『青嵐の旅人(上) それぞれの動乱』  by 天童荒太

青嵐の旅人(上) それぞれの動乱
天童荒太
毎日新聞出版
2024年9月20日 印刷
2024年10月1日発行

 

新聞の広告で見かけて、気になったので図書館で借りて読んでみた。 毎日新聞で 2023年1月21日 から 2024年5月12日 まで連載されたもの。 天童さんの作品なので 読んでみようと思った。

 

著者の天童荒太さんは1960年 愛媛県松山市生まれ。 86年『白の家族』で野生時代新人文学賞を受賞。 93年『孤独の歌声』が 日本推理サスペンス大賞優秀作となる。 96年 『家族狩り』で 山本周五郎賞、 2000年 『永遠の仔』で日本推理作家協会賞。と、受賞作品多数。

私が、読んだことあるのは、そのうちほんの一部でしかないけれど、『永遠の仔』がめちゃくちゃ面白かった記憶がある。すでに、内容は忘れているけれど・・・・。

ということで、そんな 天童さんの 新聞連載作品。装丁の絵も美しい。

 

本の紹介には、 
”『永遠の仔』『悼む人』を超える、新たな"世界"の誕生。

激動の幕末の伊予松山藩
戦を厭う娘ヒスイ、医の道で人を助ける救吉、若き武士辰之進。
霊泉の湧く故郷を守るため、若者たちが立ち上がる!

文久2(1862)年。舞台は、260年間続いた江戸幕府がいま、まさに消えようとする頃の伊予松山藩愛媛県)。代々続くおへんろ宿「さぎのや」で育てられた娘ヒスイと弟の救吉は、危機一髪の場面を救われたことをきっかけに、年少の藩士、青海辰之進と知り合う。医術で人を救うべく精進する救吉に、ある日郷足軽隊の調練に医師見習いとして同行せよと命が下る。誰よりも戦を厭い、平和を願うヒスイは、やがて救吉が真の戦に送られることは必定とみて、男装して弟に同道することを決意する。”
とある。


表紙をめくると、 正岡子規の歌が一つ。
旅人の青嵐の中を下りけり

 

そして、登場人物の紹介。
これがあるので、とても読みやすい。

 

主人公は、おへんろさんに宿を提供している「さぎのや」の

ヒスイ:14歳。幼いころに実母がさぎのやに助けられるが、母は亡くなり、さぎのやの子として育つ。実の父の名は知らない方がいいといって、知らされていない。が、実は、蘭学者高野長英ではないかと言われている。

救吉:捨て子。ヒスイの弟としてさぎのやで育てられる。ヒスイの一つ下で13歳のことになっている。

そして、ヒスイと救吉とともに伊予松山で育つ若者たちが、さぎのやの
勇士郎:さぎのや長男。風来坊なところがあって、大きくなって瓦版屋として江戸や京都での世間の様子を民衆に伝える。

天莉:さぎのやの長女。一家でひとりだけキリシタン。美しい娘で、若者男子の憧れでもある。

 

さぎのやのある伊予松山藩の重要人物
大原観山(有恒)明教館の教授。物語にはほとんど登場しないが、観山の孫は、正岡子規

青海辰之進:ヒスイが出会う、同世代の好青年。

青海虎之介:辰之進の兄。伊予松山藩は新藩であるにもかかわらず、反幕的な連中とつるんで、倒幕の道に進みかける。

 

そして、ヒスイが出会う歴史上の重要人物
坂本龍馬:土佐からの脱藩逃亡の途中、伊予の山道で腹痛で倒れているところを、ヒスイに救われる。のちに何度もヒスイとからむ。

とまぁ、フィクションではあるけれど、伊予松山藩を舞台として幕末から明治維新の時代を描いた作品。

 

感想。
これはこれは、、、面白かった。一日で、(上)を通読。読み始めたらとまらない。。。もちろん、フィクションであって、史実として龍馬がおへんろさんを手伝っている娘に腹痛で倒れているところを助けられたなんて話はないのだろうが、もしかしたら、あったかも、、、とおもうとちょっとワクワクしちゃう。

作品の面白さは、ヒスイのキャラクターにあるといっていい。

ヒスイは、男の子のようなやんちゃな女の子。でもまっすぐで聡明。弟や家族を大事におもっている。そして、龍馬と出会ったとき、龍馬を介抱しながらちょっとドキドキしちゃう。物語の出だしが、ヒスイと龍馬の出会いなのだ。

 

以下、ネタバレあり。

” 少女がその人に会ったのは、山深い森の中に通っている古いへんろ道からやや 外れた 茂みの奥 だった。”とはじまる。

少女はヒスイ、その人とは 坂本龍馬。 腹痛で悶えていた龍馬は、 突然現れたヒスイに警戒しながらも、あまりの痛みに身をゆだねる。そしてヒスイから口移しにもらった丸薬を飲むことで回復する。

だいたい、この出会いが劇的。きゅんとしちゃう。

そして、 龍馬と一緒にいたはずの仲間が「 坂本さーん」「 龍馬ー」と呼びかけて探しに来たことから、ヒスイは、 自分が助けた人が坂本龍馬だと知る。龍馬は、この少年に助けられたと仲間に言うのだが、「女の子です」というヒスイ。(笑)

 

そして、 ヒスイは、龍馬たちに追手を逃れて無事に長浜 へたどり着く道を指南する。ヒスイは、 龍馬の命の恩人であり、脱四国の恩人ともなった。ヒスイに感謝する龍馬。そして、何かお礼を、、と言われたヒスイは、

「 戦だけは、お避けくださいませんか・・・。

  物事をよく変えようとしても、人が死ねば 何の意味もございません。殺されたものは恨みを抱き、殺した側も心の罪を免れません。」と訴える。

龍馬は、

「こいつ、さかしらな口をきく」といいつつも、
「おまんの言葉には一理ある。・・・・ 分かった。 命の恩人の願い事じゃ。 揉め事が起きても、 できるだけ戦は避けて、 話し合いで解決すると約束しよう」
といって笑顔でヒスイの頭をポンポンと軽くたたくと、長浜に向けて去っていった。

そして、龍馬は、「ヒスイ」という名前が「翡翠」でありつつ、鳥の「カワセミ」の別名でもあることに舟に乗りながら気が付く。

 

知らなかった。カワセミって、ヒスイともいうのね。

 

そして、救吉。救吉は、藩の療養所でお手伝いをしていて、門前の小僧のように医学の勉強をしている。当時は、漢方医が主流で、蘭方医緒方洪庵が適々斎塾を大坂で開いていた時代。救吉は、いつか町医者になることを夢見る。そして、蘭方医を学び、人びとを助けることこそが自分の使命と信じている。

そんな救吉は、牛や馬の死体処理や処刑された罪人の始末などを負わされているジンソという老人(当時は賤しまれた身分)に立ち合い、生き物の解剖体験を積んでいく。医師たちにとっても、「解体新書」に書かれたことを実際に目にする貴重な機会であり、秘密裏に処刑者の解剖などが行われていた。しかし、見学に来る医師らは実際に遺体に手を触れることはない。実際に手をうごかす救吉は、知らず知らずに医学の知識、外科手術の技術を身に着けていく。

と、そんなさぎのやの二人の子供たちは、心が正しく、素直なよい子たち。

 

二人は、ある日、馬を乱暴に走らせ子供に怪我をさせそうになる鷹林(たかばやし)という無礼な武士に出会う。ヒスイは、おじけづくことなく武士に苦言する。
龍馬に「思うがままに飛べ」といわれたから、ヒスイの心はつよかった。

そして、鷹林の連れ・西原がヒスイと救吉にむかって、無礼だと刀を構える。そこへ

「霊泉の場を血で汚してはなりません」といって、止めに入ったのが辰之進。

辰之進は、さぎのやに度々おとずれる大原観山が連れて歩いていたため、ヒスイは顔に見覚えがあった。こうして、辰之進はヒスイたちの恩人となる。このとき、辰之進は元服前。

と、子供たちの出会いがつづられつつ、当時の幕府の様子、伊予松山藩の様子が語られる。私にとっては、道後温泉がいかに霊泉といわれてきたか、夏目漱石正岡子規とのかかわりなど、なかなか興味深いものが。

そして、上巻では、徐々に尊皇攘夷、倒幕といった様々な動きが高まりつつ、新選組が京都で活躍しつつの幕末の動乱が描かれる。

 

元号文久から元治にかわったころ、 薩摩藩会津藩公武合体派が、急進的な尊王攘夷派である長州藩士らとぶつかり合う改元は、 運気と人 心を一新したい願いが込められてのことだった。

 

ヒスイは数えで16歳。救吉は15歳になった。

とにかく、戦ぎらいだったヒスイだが、救吉が藩医と共に藩の武士や足軽たちに同行して医療を学ぶことを求めらえたことから、だったら私も行く!といって、髪を切り、男装して救吉と供に郷足軽隊の医務方に加わり、地道に医療の技を身につけていた。男装したのは、女子では藩に努めることは許されていなかったから。


そんな、二人は、亡くなった緒方洪庵の一周忌の親睦会に参加するため、他の藩医とともに大坂へ向かう一行に加わることとなる。大坂であれば、救吉が傷の縫合に必要としている細い絹糸など、医療用具を購入することも可能。二人は、藩の命をうけて大坂にむかう。

と、新選組には、伊予松山を脱藩した「こなくその原田左之助」という男がいた。「こなくそ」が口癖で、もともとは皆から慕われていた原田であり、ヒスイらも幼いころによく遊んでもらった相手。大原観山は、ヒスイと救吉に、密かに原田に会ってねぎらいの言葉をかけ、金子を渡すことを託す。他の藩の人々には知られないように、ひっそりと。

そして、大坂に向かう一行には、辰之進もいた。かつ、鷹林らもいた。みんな心の中には思い思いの考えを抱え、船旅が始まる。

 

舟では、多くの人が船酔いにやられる。救吉は薬草でつくった酔い止めをみんなに配り、苦しみをゆるめてやる。

伊予をでて6日目、舟は大坂の港につく。そして、ヒスイと救吉は、同行していた藩医たちとわかれて、西洋の医療器具を扱っている店をさがした。そこで、「坂本龍馬様ー」の声を耳にする。

ヒスイは、大坂で龍馬に喜びの再会をする。また、男の恰好をしているヒスイに驚く龍馬だが、事情をきいて納得する。そして、弟の救吉を紹介。二人の話をきいて、「頼もしい姉弟じゃ」とほほ笑む龍馬。

ヒスイは、戦を避けてくれとお願いしたにもかかわらず、自分自身が郷足軽隊の中にいることを龍馬に謝る。龍馬は、二人の話を聞き、「よい姉弟じゃ」とほほ笑む。そして、若者も女子も普通に活躍できる世の中にするというのだった。

そこに現れた辰之進。辰之進も又、龍馬のよき友となるのだった。

龍馬と別れる際、ヒスイは、伏見に出て京に上る予定を伝えると、龍馬は
伏見なら寺田屋」という船宿に泊ればいいとすすめてくれた。女将のお登勢がきっとヒスイらの味方になってくれる、といって。

そして、伏見についてみると、藩が用意していた宿がまさに寺田屋だった。差配役の鷹林があらかじめ決めていたことだった。2年前、薩摩藩の侍同士が切り合った寺田屋。登勢は、二人から龍馬のことをきくと、二人だけに特別の部屋を用意してくれるのだった。

 

ヒスイと救吉は、原田に会うために密かに新選組の詰め所新選組屯所」に向かう。そこで出会ったのが、沖田総司。沖田は、原田の知り合いだという二人を歓迎する。そして、二人は隊の中の急病人たちを診察することとなり、さらに信頼を高めるのだった。病人は、食あたりと霍乱(かくらん:熱中症だった。そして、食あたりを避ける方法、霍乱をさけるために水分を飲むこと、休むことを指南する。原田にも無事に会い、大原からのお使いを果たす。夜遅くなり、今から帰宅するのも危険だというのでヒスイらは新選組屯所に一晩お世話になることとなった。

 

そして、翌日の夜は、祇園会だった。

にぎやかな祭りの中、不穏な気配がただよう京の夜。

 

ヒスイと救吉を送り出す原田や総司には、なんか特別な緊張感がただよっていた。
「ではヒスイ、救吉、また会おうの」と原田が言う。
「霊泉での世話を、楽しみにしている」という総司。

だが、ヒスイも救吉も、 この2人にはもう会えないのではないか・・・・という予感がした。

(下)に続く・・・。 

 

ドキドキ。。。

あぁ、、、幕末の動乱。。。

 

続きはまた。。。