『マーリ・アルメイラの7つの月 (下)』 by シェハン・カルナティラカ

マーリ・アルメイラの7つの月 (下)
シェハン・カルナティラカ 著
山北めぐみ 訳
河出書房新社
2023年12月20日 初版印刷
2023年12月30日 初版発行
The Seven Moos fo Mali Almeida (2022)

 

(上)の続き。

 

戦場カメラマンだったマーリに危険地域に行って写真をとらせていた張本人のひとりは、AP通信社のジョニー・ギルフーリーだった。また、ロバート・ボブ・サドワースも、AP通信社からの回しもので、マーリに様々な仕事を依頼していた。

 

マーリが、戦場カメラマンをやめて、DDと一緒にサンフランシスコへ行こうと心に決めたのは、ジョニーやロバートに依頼されていった地域で、ジョニーのアイディアだった「赤いバンダナ」をしていたにもかかわらず、攻撃されたからだった。
「赤いバンダナ」は、非戦闘員のしるしのはずだった。今のイスラエルハマスの戦地に、UNのメンバーが、UNの印をつけた車で支援物資を運んでいるようなもの。そして、今、イスラエルで、食料支援団体だった「World Central Kitchen」の車が砲撃されて死者が出たように、スリランカでの「赤いバンダナ」も砲撃の対象となってしまったのだ、、、、。


マーリは、その危険地域からコロンボへ戻ると、ジョニーやボブ、また他にもテロリスト情報の収集をマーリに依頼していた活動家へ、もう、危険な仕事は辞めると告げる。
そして、最後にDDにきちんと「愛しているのはDDだ。戦場カメラマンをやめていっしょにサンフランシスコへ行こう」と告げるために、痴話げんかをしていたDDへ手紙を書き残す。ところが、その手紙がDDの手元に届く前に、マーリは「はざま」の世界へきてしまったのだった・・・。


精霊も、悪霊も跋扈する「はざま」の世界でも、マーリは仲間を見つけてなんとか自分の写真を世に出そうと頑張る。
人間界では、まだ私利私欲の政治家や活動家が保身のためにマーリの撮った写真のネガを抹殺しようと躍起になっている。そんなごたごたに巻き込まれている死体処理人のドライバーは、つぶやく。
この島は、吞み込まれる。最初は炎に。次は洪水に。


救いようのない、泥沼、、、。それが、当時のスリランカだったのだ。その泥沼さ加減を、幽霊のマーリの視点、生きているDDやジャキの視点、政治家、活動家の視点で描かれているので、読者は、第三者的視点で、なんとなく冷静にみつめることができる。小説に没入していくというよりは、物語を観劇している感じ。
うまく、描くなぁ、、、って思う。


とうとう、DDとジャキは、マーリが大事にしてきた非公開写真のネガを見つける。そして、マーリが生前「ここにもっていくように」と言っていた現像屋さん、ヴィランのところへネガを持っていく。ヴィランは、心得ていた。とうとう、、、万が一の時が来てしまった。。マーリはもう、この世にはいない。だから、DDやジャキがネガをもってきたということ、、、。そして、マーリに頼まれていた通り、ネガから2枚ずつ写真を現像する。一つは、写真を公開してくれることになっているミスター・クラランタへ。もう一つは、マーリの義理の妹にあたるトレイシー・カパナラへ。


写真を現像したことで、DDやジャキにも危険の手が迫る。DDの父、スタンリーは、何とか息子やジャキを守ろうとするが、ジャキはすでに敵の手に拉致されてしまっていた。
マーリは、必死に人間へのささやきを覚え、3つだけささやきかけるようになる。えらびに選んだ場面でささやくマーリ。DDへ、ジャキへ、逃げろ!逃げろ!逃げろ!
マーリのささやきは、声として生者に届くわけではない。でも、第六感として感じさせることができるのだ。あるいは、マーリが乗ってきた風を生者が感じる。。。そこに、いる、、、と。


そして、マーリは、自分の死の真相を知る。マーリは、テロリストに殺されたのでもなければ、活動家にころされたのでもなかった、、、。真相は、、、、
衝撃の事実。
読者も、まさか!の真実、、、。
このネタバレは無しにしておこう。

 

いやぁ、、、面白い。
そして、スリランカの歴史をしらないとな、って思う。 

 

物語のなかに挿入される、歴史も興味深い。また、比喩としてアーサー・C・クラークが出てくる。うん?なんで?と思ったら、アーサー・C・クラークは、イギリス出身のSF作家だが、スリランカに30年も住んでいて、コロンボでなくなったのだそうだ。2001年宇宙の旅アーサー・C・クラークだ。スリランカには、『宇宙の旅』のエンディングのような未来は、、、人類が生まれ変わるような、、、国が生まれ変わるような未来は、なかなか来なかった・・・。

 

たくさんの幽霊がでてくるのは、実際、スリランカで多くの人が亡くなっているから。「幽霊も他の幽霊が怖い」って、でてきて、思わず笑っちゃう。いやいや、そうだよね、わからないものは幽霊だって怖いよね。

 

そして、

”人はみな、自分の頭でものを考え、自分の意思で決断を下していると信じている。だが、それもまた、、、、”

幽霊にささやかれているのかもしれない。幽霊の風をかんじているのかもしれない、、、って。

 

”幽霊が生きている者の目に見えないのは、罪悪感や重力、電気や思考が目に見えないのと同じだ。一人一人の人生の進路を司るのは、幾千もの見えざる手。”だと。

 

そうね、、、そうかもね。

自分の頭で考えているつもりだけど、だれかに、囁かれているのかもしれない。

それは、虎かもしれないし、天使かもしれないし、、、。

 

そして、幽霊になっても、マーリは「何も知らないコロンボの人に、本当のスリランカを見せる」ことに成功したのだ。そして、それを世界へ発信する事にも。

 

スリランカは、島国だ。交通のインフラは整っているとはいいがたい。ゆえに、コロンボの人は、北で起きている虐殺の真相を知らずに生きていた。そんな時代があったのだ。インターネットもSNSもない時代。人は、誰かのささやきにたよって生きていた。

 

いま、私たちの耳にささやくのは、だれだろうか。。。

耳を貸す相手は、誰にするべきだろうか。。。

 

と、まぁ、いろんなことを思う一冊。

エンターテイメントであり、人の儚さ、人の強さ、、、色々おもう、とても面白い一冊だった。

 

上下二冊なので、そこそこの長さはあるけれど、お薦め。

読むなら、スリランカの歴史を勉強してからが、なおよい。

 

うん、読書は楽しい。