『実力も運のうち 能力主義は正義か?』 by マイケル・サンデル(その1)

実力も運のうち 能力主義は正義か?
マイケル・サンデル
鬼澤忍 訳
早川書房
2021年4月25日 初版発行 
2021年5月25日 9版発行
THE TYRANNY OF MERIT   What’s Become of the Common Good?  (2021)

 

発売当初 も気になっていたのだけれど、 なんとなく機を逸して読んでなかった。先日、ふとしたところで目に入り、思い出したので図書館で借りて読んでみた。

 

結構、深いタイトルだ。自分が頑張って実力をつけたと思っていても、それだって運があったからなんだ、ってこと。

 

マイケル・サンデルさんといえば、あの大人気『これから「正義」の話をしよう』ハーバード大学教授。1953年生まれ。私も、サンデルさんの意見には大きく共感するところがある。そして、「正義」ということを考えるのが結構好きだ。自分の行動指針として、それは正義か?!というのが、サラリーマン時代からあった。今だけよければいいとか、その場しのぎではなく、地球人としてそれは正しいのか?っていう正義。多分、正解はない。時代によって価値観も変わるし、社会価値も変わる。でも、考えるということが大事だと思うから、私は考える。

 

本書も、正義について。

 

表紙裏の説明には、
ハーバード大学の学生の3分の2は、所得規模で上位1/5にあたる家庭の出身だ。にもかかわらず、彼らは判で押したように、自分が入学できたのは努力と勤勉のおかげだという。
人種や性別、 出自によらず能力の高いものが成功を手にできる「平等」な世界を、私たちは理想としてきた。 しかしいま、こうした 能力主義メリトクラシー)」がエリートを傲慢にし、「敗者」との間に未曾有の分断をもたらしている。この新たな階級社会を、真に正義にかなう共同体へと変えることはできるのか?
超人気哲学教授が現代最大の難問に挑む。
解説:本田由紀東京大学大学院教育学研究科教授)”とある。

 

目次
プロローグ
序論 入学すること
第1章  勝者と敗者
第2章 「 偉大なのは善良 だから」  能力の道徳の簡単な歴史
第3章 出自のレトリック
第4章 学歴偏重主義 容認されている最後の偏見
第5章  成功の倫理学
第6章  選別装置
第7章  労働を承認する
結論 能力と共通善

 

感想。
う~ん。難しいなぁ。でも、究極は、「謙虚に生きる」なんだな。。。


「運も実力のうち」とはよくきくが、本書が言うのは「実力も運」ということ。うんうん、それはわかる。そもそも、私が日本に生まれたのだって、戦争のない時代に生まれたのだって、それは運としては良かったといえる。実家の両親が、普通に良識のある人間で、お金に苦労することなく育ててもらえたのだって、ラッキーだった。子ども時代、経済的理由で、何かを泣く泣くあきらめたことはなかった。大学も行かせてもらった。奨学金をもらう必要もなく、お小遣いの心配をすることもなく、学生時代を謳歌できたのは、両親のおかげだ。そして、そのような家庭環境に生まれた私は、自分のひとり力で大学に入ったのではなく、勉強できる環境に生まれた、という運のおかげなのだ。

 

本書が強調するのは、そういうこと。良い大学に入れたのは、本人の努力もあるかもしれないけれど、それ以上に勉強ができる、大学受験できる環境で育ったということが大きい。そして、能力主義こそアメリカンドリームだったけれど、そのアメリカンドリームが、勝者と敗者を生んでしまった。結果としての分断。。。

 

だから、必要なのは、政治経済の中心となっているエリートが、「自分の能力」のおかげではなく、恵まれた環境があったことを自覚すべきということ。いやはや、本当にそうだと思う。

 

本書は、基本的にはアメリカにおける格差、分断をテーマににしている。歴史的背景や、社会制度などは、日本に生活する私には関係ないなぁ、、、と第三者的に読んでしまう部分もあるのだが、「だれもがひとりではいきていけない」という当たり前のことは、日本でも同じだ。

 

当たり前のように享受している公共のサービスも、交通機関、郵便、買い物、、すべてはだれかが提供してくれるから利用できるのだ。勉強用のノートだって、住む家だって、だれかがつくって、建ててくれている。この地球で、一人で生きている人なんていない。

 

よく、職業に貴賎なしというけれど、本当に心からそう思っているか?と問われれば、やはり、自分の中の色眼鏡がある。

 

役所広司が第76回カンヌ国際映画祭最優秀男優賞をとった『PERFECT DAYS』だって、「トイレ清掃員」という、一般的にはエリートとは言われない職業だったから、映画になったのだろう。私は、映画をみたけれど、役所広司の演技には本当に拍手喝采!!!って気持ちだったけれど、なにか、しっくりこないものを感じた。あきらかに、「トイレ清掃員」が社会的に敗者の仕事、という描かれ方だったと思うのだ。たしかに、あこがれの職業ではないだろうけど。「トイレ清掃員」や「ゴミ収集員」によって公共の環境が整えられるから、私たちは快適に生きていける。でも、普段の生活では、彼らへの感謝をどれだけ持っているだろうか?

 

良い大学へ入ることが、良い人生を送る条件であるかのように、親たちは子どもを良い学校へ行かせようと必死になる。その状況は、日本もアメリカと同じだろう。それ自体を否定しているのではないのだけれど、良い大学に入った者が勝者で、大学にいかなかったものが敗者であるかのような仕組み、社会が間違っているのだ、と著者は語っている。

そして、勝者たちは、口では敗者をみくだしていない、というけれど、事実、「勝者の道」から外れた人たちは、自尊心を傷つけられ、劣等感を感じている。その怒りが、ポピュリストを生み、トランプ政権を生み出した。それは、アメリカの話でしょ、っていえばそうだ。でも、能力主義が勝者と敗者をつくる、というのは、いま、世界中で起きている。グローバリゼーションがすすむ中、その流れに乗った者が勝者で、乗れなければ敗者。世界を飛び回る機動性の高さが評価され、国内や地方にとどまっているよりすごいことのように評価される。いやいや、それは違うでしょう。

 

でも、私自身、サラリーマンをしているときは、グローバルの流れに乗っているのが勝者だと思っていた。世界が広くなったと思っていた。でも、全然違うのだ。確かに国境を越えてコミュニケーションしているかもしれないけれど、それはある一定の同類仲間と交わっているだけで、多様性でもなんでもなかったのだ。所詮、仕事で会うカウンターパーソンは、同じ業界だ。多少バリューチェーンの上流下流に派生したとしても、その世界でしかない・・・。

 

世界は、もっと広い。
途方もなく広い。
自分がどれだけちっぽけなもんか。
そういう謙虚さをなくしたら、だめなんだよ。

 

本書の結論をいえば、「能力主義は、それを自分の力とおもうならば正義ではない」なのだ。

 

長くなってしまったので、覚書はまた別途、、、。