『シベリアの森のなかで』 by シルヴァン・テッソン

シベリアの森のなかで
シルヴァン・テッソン
高柳和美 訳
みすず書房
2023年1月10日 第一刷発行

 

今年の9月に、泉屋博古館東京の企画展「楽しい隠遁生活 ―文人たちのマインドフルネス」に行った際、『隠遁生活の手引書』として用意されていた資料で紹介されていた本。面白そうだったので、図書館で予約していたのが、やっと順番が回ってきた。

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著者のシルヴァン・テッソンは1972年生まれ。 冒険家 作家。 これまでに ヒマラヤ 徒歩旅行、ユーラシア ステップの騎馬旅行などの旅行記やエッセイ、 中編小説などを発表しているそうだ。本書は、2011年がフランスでの初版。本書の内容からすると、フランスの街並みを思い出しながらシベリアで一人すごしているので、フランス人のようだ。

 

本の裏表紙には、

”「40代になる前に森の奥で隠遁生活を送ろうと心に決めていた。湖や森と向かい合い、日々が過ぎてゆくのをみつめた。薪を割り、夕食の魚を釣り、 山を歩きたくさん本を読み、 窓のそばでウォッカを飲んだ。 冬と春を過ごし、幸福と絶望、 そして最後には平穏を知った」。
 冒険家でゴンクール賞作家のテッソンが、シベリアの奥地バイカル湖畔の小屋で半年を過ごした。冬の気温はマイナス32℃、、村からの距離は120km、 小屋は標高2000m の山々の裾にあり、窓からは湖岸が見える。
 隠遁生活に彩りを与えるのは、雪と森と山と湖、 野生動物、 ロシア人の森林保護 会や漁師たちとの交流、 そして 読書。


 「心の中に自由を感じ取れるようになるためには、だだっ広い空間と孤独が必要だ。それに加えて時間をコントロールすること、 完全なる静けさ、 過酷な生活、 素晴らしい土地との接触もまた必要である。 こうしたものを獲得できる場所こそが小屋 なのだ」。


 孤独と内省の中で自然のざわめきと向かい合い、人生の豊かさを見つめ直し、自分自身が変わっていく日々を綴る。”
とある。

 

目次
2月  森
3月  時間
4月 湖
5月  動物
6月  涙
7月  静謐

 

感想。
うらやましぃぃぃ!!!厳しいけど、、、読書三昧できて、一人で好きに過ごせる半年、、、私もやってみたい・・・。

裏の説明は、まさに、ほんとに、ギュッと内容が説明されている。著者は、38歳のときに、シベリアのバイカル湖の岸辺の小屋で、2月から7月まで、半年間を過ごす。その間の日記が本書。ちゃんと半年分の準備をして、計画した期間限定隠遁生活。半年も隠遁しているので、途中で彼女にふられちゃったり、クマに遭遇して怖い目にあったり、飲みすぎてグダグダになったり、、、。でも、極寒のバイカル湖の暮らしは、季節の移り変わりとともに、著者の心にも変化をもたらす。もともと、冒険家だというのだから、厳しい環境に自分をおくことが快感なタイプだと思うけれど、やはり、マイナス32℃の世界というのは、、、、すごい。しかも、一人で。途中で、準備していた衛星電話もつながらなくなっちゃう。でも、孤独な小屋で、ひたすら本と向き合う日々。ちょっと、羨ましい・・・・。ほんと、羨ましい。。。

 

お世話になるロシア人の森林管理人や、まれに訪れる町の友人。4月には、ロシア人から2匹の子犬を預かる。やはり、一人ぼっちより、2匹の子犬との生活の方がにぎやかで楽しそう。でも、犬だからね。余計な会話はいらない。

 

持参した荷物のリストが、ずらーーっと並んでいる。その中には、「シベリアの森での半年間の滞在に備えて、パリでじっくり選んだ理想の本リスト」というのもはいっている。

イングリッド・アスティエ  『冥界の岸辺』
D・H・ロレンス  『チャタレイ夫人の恋人
キルケゴール  『死に至る病
・・・・
ずらーーーっと並んだ本のリスト。本書の4ページにわたって、本のリスト。どれだけ読んだんだ!!

そして、その中に唯一あった日本人の本は、
三島由紀夫金閣寺

日記の中でも時々『金閣寺』との比喩が登場する。フランス人が三島の『金閣寺』に抱くかんじって、どんな何だろう。やはり、究極の美を追求したくなるところに共感するのだろうか・・・・。

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個人的には、リストの中の
千夜一夜物語がきになる。やっぱり、一度はよんでみたい・・・。

 

日記になっているので、ひたすら日々の出来事、そしてその時の心情が綴られる。日記は旅行記でもあるわけで、食事のこと、お風呂のこと(お風呂というよりバーニャというサウナみたいなもの)、釣り、薪割り、、、、次第に、自分の体がたくましくなっていくことに気が付くところなんか、リアルで面白い。時には、フランスで誕生日を迎えているはずのお父さんのことを思い出したり。

バーニャというのは、ロシアのサウナみたいなものの様だ。

”ロシアでは週に1,2度、垢を落とすためにバーニャに駆け込む。体は熱気によってレモンのように絞られる。 どんな恨みも消えてしまう。 余計な皮脂や垢、アルコールが抜けてっていく。”
だそうだ。

 

「どんな恨みも消えてしまう。」っていいなぁ。
まさに、隠遁生活に必須アイテム。日本ならお風呂だろう。温泉だとすばらしい。隠遁生活と温泉。あぁ、あこがれ・・・。

 

他にも、著者の面白い言葉を覚書。

 

・社会から離れて生活していると、自分を律するのは自分しかいないという気づきから。
”現実世界が存在することを確認するのは我々の同胞である。 都会では自分が目を閉じたとしても、 ありがたいことに 現実が消えることはない。 他社が現実を見続けているからだ!ところが隠遁者はたった一人で自然と向かい合っている。隠遁者は現実を眺める唯一の存在であり、世界の表象という重責、人間のまなざしへの世界の開示という重責を担っているのだ。”

普段は、気が付かない。当たり前すぎる他者の存在。ロビンソン・クルーソーは品位を失わないため、毎晩の食事のときにあたかも客をもてなすように背広をきてテーブルに着いたなんて話も登場する。

 

・3月、特にすることもないので、自分が隠遁した理由を紙に書き出してみる。
”僕が小屋に1人で住むようになった理由
 僕は饒舌すぎた
 静寂を求めていた
  返事を出していない手紙と合わなければいけない人が多すぎた
  ロビンソン・クルーソーが羨ましかった
 パリの自宅よりここの方が暖かい
 日々 買い物をしなくてはいけないことに疲れて
 叫んだり 裸で暮らしたりできるから
 電話や エンジン音が嫌いだから”

うん、わかるよ、その気持ち。。。

 

陶淵明の辞世の句に出会う。陶淵明は、まさに隠遁生活の巨匠。泉屋博古館東京の企画展「楽しい隠遁生活 ―文人たちのマインドフルネス」でも、たくさん紹介されていた。そんな陶淵明の辞世の句を引用して、自分の行動を内省。
”「わが茅屋にて悠々として安らかに酒を飲み、 詩を詠み、物事の流れに調和し、己の運命を識ったうえは、いかなる低意ももはやない。」
人生を30 文字に要約できる人間がいるのに日記を書いて 何になる!と思いつつ 床につく。”って。

わかるよ、その気持ち。でも、明日も人生は続くし、明日も日記をかいちゃうんだよね。

 

・ビザ延長のために、一時小屋を離れ、もどってきた日の日記。
”都会に行って帰ってきたせいで小屋生活への愛が強まった。 小屋というのは、夜の天井から吊り下げられているランプ なのだ。”

都会が便利であっても、やっぱり、小屋は必要なのだ。

 

モランの『フーケ』からの引用。
”「人生を始めるには 3つの方法がある。 最初に楽しいことをやり、 その後で真面目になること。 あるいは 最初に大変な仕事をしっかりとやり、その後晩年に埋め合わせをすること。 あるいは楽しいことと辛い仕事を同時に行うこと。」小屋は、三番目の方法をとる場所だ。”

楽しいことも、大変なことも、同時にやる人生が、小屋で過ごすこと。うん、そういうの好きだ。私は決して真面目な努力家ではないけれど、ただ安穏と過ごすのもすぐに飽きてしまう。厳しい自然の中での隠遁生活が私にもむいているかもしれない・・・。とはいっても、シベリアはちょっと、、、遠慮しとくけど。

 

・美しい景色を前にして、
写真を撮らなければと思うことは、一瞬のきらめきを無に帰すための最良の方法だ。夜明けの絶景を前にして、僕は1時間窓のそばにいた。

わかる。私は、写真を撮るのがうまくないということもあるけれど、写真を取っておくくらいなら、目にやきつけたい。けど、普通の生活では美しい景色やおいしそうな食事を1時間もじっとながめていることはできない。だから、写真をとっちゃうんだけどね。でも、ほんとうなら、肉眼で、自分の目に、焼き付けたい。写真はあとから思い出すのには役立つけれど、脳裏にやきつけた感動ほどのものはもたらしてはくれない。

あとから、「これ何の写真だっけ?」ってなるようなら、撮らなくていいのにね。デジカメになったせいで、とりあえず撮っておく、、、て簡単にできちゃうからね。。。

たまには、カメラをださずに、目に焼き付けよう。

 

・何時間も窓からの湖の景色をながめていた森林保護管のヴォロディアについて。ボロディアは、5年前に水難事故で息子を亡くしている。
人は時に 誰かのことを思いながら その人が好きだった風景をじっと眺めることがある。 死者の思い出が辺りに漂っているのだ。

大切な人が好きだった景色。じっと見る。そこに、その人の姿があるような気がする。。。。大切な人が好きだった景色がかわってしまうことを悲しく思うのは、その人の姿が消えてしまうような気がするから、、、かな。

 

と、淡々とつづられつつ、心の変化が読み取れる。

突然復活した衛星電話で、彼女からフラれる。。そこに、知人が訪ねてきてくれたことで、とりあえず絶望から這い上がり、普通に生きているふりをする・・・。へとへとになるまで読書する。そうしていると、そうしているうちに、、、こころが平穏を取り戻すことも、、、ある。

 

また、鴨が湖に飛来してきたのをみて、「シンボル辞典によると、鴨は日本では愛情と忠実の象徴だという」だなんて一文が。

へぇ、、そうなの?

まぁ、カルガモちゃんは、たしかに、愛情と忠実ってことばが似合うかも。

 

たくさんの本からの引用もでてきて、思考がステレオタイプではない感じが、なんとも、冒険家っぽい。

 

やっぱり、クライマックスは彼女にフラれた6月からからな。友人や本に救われるどん底の孤独。

 

「幸福だと静かな気持ちになれない。幸せだったころのぼくは、幸せでなくなることに怯えていたのだ」

 

わかるよ、その気持ち。

 

著者は、今は何をして暮らしているのだろう。

新しい彼女ができていたらいいね。

なんてね。

 

すごく、いい感じの本だった。

隠遁生活。若者の期限つき隠遁生活、いいね。

「たちどまって考える時間」は、だれにでも必要だと思う。