日本の歪み
養老孟司、茂木健一郎、東浩紀
講談社現代新書
2023年9月20日 第1刷発行
目次
はじめに
第一章 日本の歪み
第二章 先の大戦
第三章 維新と敗戦
第四章 死者を悼む
第五章 憲法
第六章 天皇
第七章 税金
第八章 未来の戦争
第九章 あいまいな社会
第〇章 自身
おわりに
(その1)の続き。
・日本語表現のごまかしの数々。
戦争中、カレーライスは、敵性言語だったので、軍隊では「辛味入り汁かけ飯」といっていた。(養老)・・・・これは、ギャグか??
天皇制は、「国體の獲得」だけれど、いまでは「国体」になってしまって、「国民体育大会」になってしまっている。「体」としたのは戦後のごまかし。(養老)
ワクチンの「副作用」が、「副反応」になったのも、副作用だと薬のせいで、副反応だと患者のせいみたいだから。官僚やメディアは、こういうインチキをよくやる。(養老)
お~!たしかに、副反応って、いつのまにか副反応って言われていた。どう考えても副作用だ。私もモデルナアームで苦しんだ。3回目のワクチンは、もう二度と打たないと思う位寝込んだ。あれは、副反応ではなく、副作用だ!!!
・『未完の西郷隆盛』(先崎彰容)は、西郷人気の理由は死生観と書かれている。その死生観は、特攻隊の思想につながったのではないか。(養老)
・日本は、自分たちで基準を作らずに、なんでも国際基準を参考にする。
「何にせよ、自分たちの意思や目標ではなく、外のものにばかりあわせていたらストレスになります。近代以降、日本はずっと何かにあわせてきた。でも、日本人はその原因について考えることもなく、無自覚なままです。それが歪みともえるし、歪みを解消できない理由ではないかと思います。(養老)
かなり、核心の一言。
無自覚であれば、解消できるわけがない。
前例が無い、といって新しい意見を全否定してしまうことを、おかしいと思わない日本人。たくさんいる。一方で、海外で承認されている薬が日本では何年たっても承認されずにいるのは、石橋をたたいて壊している日本人、ともいえる。。。いや、たたいてもいない・・・。
何でもかんでも、国際基準。ほんとに、それもいかがなものか。私は、ドメスティックなものは、とことんドメスティックでいいと思う。でも、時代に合わせてルールを変えるという視点も大事。一度作ったら、絶対変えない、、、というのは正義ではないと思う。
・なんでもかんでも国際基準となってしまった背景には、戦後、「日本のものはだめなんだ」という歴史観をつくってしまったから。(東)
・『吾輩は猫である』で、お正月の餅をたべた猫が、食べたら栄養になるのに、歯にくっついて飲み込めずもがいて踊るシーンがある。それを「うまく飲み込めないから踊っちゃう」としている、踊っているのが漱石であり、当時の日本だったのでは。」(養老)
これは、面白い。猫の踊りが当時の日本だった。もがいて踊る日本。そう解釈するの、面白い。だから、『吾輩は猫である』は、面白いけどけっして容易な本ではないのかもしれない。養老さん曰く、「あれをただの笑いとして読む人はいないと思いますが」と。
そうか、そうだったのか。やっぱりそうなんだ。『吾輩は猫である』は、読んでいて笑いが出るけれど、楽しい笑いというより苦笑、、、って感じだろうか。当時の社会背景が理解できていないと、その苦笑も楽しめないな、っておもったのは、あながち間違っていなかったみたい。
・死者を悼むはなしから、「家も地域コミュニティも解体されて、人間関係を学ぶところが学校しかない」ということが問題。(東)
・「人間はあらゆるものをゲーム化するけれど、他方でルールは必ず変わるし破られるもので、それを絶対化すると長期的にはまける」(東)
これは、端的に重要なことを言っていると思う。ルールは破る人もいるし、環境変化で変えていくべきもの。憲法だって、そうなのだ。
・解剖が大変なのは、患者が問題を持ってくるわけではないので、自分で問題をみつけるということ。「問題は常に向こうから来てくれるものだと思うのは、怠けているんじゃないかと思う。」(養老)
「問題を発見することは、問題を解決することとは全然違う。」(東)
「問題発掘の苦労をしないのが普通になっているところが、本気で生きていいないということ」(茂木)
この会話も重要。「問題」は、解決するものではあるけれど、先に「発見する」こと。
・「最近は、哲学者が物理学者と話す、みたいなことがなくなってしまった」(東)
「『時間は存在しない』(カルロ・ロヴィッリ)は、唯の原題物理の理論家の本。普通の解説書。それを日本のメディアは画期的だと褒める。それを養老先生は、『時間が無いとか言われたおしまいだよね』と。流石!」(茂木)
あ~、これも、わかる。昔は、物理と哲学が一緒だった。今は、そうじゃない。。。。。、『時間は存在しない』って、おもしろいけれど、物足りなくもあった・・・。たくさんの哲学はでてくるのだけれど、、、そうか、そこに哲学との対話が無かったのか。
・生き残るには、「目立たないに限る」(東)「先輩が同じことをいっていました。」(養老)
茂木さんが、「養老先生は嫉妬を受けないですね?」と言ったことに対して、
「日本には、「あいつはしょうがねぇ」っていう枠がある。」(養老)
奇人枠?。養老さんの仙人的アクションが、ある意味で「養老さんだからそれでいい」という枠になっているのだろう。
・税金の話から。
「この国には、本当の意味で「公」のことをやろうとしたら「私」でやらねばならないというねじれがある。」「公共的であるということと、全員が同意するということはイコールではありません。」(東)
養老先生も、教授時代、私費で色々な物を買い、私費で色々な勉強会をやっていた。私費であれば文句をいわれることはないけれど、税金でやろうとすると、やんやと反対する人がでてきてなかなかできない。
公共的=自分にも即時メリットがあるって、思えないと、「そんなことに税金を・・」となってしまう。悲しいかな、現実。
みんなの納得するものにしか、お金が出せない。出る杭をうつ社会の民主主義。(東)
・茂木さんから養老さんへ。
「戦後知識人とは何だったんですかね?大江健三郎さんとか良心的な知識人たちが論壇を作っていましたが、それを養老先生はどうご覧になっていたんですか?」(茂木)
「俺と関係ない人たちていう感じ。」(養老)
「解剖やって虫とっていたら、だいたい関係ないんですよ。いるものはしょうがないっていうふうになる。」(養老)
これだ!養老さんのすごさ。そして、関係ないことには、あれこれ言わない。
・「虫といえば、最近話題の昆虫食についてはどうですか?」(茂木)
「感心しないですね。培養肉のほうがまだ理解できる。」(養老)
私は、どっちも理解できない派だけれど、私も、コオロギとか食べたくないし、養老さんが培養肉のほうがまだましといってくれて、ちょっと嬉しい。
・「歴史は多くを推論に頼らざるを得ない。客観性とはなにか、という話。」(東)
「坂口安吾の『散る日本』で同じようなことをいっている」(養老)
・ヘーゲルの言葉「ミネルヴァの梟は夕暮れ時に飛び立つ」。知は後から来るもの。「哲学や社会学は後付けの分析として使うべきであって、未来を作る単に哲学や社会学を振りかざすのは危険だというのが、共産主義が残した最大の教訓ではないか」(東)
これは、なるほど・・・。東さんって、すごく勉強したことのあるひとなんだ、って感じがする。上っ面の感覚的発言ではないひとなんだ、ということがわかった。いっていることは、ちょっとわかる気がするけれど、人はどんな学びや研究も、「未来に役立てたい」って思っちゃうものではないんだろうか。東さんのいう「ふりかざす」というのは、「妄信し、他者に強要する」って感じなのかな?たしかに、どんな学びも自論も、他者に教養するのは間違っている。アドバイスと意見の違いってやつだね。
・「養老先生は、成田悠輔さんの『老人は集団自決せよ』という発言に対して、「ほっとけ」とおっしゃていましたね」(茂木)
「少子高齢化をマイナスの意味でしかとらえていないのが時代遅れなように感じます。少子高齢化委は一種の自然現象だから、いいもわるいもない。」(養老)
成田さんって、へんな眼鏡している、、、という認識しかなかったけれど、そんなことを口走った人ったんだ。まさに、ほっとけ、って感じ。
・「そろそろGDPなんて計るのをやめたらいいと思います。なぜ計る必要があるのか、もう一度かんがえてみてもいいということです。幸せですか。元気で生きていますか。それでいいじゃないかと思います。みんな好きなように生きていればいいんじゃないのかね。」(養老)
うん。わしもそう思う。
なかなか、面白い一冊だった。
こういう本から、気になった内容への興味が広がる。やはり、新書はサマリーとして読みやすい。
やっぱり読書は楽しい。
みんな好きなように読めばいい。
好きなように生きればいい、よね。ほんと。