マンガ日本の歴史 22
王法・仏法の破滅 応仁の乱
石ノ森章太郎
中央公論社
1991年8月5日 初版印刷
1991年8月20日 初版発行
『マンガ日本の歴史 21 土民、幕府をゆるがす』の続き。21巻では、くじびき将軍・義教(よしのり)の誕生。だが余りの横暴政治に大名たちはかき乱され、とうとう義教は播磨の赤松満祐に暗殺される。一揆が頻発するなど、不安定な世の中に。22巻では、義教亡き後の世の中の混乱ぶりに拍車がかかり、かつ、幕府の主導権争いから応仁の乱勃発!
目次
序章 都・灰燼に帰す
第一章 幕政の乱れと守護家の内紛
第二章 仏法王法とも破滅す
第三章 山城国一揆の興亡
何度読んでもわかりにくい・・・・。応仁の乱の攻防。。。。。将軍家そっちのけでの幕府の主導権あらそい。とも言い切れない。けれど、足利家の戦いというよりは、御家人同士の戦いから始まった。
それも、すべては将軍家が家督介入、内訌を引き起こしたことが原因。管領である畠山家の家督争いは、畠山義就(よしなり)派と弥三郎派で割れて収集がつかなくなっていた。
それも、弥三郎が家督をついだ後に、将軍義政(義教と日野裏松重子の子)が義就をそそのかして弥三郎から家督を奪ったことによる。
弥三郎がなくなると、弥三郎派はその弟の政長を擁立。
畠山義就は、河内国・嶽山(たけやま)城に立てこもり、幕府の大群(畠山政長、山名宗全(やまなそうぜん)と2年にわたって戦う。
その前年から、日照り、長雨、低温、洪水と天災が続いたうえ、イナゴの大発生で不作となり、世の中の食糧が底をついていた。そんな悲惨な中でも内訌からの戦いはつづいた。
加茂川の河原は、死体で埋め尽くされた。東福寺の僧・雲泉太極(うんせんたいきょく)は、地獄絵と記している。
1463年、嶽山城の畠山義就はついにおちて、吉野山へ逃げる。勝った政長は管領となる。
大飢饉から幕府の無策ぶりに業を煮やした百姓たちの土一揆が頻発。土倉や酒屋が襲われて、食べ物が略奪される事件が相次いだ。
世の中は乱れているのに、義政は政治に飽きて、弟の義視(よしみ)を後嗣にしようとする。が、その後、義政の正室・日野富子が男児・善尚(よしひさ)を産む。将軍家もごちゃごちゃ。。。。幕府も政治力を失って守護家ではない将軍側近が独占するところとなっていく。
そして、あちこちでの家督争い。権力争い。畠山家のみならず、斯波家の内訌。
善尚(よしひさ)波の側近は、義視の暗殺を計画するなどするが、それに反対する大名たちとで諍い勃発。
つづく飢饉、悪政、守護大名の内訌、党派抗争、、、渦巻く民衆の不満。
そして、山名 vs 細川 の応仁の乱へ!
もう、誰が誰についているのだか、私には訳が分からなくなっていく・・・。とにかく、あちこちの軍勢を巻き込んで、そこらじゅうで戦いが勃発。
京都の街は焼き尽くされる。それでもなかなか勝負がつかず、、、、乱は11年以上にわたって続く。途中、山名宗全、細川勝元といった両陣営の重要人物が死去するが、小競り合いはずっと続く。
最後は、両陣営に勝負がついたというより、「やってらんね~」と立ち上がった山城国の民衆による国一揆で、両陣営ともに追い出されるという始末。
反細川派の守護大名たちは、実力で領国を統治して戦国大名となっていく。幕府は力をうしなっていく・・・・。
続きは23巻。
しかし、こんな乱れた時代にあって、東山文化を花開かせた8代将軍・義政というのもなんというか、世離れしているというか、、、、我が道を行くにもほどがある。けど、争いばかりの世の中だからこそ、滋味あふれる東山文化なのかもしれない・・・。
東山文化への印象がちょっと変わるなぁ・・・・。