『兼好法師 徒然草に記されなかった真実』 by 小川剛生

兼好法師 徒然草に記されなかった真実
小川剛生(おがわ・たけお)
中公新書
2017年11月25日 発行

 

兼好法師についての勉強会で、課題本となっていたので読んでみた。教科書にもでてくる徒然草 の著者、兼好法師に関するお話。私が学校で習ったころは、吉田兼好として習った。ところが、2016年、兼好法師の系譜は捏造されたものだった!ということが明らかとなり、大騒動、、、に、一部でなっていたらしい。その、吉田兼好は捏造だった説を説いたのが、著者の小川さん。

 

表紙裏には、
”兼好は鎌倉時代後期に京都・吉田神社神職である卜部(うらべ)家に生まれた。六位蔵人・ 左兵衛佐(さひょうのうえすけ)となり 朝廷に仕えた後、出家して「徒然草」を著す—―――。 この、現在広く知られる彼の出自や経歴は、兼好没後に捏造されたものである。著者は同時代史料をつぶさに調べ、 鎌倉・京都・伊勢に残る 足取りをたどりながら、 『徒然草』の再解釈を試みる。 無位無官のまま、自らの才知で中世社会を渡り歩いた「都市の隠者」の正体を明らかにする。”とある。

 

兼好法師といえば、吉川英治私本太平記』のなかで、しばしば渋い役回りで活躍する隠者役。徒然なるままに隠遁生活をしつつも、人々をたすける渋いやつ!って感じ。

 

そんな、兼好法師が、吉田兼好だったのか、そうでなかったのか、、、というのは、私にとってはあまり興味の対象ではないのだけれど、 本書を紹介してくださった方は、大盛り上がりでいらした。歴史としては、すごい話題なのだろう・・・。

 

目次
第1章 兼好法師とは誰か
第2章  無位無官の「四郎太郎」 鎌倉の兼好
第3章  出家、土地売買、歌壇デビュー 都の兼好(一) 
第4章 内裏を覗く遁世者 都の兼好(二)
第5章 貴顕と交わる右筆 南北朝内乱時の兼好
第6章 破天荒な家集 晩年の妄執  歌壇の兼好
第7章 徒然草と「吉田兼好」 

 

感想。
まぁ、なるほど。。。。兼好法師とは誰なのか?こんなに有名な『徒然草』を描いた人だからこそ、かってに、自分の家系のひとだったことにしちゃえ!っていう捏造があった、ということ。かつては、教科書にだって、吉田兼好となっていたけれど、いまは、「兼好法師」という記載になっているらしい。あるいは、他の著書でも、吉田兼好という名前を使わずに表記することが増えているということ。

まるで、聖徳太子という名前が教科書にでなくなる、、、っていうのといっしょだ。厩戸皇子だなんて、1万円札の貫禄がないではないか、、、。って、聖徳太子が一万円札だったのは、はるか昔か・・・・。

 

で、著者は、兼好法師が生きていた頃の様々な史料を突き合わせて、兼好法師が高い官職についていた可能性はすくないと見抜き、卜部家が、吉田の家系図に勝手に加えたうえで、様々な尾ひれはひれをつけたのだ、、、と結論している。調べたたくさんの史料の写真が証拠として掲載されている。

 

そうそう、これだから、歴史なんて信じられん!って思っちゃうのよね。小学校のころから、授業の歴史って好きじゃなかった。いつも、教科書に書いてあるだけで、ほんとかどうかなんて証拠ない!って思っていた。でもテストでは教科書に書いてあることを是としいるから、そうでないことを書くと✖になる。いつも、「本当にそうだったのか、みてきたのか?!?!」と先生に突っ込みたい、と思っていた・・・・。

そして、歴史の認識が改められたことによって、こんな本も1冊出来上がるわけだ。

もちろん、正しいこともたくさんあるんだろうけどね。

 

兼好法師が、むさしの国、今の金沢文庫のあったあたりで、たびたび過ごしてているのは、確からしい。称名寺金沢文庫が、ゆかりの地。金沢文庫は、我が家からなら日帰り散歩で行ける場所だけれど、ちゃんと訪問したことがない。今度、行ってみようかな、って思った。

 

時代小説とかを読んでいても、どうも頭に入り切っていなかった官職について、本書で復習することができた。

 

中世の公家・武家の社会階級

大きく三層に別れる。
1.公卿(三位以上)・殿上人(四位)
2.諸大夫(五位)
3.侍(六位)

つまり、侍は一番下。。。

 

位階は、1位から初位(9位)までに分けて朝廷が人々に与える栄典。
三位以上は、正従の別がある。4位以下は、正従上下に細かく分類されるけれど無視してもいい。まあ、公卿が別格、ってことかな。

 

で、
・公卿と殿上人は、内裏昇殿が許されている。
・諸大夫は、院(上皇)や女院、摂関・大臣のもとに奉仕して、その家政に従事する。
・侍は、貴人の警衛に当たる人。地下(じげ)の身。衛門尉(えもんのじょう)・兵衛尉(ひょうえじょう)・近衛将監(このえしょうげん)などの衛府の判官(三等官)など。

 

侍は、名前ばかりは侍というけれど、もともとは、6位、最下層の人々だったのだ。ちょっと、武芸に秀でていると、とりたてられたりもする。

で、著者の調べたところ、兼好は「諸大夫」ではなく、「侍」にすぎなかった、あるいは、それ以下の身分だった、ということ。

 

その学説にたどり着いた、さまざまな史料の解説がこの一冊。また、兼好が、南北朝の時代に生きたことから、南北朝分裂の背景などにも話が及んでいる。まぁ、それは、私本太平記で学んだ方が楽しい。


徒然草については、本当に兼好法師が一人で書いたのかも不明、という説もあるらしい。教科書にも出てくる徒然草だけれど、「徒然なるままに日くらし、、、」の最初のところしか良く知らない。日本三大随筆(「方丈記」(鴨長明)、「徒然草」(吉田兼好)「枕草子」(清少納言)の一つ、ちゃんと読んでみてもたのしいかも、と思った。

 

随筆っていうけど、まぁ、要するに、おもったことを綴ったわけでしょ?っておもうと、ブログみたいなもんだよね、とも思う。 

 

それにしても、兼好法師にしても、かってに吉田兼好にされちゃって、いい迷惑だよね。学歴詐称、経歴詐称、、、自分でやったんじゃないのに、、、。使えるものはなんでも使うという強欲主義がはびこっていた時代もあったということか。まぁ、藤原氏の時代だって、北条氏の時代だって、、、似たようなものか。日本人って、実は強欲なのだろうか。清貧なんて言葉は、、、戦後につくられた言葉かもしれない、なんてね。

あ、鴨長明は、やっぱり、清貧かもしれない。まぁ、震災ですべてをなくした社会をかたった随筆だから、徒然草とは時代がちがうから、、、ね。

 

次は、『徒然草』、読み返してみよう。

 

古典は、深いなぁ・・・・。