『武士道』 いま、拠って立つべき”日本の精神”
新渡戸稲造 著
岬龍一郎 訳
PHP文庫
2005年8月17日 第一版第1刷
2006年5月8日 第一版第9刷
新渡戸稲造をテーマにした懇話会の予定があるので、原点に戻って読んでみた。家の本棚にあったのは、PHP文庫だった。30代か40代か、やまほどPHP文庫を買っていた時代があったけど、これは捨てなかったみたい。
『武士道』は、新渡戸稲造が英語で日本を紹介するために書いた本であって、あとから日本語版が出版されている。岩波文庫の格式高き翻訳もあるのだが、読みやすいPHP文庫で。
帯には、
” 日本の精神的支柱がここにある。
サムライのごとく気高く生きよ。
義 武士道の基礎
勇 勇気と忍耐
仁 慈悲の心
礼 仁・義を型として表わす
誠 武士道に二言がない理由
名誉 命以上に大切な価値
忠義 武士は何のために生きるのか”
裏の説明には、
” かつて日本には、 我が国固有の伝統精神があった。その一つが武士道である。 それは、新渡戸稲造が1899年に英文で『武士道』を発表し、世界的な大反響を起こしたことでもわかる。今週はその現代語訳である。 発刊当時の 明治期と同様の現代の私たちは急速な国際化の中で、日本人のアイデンティティを見失いつつある。「 日本人とはなにか」を問い、 倫理観・道徳観を見直すことができる格好の書である。”
とある。
表紙の裏袖には、「解説」からの抜粋が。
” われわれは今日の会話の中で、「彼はサムライだ」という言葉を使うことがある。それはその人が封建的だとか権威主義的だとか、あるいは時代錯誤とか言ったマイナスの意味で使っているわけではない。 むしろ、決断力のある果敢な性格の持ち主とか、責任感の強い 正義漢とか、筋を通す信念の人とか、肯定的な評価として使っている。
あるいはまた、( 中略) 「卑怯者」とか、「恥を知れ」 という言葉を吐くが、 これとて、そのもとは武士道 から派生したものである。ということは、現代人の我々の中でも武士道を意識するとしないとにかかわらず、 武士道精神が残っていることを証明している。”
最初に、第一版の序文が載っている。 新渡戸稲造がなぜ『武士道』を書いたかという話。それは、法学者・ド・ラヴレー氏の家に招かれて、歓待をうけて数日をすごし、一緒に散歩している最中に、日本に宗教教育がないということに驚かれたということ。
「宗教教育がない! それではあなた方はどのようにして 道徳教育を授けるのですか?」と言われた新渡戸は、質問に愕然として、答えることができなかった。
また、妻(アメリカ人のメリー)にも、なぜこのような思想や道徳的習慣が日本でいきわたっているのかときかれたことが直接の理由でもあった。ということ。
そして、『武士道』は、英語で出版されることとなる。
そして、武士道はその後何度も改訂増補版がでている。本書には、増訂第十版の序文も掲載されている。
目次
第一章 武士道は何か
第二章 武士道の源はどこにあるか
第三章 義 武士道の礎石
第四章 勇 勇気と忍耐
第五章 仁 慈悲の心
第六章 礼 仁・義を型として表す
第七章 誠 武士道に二言がない理由
第八章 名誉 命以上に大切な価値
第九章 忠義 武士は何のために生きるか
第十章 武士はどのように教育されたのか
第十一章 克己 自分に克つ
第十二章 切腹と敵討ち 命を懸けた義の実践
第十三章 刀 武士の魂
第十四章 武家の女性に求められた理想
第十五章 武士道はいかにして「大和魂」となったか
第十六章 武士道はなお生き続けるか
第十七章 武士道が日本人に遺したもの
訳出にあたって
解説
感想。
うん、ちょっと古くさくはあるけれど、やっぱりいい。しかも現代語訳なのでとても読みやすい。後半の切腹とか刀とかの話になってくると、、いやいや、やっぱり、切腹も敵討ちでだれかに刃を向けるのも違うでしょ、、、とは思うけれど。
第十四章は、女性に関する話だけれど、別に良妻賢母になりなさい、とは言っていない。男と女には異なる役割分担がある、ということだといっている。武士が主君をささえるように妻が夫をささえる。まぁ、、、いつの時代も、男女に限らず、役割分担はある。
第一章で、武士道は何であるかという説明がされ、それは、「高き身分の者に伴う義務=ノブレス・オブリージュ」であり、武士階級がその職業、および日常生活において守るべき道を意味する、としている。
武士道が最初に刊行されたのが、1899年、明治32年。つまり、すでに江戸時代の武士はいなくなっている。それでも、脈々と武士の「心に刻み込まれた掟」を文字化したのが『武士道』という本であり、chivarlyという言葉ではなくあえて「Bushido」を使う、と宣言している。日本語の武士道を適切に言い表せる英語はないということ。
武士道は、成文法ではない。だから、宗教でもない。でも、脈々とうけつがれてきた掟。読んでいると、たしかに「サムライ精神」はかっこいいし、今の時代にも通じるものがあると思える。やはり、日本人なら必読書の一つだろう。新渡戸は、日本人は野蛮ではないし、日本人なりのフェアプレー精神があるのだ、ということを世界に伝えたかった。そして、得意な英語で本にした。新渡戸は、ただ単に英語ができるということだけでなく、キリスト教徒であり、農業経済、札幌農学校で学ぶなど、幅広い知識があったからこそ、人びとの心に響く言葉を発することができた。本だけでなく、さまざまな講演にしても、多くの人を魅了した。その魅力は「武士道」の心にあったと言われれば、勉強せずにはいられない。
時々、キリスト教との比較での説明もあり、これは西欧の人にわかりやすかったはずだ、と思う。武士道の源流となる神道には、キリスト教のような「原罪」はない。かわりに、神社にあるのは一枚の鏡であり、鏡が人間の心を表すのだ、と。人が参拝をするとき、心が完全に平静で澄んでいればそこに「神」の姿をみることができる。この参拝は、古代ギリシャのデルフォイの神託「汝自身を知れ」に通じるものがある、と。
また、キリスト教だけでなく、多くの西欧の人の名前もでてくる。これは、博識でないとできない技だ。。。新渡戸稲造、やっぱりすごい。もちろん、孔子、孟子、といった教えからどう武士道につながったかという話もでてくる。まさに、インターナショナルな一冊なのだ。
武士道がめざすのは、「知行合一」である、といっている。知識は行動と合致しなければいけない。それはソクラテス的教義であり、王陽明が「知行合一」と言う言葉にした。
今日のビジネススクールでも、「知行合一」はよく言われる。『武士道』を読むことは、ビジネスともつながる、と言っていいと思う。まぁ、要するに、結局ビジネスというのは人と人との交わりであり、そこに、義・勇・仁・礼・誠がなければいけない、ということだ。
たしかに、金の亡者で、「義・勇・仁・礼・誠」を欠いている経営者も世にはびこることはある。でも、そういう人がトップの組織は、持続性がない。「人」を大切にしない人は、やっぱり、ダメなのだ。
第三章~第九章までは、武士道の一つ一つの道について。言うまでもない、、という感じだろうか。
ちょっとだけ、私なりにポイントを覚書。
「義」:卑怯なる行動や不正なふるまいほど忌まわしいものはない。
「勇」:相手が敵であっても、正しきことをなすこと。
「仁」:優しく柔和で母のような徳。説得力を持つ。
「礼」:他を思いやる心が外へ表れたもの。愛。茶の湯
「誠」:「言」と「成」の文字からなる。証文なくとも約束を守る。嘘は心の弱さ。
「名誉」:恥の感覚を知って覚える、尊厳。些細なことで怒らない。
「忠義」:我が子の犠牲をもいとわない忠義。良心の奴隷化ではない。
義・勇・仁・礼・誠、までは、わりとわかりやすい。名誉と忠義についてでてくる事例は、やや封建時代的なことが多くて、今の時代にはそぐわない、、と思わなくもないけれど、言わんとするところはわかる。それは、私が日本人だからだろうか。
名誉心は、劣等国として見下されることに耐えられないという心情を日本人にもたらし、明治維新以降に近代化を進める日本人の動機の最大のものだった、といっている。
「劣等感」、これが日本人の原動力のすべてだったのではないだろうか、、、いや、いまでもそうなのではないだろうか?と、最近そんな風に思う。日本人と劣等感について研究してみたいくらい。
余談だが、ロシア語訳者として活躍された米原万里さんが、ロシアの小学校から日本の小学校に転校したときに、同級生が色々なことで競い合うことに驚き、かつ、日本語が不得意でできないことに劣等感を感じさせられた、といったようなことをエッセイで綴っていた。なぜ、劣等感を煽るような教育をするのだろうか?と。ロシアの学校なら、それぞれの子どものすごい所を褒め合うのに、なぜ日本は比較して競わせるのか、、と。
「劣等感」、inferiority、それを打ち破るなにかが、義・勇・仁・礼・誠にあったのだろうか?
そして、「名誉」は、「恥」の感覚を覚えることからその大事さを認識する、という話を読んで、『WEIRD(ウィアード)』を思い出した。
まさに
”家族・親族を大事にする人たちは、「恥」の概念で自制することがあるが、個人主義の人たちは、「罪」の概念で自制する”
とあったのが、ここ武士道にも描かれている。
やはり、このキリスト教的な「罪」と、家族にまつわる「恥」と、この違いによる思想の違い、、違いがあるということを理解していないと世界で起きている出来事を理解することはできないように思う。
そして、名誉は家柄を尊ぶ強い家族意識と密接に結びついていて、家族のつながりが薄れると、「恥」の概念が薄れて社会はみだれる、といったことは、バルザックもいっていたそうだ。
随所に、西洋と日本との比較での説明が出て来るし、現代語なのでとても読みやすい。決して、分厚い本ではない。だけど、濃い一冊。
新渡戸稲造は、かつて、五千円札の人だった。そして、あらたな五千円札の人、津田梅子とも親交があった。渋沢栄一のようなビジネスマンではない。でも、新渡戸稲造が日本を代表して日本を発信してくれたことで、日本は少なからずの理解者を得ることができた。そうでなければ、昭和の戦争も、もっと悲惨なことになっていたかもしれない。
「サムライ」という言葉が、最高の褒め言葉であるのなら、彼こそ「サムライ」だったのだろう。当時の日本において、妻が日本人ではなかったということが、プラスにもマイナスにも影響したかもしれない。でも、強く生きた人であり、かっこいいなぁと思う。こういう「人物」、なかなかいない。日本語でも英語でも、発信できるって強い。言語力の問題ではなく、文化の理解の深さがあってのこと。いやぁ、かっこいいなぁ。
ノブレス・オブリージュ。当たり前のように実践した人。サムライだ。
どうしたら、今の日本でもこのような「人物」が育って、活躍できるのだろうか。
教育は、そのような方向にむかっているのだろうか?
難しい。。。