『とがったリーダーを育てる  東工大「リベラルアーツ教育」の10年の軌跡』 by 池上彰、上田紀行、伊藤亜紗

とがったリーダーを育てる
東工大リベラルアーツ教育」の10年の軌跡
池上彰  東京工業大学特命教授
上田紀之 東京工業大学リベラルアーツ研究教育院長
伊藤亜紗  東京工業大学未来の人類研究センター長 
中公新書ラクレ
2021年8月10日 発行

 

日本のリベラルアーツを考える、というテーマで話していた時に、私は日本のリベラルアーツをよくわかっていないな、と思ったので、図書館で「リベラルアーツ」と検索したら出てきた本?、、、だったと思う。

 

東工大を舞台としたリベラルアーツへの取組みの話であり、長期視点で体形的にまとめられた本ではないけれど、まぁ、、、読んでみるか、と借りて読んでみた。

 

著者の3人は、みなさん東京工業大学で、リベラルアーツを大学生に伝えるという仕事をされた方々。

 

内容紹介には
”高校で文系と理系に振り分けられ、結果、理系の知識が乏しい人たちが社会を動かす官僚や政治家などになり、一方の理系学生といえば、世の中のことに無関心で興味あることだけに取り組みがちだ。しかし、「これではいけない。日本のリーダーにもっと理系の人材を」。 2011年、そんな思いを込めて東工大リベラルアーツセンターを発足した。あれから10年日本中から注目を浴びる 東工大の挑戦のすべてをここに明かした。”
とある。

 

へぇ、、、日本中から注目を浴びてたの?
わたしは、なんの注目もしていなかったけど?
理系だから?
世の中のことに無関心だったから?

そんな、かんたんな事ではないと思うけど。。。なんて思いつつ、、、、読んでみた。

 

でも、確かに、私も学生時代~社会人となっても、いわゆる理系の世界で仕事をしてきたので、専門以外のことに興味を持ち始めたのは、40代になってからのように思う。だって、自分の仕事は、先端技術の開発であり、特許を取って、商業化に結びつけ、社会に価値を提供し、会社に利益をもたらすということ。そのことによって、自分の給料も確保する。かつ、仕事での実績をあげれば、それなりの承認欲求も満たされるし、自己肯定感もあがる。そりゃ、自分の専門に興味が偏りがち。ただ、それでよかったのは40代まで、、いや、30代までだったかもしれない。

 

だれでも、「今の自分」に疑問を持つときが、その人のタイミングで来るのではないか?と思う。その時に、学び直しをしても遅くないとも思うけど、、、まぁ、本書は、大学生相手のリベラルアーツの取り組みについて。


目次
もっと理系のリーダーを   はじめに 池上彰
第1章 教養は必要なのか? 池上彰
 1  強烈な違和感
 2  東工大でのストーリー
 3  日本の教育の問題点
 
第2章 「とがる」ために必要なもの 伊藤亜紗

第3章  パッションと志のリベラルアーツ教育へ 上田紀行

第4章 鼎談 どうしたら日本社会でリーダーが育つか  池上彰上田紀行伊藤亜紗
 1  リーダーと言葉の力
 2  教養を再定義する


感想。
う~ん。
なるほどと、思いつつ、なにか、腹落ちしないものもある。
読んだのは、良かったと思う。読んでよかった。

私も、リベラルアーツはとても大事だと思う。
ただ、疑問も残った。

 

私自身、リベラルアーツは大事だと思っているので、大いに共感するのだが、リベラルアーツって、なんなんだ?学校教育としてやらなきゃいけない必要ってなんなんだ?という疑問が湧いてくる。

まぁ、アメリカのいわゆる著名大学が取り入れ、それを日本も取り入れた。

 

そもそも、表紙をめくって最初にでてくる、「はじめに」にある、

「もっと理系のリーダーを」

という言葉に、強い違和感を感じてしまう。理経がリーダーに向かないとか言うことではなく、人を「文系」と「理経」に分けて考えること自体に、違和感を感じるのだ

 

池上さんが、「はじめに」で具体例に挙げているように、 スマホの位置情報を使って感染者と濃厚接触者について追跡できる「COCOA」が機能していない、というお粗末なことは、確かに、ソフトについての知識がない官僚がアプリを発注したということはあるかもしれない。ワクチン接種についても、 二重予約ができてしまうという 混乱もあった。たしかに、、、でも、それは、理系だったら防げるかと言えばそんなことはない。理系っていったって、医者もいれば、物理学者もいれば、生物学者もいる。私だって、一応、博士だけれど、アプリの開発なんてできない。。。

 

実際、このタイトルで池上さんがおっしゃるのは、別に、理系をリーダーにということではなく、理系と文系の分断をどうにかしなければ、、ということなのだけれど。そう、そこは、わかる。だから、リベラルアーツというのもわからなくはないのだ。。。けど。。。。

 

東工大が、そこに、取り組んだことは確かにすごいと思う。大学そのものが、「理系大学です!」と言っているような名前の大学であり、人文科学とはちょっと距離感がある。その東工大リベラルアーツに力をいれたというのはすごいことなのだろう。

 

池上さんが、東工大リベラルアーツを教えることを依頼されたのは、2011年秋のこと。当時のリベラルアーツセンター長・桑子敏雄先生に、依頼されたのだそうだ。池上さんは、ちょうど還暦を迎え、これからは 「自分が得てきた知識や世の中の見方を若い人たちに伝えること」で、 社会への恩返しをしたいと考えていた時だった。そして、依頼を快諾。

2012年4月から始まった講義は、池上さんにとっても新鮮で、刺激的だったとのこと。東工大といえば、相手は思考力がある学生であり、打てば響く感じが心地よかったと。ただ、「NHK子どもニュース」のときには、いかに、子どもにもわかりやすく話すかということを一生懸命考えてきたけれど、学生の理解がはやいと自分の「物事をわかりやすく相手に伝える」という意識がうすれていくということに、危機感も感じたのだと。なるほど、さすが、池上さん。

そして、池上さんの講義は人気になるけれど、そのうち、評価の厳しさに学生の数は減っていったのだとか。。。学生よ、真に優しいおじさんは、厳しいのだよ!!

 

池上さんらが、リベラルアーツの講座を始める前に、アメリカに視察に行った話が興味深い。MITでは、
「すぐに役に立つことは、すぐに役立たなくなる」
という、 リベラルアーツ教育統括責任者の一言に衝撃をうける。
「最先端のことなんか 教えてどうするんですか?」と。

 

まぁ、ちょっと、わかる。
けど、最先端のことを知りたいから、学びたいから、高い学費を払って著名大学にいくのではないのか???とも思う。

 

なぜ、「リベラルアーツ」を大学で「教え」なくてはならないのか???
読みながら、そこが、どんどん疑問として大きくなっていった。

 

伊藤亜紗さんの「とがる」ために、文化を大事にし、相手に任せる、身体を動かしながら考える、というお話には、強く共感する。そう、おっしゃっていることは本当、そうだと思う。伊藤亜紗さんの話には、私はいつも強く共感する。

 

上田さんの、リベラルアーツへのパッションも共感する。企業が「即戦力」を重視するために、それにこたえるように大学が「専門家」を育ててきた。そして、リベラルアーツ的なものが評価されなくなってしまった・・・・。いまこそ、リベラルアーツを!

うん、共感する!


けどなぁ、、、なんで、それが大学教育なのかが、私のなかではやっぱり、スッキリしない。

 

明治、大正、昭和の時代に比べると、実生活でリベラルアーツに触れる機会が減ってしまったことで、「大学」でリベラルアーツを「教える」という必要性が生じてしまったのではないだろうか。時代の変化のような気がする。

 

それぞれの専門家は、その専門をやっていればいい、ってそういう社会を作ったのも時代のように思う。専門家以外の人がなにか口にすれば、「素人はだまってろ」という圧力がある。以前、ふと思ったのは、内田樹さん、ヤマザキマリさんの共通点って、自分の専門とか関係なく、自分の頭で考えたことを口にするひとだな、ってこと。そこには、経験と知識の重みがある。そういうのを、あえてリベラルアーツといってしまうと、なんだか、軽々しい感じがするけれど、結局のところ、、、、自身の経験にもとずく知識とその活用、、、。

 

最後の鼎談の中では、ドイツのメルケル元首相が、コロナ中に発したメッセージに世界中の人から多くの共感を呼んだ話がでてくるのだが、それはメルケルさんが、一生活者として首相在任中もスーパーに出かけるひとであり、かつ物理学者でもあり、、生活者視点と理系の頭をもっていたことが評価されているようなくだりがある。

まぁ、たしかに、メルケルさんはかっこよかった。けど、理系の頭って、なんなんだろうか?

 

本書の多くの主張は、最後の第4章の鼎談を読むだけでもつたわってくる。人間としての根っこを太くするために、教養というものが重要であること。専門以外の本を読むことも大事。必要なことを自分で考える柔軟性が大事。

池上さんの「多様な知識を運用する力」が大事、ということはとてもしっくりくる。知識の量でもない。「物知り」なのと、「教養がある」というのは、違う。
「運用する力」が重要なのだよね。

 

リベラルアーツの重要性は、本当に共感する。ただ、それを身につけることの必要性を本人が自覚しない限り、受動的に授業をうけたところで、、、どうなんだろうか?と思ってしまう。能動的にうけているならいいけど。

 

学びというのは、本人が学びたいと思わない限り、自分のモノにならない。
何度聞いても、右に耳から左の耳に流れてしまう。。。。あるとき、ふと興味を持った時に、これまで聞いていたことが、ずしっと脳みそに響くことがある。まさに、腹落ちする瞬間。

その時こそが、学ぶときなのだ。そして、その瞬間が来るのは、人によって、それぞれ違うように思う。

学びの旬は、学びたいと思ったとき。

教育で大事なのは、「学びの楽しさ」を伝えることなのではないだろうか。。。そして、それは、大学生にではなく、小学生から高校生までの間に伝えてこそ、進学先を自分で考えられる生徒が育つのではないだろうか。。。

と、40代以降に広い分野の学びに目覚めた私は、思う。

 

なかなか、色々なことを考えさせられる一冊だった。

 

読書は、楽しい。