとめられているので、内容が濃い。広く浅くではない。広く、ポイントを絞って、ぐっと深ぼっている。皆さん、話しがうまい人たちなので、スパーンと直球のやり取りが気持ちいい、って感じ。
 私にとっては、東さんの言葉がいちばん、なるほど、そうくるか、という新鮮さを感じられた。別に、すごく難しいこととか、すごく斬新なことではないのだけれど、これまで日本人があまりストレートに口にできなかった言葉を、スパーンといってのける、って感じ。
例えば、「自衛隊は合憲化するべき」ということをスパンと言い切る。もちろん、声高にそれをいう人はいるけれど、リベラルな人ほど、はっきりとはそういわない。はっきり言いすぎると、「出る杭」としてうたれちゃうから、ね。

「はじめに」は養老さんのことばではじまり、「おわりに」は茂木さんのことばでおわる。その間に、三人の鼎談。養老さんのすごさは、どうでもいいことには関わらない、という姿勢にあるんだ、ということをひしひしと感じる。それでいて、鋭い指摘がたくさん。野次馬根性がなくて、本当に重要なこと、自分の好きなことにだけに執着する。だから、虫なんだ。あくまでも、解剖学の専門家であり、虫のためならどこまでも、、、という姿勢が素敵なんだ。

 

なるほど、と膝を打ったことを覚書。

 

・「自衛隊はどう考えても「戦力」です。改憲し、自衛隊を戦力ときちんと認めたうえで、武力行使に制限をかけるべきだと僕は昔から思っています。ところが護憲派の人々は、憲法は歪んだ状態のまま放置するのが正しいという。日本は歪みを正すこと自体ができなくなっています。」(東)

 あぁ、なるほど、と思った。先日、とある会合で戦後に関する話をしていた時に、40代の官僚の人が、「戦争で日本は陸軍とかなくなって平和になってよかった」ということを発言した。その何日後か、その場で一緒だった70代の会社経営者の方が、その発言が驚きだった、ということを言っていた。私には、70代の方のおっしゃることが一瞬わからなかった。おそらく、東さんがおっしゃるような、「武力行使に制限」をかけつつ、戦力を持つことは必要だ、という意味なのかと思う。

自衛隊は必要か」と問われれば、みんな「必要」というだろう。だって、自然災害とあ、なにかあれば助けに来てくれる、って思っている。では、「武力行使」はどうなのか?それは、みんな「ヤダ」って、感覚的に思っている。だから、私だって、思考停止になってそれ以上の議論をしたいと思わない。でもそれが、歪みを放置している、、、ってことなんだろう。いきなり、現実をドーンと突き付けられた感じ。けど、やっぱり、私には、わからない、、、な。

 

・「日本がガラっと変わる節目には災害があります。大正時代は消費社会の始まりで、非情に明るい雰囲気だったのが、突然軍部一辺倒になって戦争の時代へと突き進む。これは日本近代史の不思議の一つとも言われますが、その境目には関東大震災がある。」(養老)
 「安政地震もその例の一つ。ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』にも通じる視座。」(茂木)

 うん、わかる。東日本大震災で、大きく変わったのは何か?と問われると、一言では言えないけれど、やっぱり、大きく変わったモノがある。震災が無かったら、私は51歳で脱サラしていなかったかもしれない。

 

・日本は歪みは、出来事の呼び方についても現れている。「先の戦争」というぼんやりした呼び方も、日本のぼかし。(養老)

 

・日本の近代、二回のネイションビルディングは、明治維新と敗戦。(茂木)戦後の日本の変容は、『敗北を抱きしめて』の名著にくわしい(茂木)
『敗北を抱きしめて』は、ジョン・ダワーの名作といわれ、実は5年以上まえに買ったまま積読になっている・・・・。読んでみなきゃな・・・・。

 

・日本人は「それもやむなし」という感覚が強い。起きてしまったことにあとから理屈をつけて、納得しようとする。東京裁判も後付けの理屈。それでも「それもやむなし」。このはなしから、「自由意志」はあるのか?という鼎談につながり、三者とも「自由意志はない。すべては後付け」という結論。
そうか、後付けでもいいのか。
東さんは、「自由意志は後付けだ」という自然科学的な認識と、「自由意志はある」という法的・社会的な制度上の要請は両立するということだ、と。

 自由意志という概念自体、いろいろなとらえ方があるようにも思うけど、広辞苑では、「他から束縛されず自らの責任において自発的・自律的に決定する意思」とある。でも、ひとは生まれた時から家庭・社会・国との関係において生きていて、何者からも束縛されないなんて、ありえない。日本戸籍を持っているからには、日本人としての枠がある。そうなんだよな、自由意志なんて言うものは自然科学的にはありえないんだよな、って。そこのところ、深く同意。職業選択の自由だって、今ある社会環境のなかで選んでいるに過ぎない。究極の自由意志は、赤ちゃんがお腹が空いたといって泣いておっぱいをせがむことぐらいだろうか・・・。

 

・自由意志と後付けのはなしから、東条英機が戦犯として処刑された話に。そして、ハンナ・アーレントの『エルサレムアイヒマン』を「凡庸な悪」としたこと。つまりは、東条英樹もアイヒマンも、凡庸な悪で、あれほどの被害をもたらしたということ。そこに自由意志はあったのか????凡庸な悪は、自動機械になってしまったから、あんなに怖ろしいことができてしまった・・・・。あれも、自由意志とはちがうともいえる。であれば、それを処刑できるのか??

そういう場面で、東さんの「自由意志はある」という法的・社会的な制度上の要請は存在する、ということになるのだろう。

 

まだまだあるんだけど、長くなりそうなので、続きはまた、、、。