『桃太郎のユーウツ』  by 玄侑宗久

桃太郎のユーウツ
玄侑宗久
朝日新聞出版
2023年12月30日 第1刷発行

 

日経新聞、2024年2月10日の朝刊に書評がでていた。


記事によれば、
”それぞれの話は喜劇あるいは悲劇へ。その結末には一点の純粋なるものが必ず置かれているように感じられる。玄侑さんの筆の魅力であるのだろう。現在が抱える生きにくさや困難の対岸へ少しでも通じていこうとする丹念な書きぶりに、言葉に出来ないぬくもりが宿り、静けさと美しさが残る。”と。

 

玄侑さんの本、私は読んだことが無い。
 
著者の玄侑宗久さんは、 1956年福島県三春町生まれ。慶應義塾大学 中国文学科卒業。 様々な職業を体験後、京都天龍寺専門道場に入門。現在は、臨済宗妙心寺派福聚寺住職。著書多数。

 

臨済宗、禅寺の住職。一時はTVにも欲出られていたのではないかと思う。震災後は、福島のために活動されているという印象を受ける。詳しくはしらない。
その、玄侑さんの本を初めて手にしてみた。6篇の短編集だった。

 

目次
セロファン
聖夜
火男おどり
うんたらかんまん
繭の家
桃太郎のユーウツ
あとがき

 

感想。
へぇぇ、、、、なんというか、しんみりしちゃうというか、不思議な気持ちに包まれる感じ。優しいのか?いや、なんか違う。最初の4篇は、今の日本を舞台にした話。お葬式が場面だったり、お寺が場面だったりで、なるほどお寺の住職をしている人が紡ぎ出す文章らしい。繭の家は今から100年後くらいの、震災や富士山噴火で東京が消滅してしまった後の世界の話で、SFみたい。ちょっと、不気味。桃太郎のユーウツは、桃太郎、、、そんなせちがない世界でいきていたか、、、みたいな、やるせなさ。。。

どのお話も、無表情でよんでしまう、、、って感じ。

 

これが、玄侑さんらしい作品なのかもしれないけれど、「ユーウツ」がシトシトと振り続けているような、、、、。

 

チョットだけネタバレ。

 

セロファン」は、たった4ページの物語。お葬式の棺の蓋のセロファンが、火葬したら棺の中の母の顔に溶けて貼り付けてしまうのが嫌だといって叫ぶ10歳の私。でも、シングルマザーであった母の死に泣けなかった私。そんな自分の姿を思い出している大人になった私は、祖母の葬式で同じようにセロファンが棺の蓋にあるのをみても、セロファンを取ってと叫ぶことはなく、、合掌し、涙を流した。

 

私は、このお話を少年のお話だと思って読んでいたのだけれど、あとがきをよんでいたら、「主人公の女の子」とでてきた。私は、10歳で、たった一人の親をなくす女の子の姿を想像したくなかったのかもしれない。私のかってな思い込み。玄侑さん自身が、棺のセロファンをなくしてほしいとおもっているそうだ。

 

「聖夜」は、お葬式の後の住職夫婦の話。それは、クリスマスイブのこと。人が人に届けたい愛は、イエスなのか、神なのか、仏様なのか、、、。いつもの日帰り温泉に車でよってみたものの、客がだれもいない。みんな、クリスマスでどこかに行ってしまった。震災のあとの福島を彷彿させる、ちょっと悲しく、寂しく。でも、明るく生きる妻と妻を大切にしている住職の姿に、ほっこりしたものを感じる。

 

「火男おどり」は、なぞの100万円のお賽銭をどうつかうか?と相談された住職の話。そのお賽銭をいれた人こそ、、、、、。震災、コロナ、孤独、、、それでも人は誰かのために何かをしたいと思うのだ。。。

 

「うんたらかんまん」は、本書の中で一番重い。実際にあった、一家惨殺事件をテーマにしているそうだ。孤児院で育った主人公は、自分の祖父がその犯人であり、死刑になったということをずっと知らずに生きてきた。そして、その真相をきいてしまう、、、という衝撃。。。

 

「繭の家」は、異様な近未来。富士山噴火、震災で壊滅的になった日本。人は人と接触することを禁止され、結婚してもいっしょに住むには国の許可がいる。出会いのチャンスもないので、AIによるマッチングで結婚相手をさがす。でも、結婚前に、徹底的な健康診断が行われ、感染症の疑いがあると結婚の許可はおりない・・・。ディストピア

「オーウェリアン」 (Orwellian)的。

 

話は飛ぶが、ジョージ・オーウェルの描く、ディストピア的なものをオーウェリアンというのだそうだ。先日、英語の先生と自宅にあるネット接続可能デバイスのはなしをしていて、彼は、「google home」、オーウェリアンだと言っていた。もちろん、『1984』も『動物農場』も、考えたくないディストピア

 

「桃太郎のユーウツ」は、桃太郎が生まれ変わっては〇〇桃太郎として世の中の憂鬱に対峙するはなし。そして、なんと、総理大臣テロ爆破計画に加担する桃太郎・・・・。


いやぁ、どれも、よくこんなこと考えるなぁ、、、って感じ。

 

読後に、なんともいえない、空しいような、無になってしまうような、色即是空。。。

そうか、こういうの、「ユーウツ」っていうのかな。。。っていう感じ。

 

心が元気な時に読む方が良い一冊かな。

 

住職という仕事は、人々の悲しみ、憎しみ、恨み、、、そんなものが渦巻く世界と隣り合わせなのかもしれない。そうでないと、こうもユーウツな物語は出てこない気がする。そして、その世界と、自分とを切り離して考える訓練ができている人かもしれない。共感しすぎれば、自分まで苦しくておかしくなってしまう。震災の報道をみていて、被災者ではないのに自分まで気分が落ち込んだり、体調不良になるというのは、一般の人にはよくあること。でも、住職のような立場の人は、おそらく、自分を切り離して考えられるのだろう。。。。訓練だよな、、、って思う。切り離すというか、世界の無を受け入れるというか。。。

 

スタンフォード大学の共感の授業』ででてきた、「共感づかれ」という言葉を思い出した。

megureca.hatenablog.com

 

自分のことと、他人のことと、切り離して考えるって、やっぱり大事かもしれない。。。

 

その訓練の一つも、坐禅かもしれない。。。

そういう強さみたいなものは、同じ、臨済宗全生庵の平井住職に感じることがある。

無を知るということ。

 

心身の鍛錬って、そういう境地にいたるっていうのもあるのかなぁ。。。。って思った。

改めて、悟るってどういうことなのかと考えさせられた一冊。

 

やっぱり、、、ちょっと、ユーウツながら、読書は楽しい。