『雪渡り』  by 宮沢賢治

雪渡り
宮沢賢治・作
たかし たかこ・絵
偕成社
1990年6月 1刷
2015年4月 29刷
*この本は、『新修宮沢賢治全集』(筑摩書房)所収の「雪渡り」を底本としています。

 

宮沢賢治の絵本。
偕成社の「大人の絵本 日本の童話名作選シリーズ」から。

本作品は、大判の贅沢な絵本。

 

表紙の裏の袖には、
”ーーー雪がすっかり凍って大理石よりも堅くなり、 空も 冷たいなめらかな青い石の板でできているらしいのです。
「堅雪かんこ、凍み雪しんこ。」四郎とかん子とは、 小さな雪沓(ゆきくつ)を履いて キックキックキック、野原に出ました。
いつもは歩けない黍の 畑の中でも、 すすきでいっぱいだった野原の上でも、すきな方へどこ迄でも行けるのですーーー。
透明・清浄な北国の冬を舞台に、人の子と狐の子との交歓を描く 宮沢賢治の幻想童話。 賢治に心酔する画家・たかし たかこが、感性を澄ませた繊細な筆致で絵本化しました。”
とある。

 

縦書きの文章の絵本。見開き右に文章、左に絵。  宮沢賢治の作品なので、 絵本とは言っても物語が中心。

 

雪国の物語。二人の兄妹が、雪のなかの散歩を楽しんでいると、白い狐に出会う。歌うような会話。
「狐こんこん、狐の子・・・・」
餅をやろうかという二人に、白狐は黍団子をやろうか、と返す。

「狐こんこん狐の子、狐の団子は兎のくそ。」と笑って言い返す四郎。
すると、白狐の紺三郎は、「きつねは人をダマしたりしない!」という。

 

甚兵衛さん、太右衛門さん、清作さんやらは、狐に騙されたといっていたけれど、紺三郎によれば、それは人間が酔っぱらって、騙されたと思い込んでいるだけだ、、と。

そして、白狐は二人を狐の「幻燈会」に招待する。

ふたりの兄たちも一緒に行きたがったけれど、紺三郎によれば11歳以下でないと参加できないという。そして、お二人で来なさい、特等席をとっておくから、と。

キックキックトントン、
キックキックトントン、、、

 

そして、二人は約束通りに「幻燈会」にいって、狐たちに大歓迎される。
狐らがふるまってくれる黍団子を美味しそうにいただく。

その黍団子、
「そのおいしいことは、頬っぺたも落ちそうです。」

ふたりが黍団子をたべてくれたことで、狐たちは大喜び。

 

閉会式で紺三郎がでてきていいました。
「 皆さん。 今晩の幻燈はこれでおしまいです。 今夜 皆さんは深く心に留めなければならないことがあります。 それは 狐のこしらえたものを、賢い少しも酔わない人間のお子さんが食べて下すったということです。そこでみなさんはこれからも、大人になっても、うそをつかず人をそねまず、私共狐の今までの悪い評判をすっかりなくしてしまうだろうと思います。閉会の辞です。」

狐の生徒たちはみんな感動して、キラキラ涙をこぼした。

二人は、狐たちにドングリだの栗だのをお土産にもらてかえりました。

最後は、雪の中を帰っていく二人と、帰ってくる二人を迎えに来た二人の兄たち。空にはまん丸お月様。月明りと月明かりによる陰が真っ白な雪の景色を深く静かにそめる。

 

なんと、優しい絵でしょう。
物語は、宮沢賢治だ。
キックキック、トントン、かんこかんこ、しんこしんこ、、、。

 

人を化かす狐なんて、本当はいなくって、人間が臆病になったり、酔っぱらったりしてみた幻覚なんだね。酔っぱらって、狐のせいにして、狐にしたらいい迷惑だ。

 

雪の中の黍団子、おいしくって、全部たべちゃったってさ。雪の中で冷たく硬くなっていなかったのかしら?お砂糖たくさん入れておくとね、硬くなりにくいんだよね。だから、美味しかったのかもね。

雪国の物語は、なんとなく、静けさを感じる。

 

ちなみに、同じ『雪渡り』の別の絵本も読んでみた。 福音館書店の1969年初版のもの。堀内誠一・絵。物語は変わらないけれど、絵が変わるとまた全然違う印象。
こちらは、カラフルに、かつ、力強いタッチで描かれた絵なので、読むトーンも、高く、速くなる感じ。キックキック、トントン、のスピードアップバージョンって感じかな。日本昔話っぽい。

 

幻燈会は、十五夜の夜だったんだね。だから、こっちの絵本でも最後はまんまるお月様。

 

”雪はチカチカ光り、そしても今日も寒水石のようにかたくこおりました。”

寒水石: 古生代石灰岩。 白色か青黒色で縞模様をしている

 

今週は、今年一番の寒気団が日本列島にやってきているらしく、天気予報では新潟や金沢では大雪に注意!といっている。キックキックなんて楽しんでいられる雪の量ではなさそう。大きな災害になりませんように。停電に備えましょうっていっている。電気があるのが当たり前の生活をしていると、備えを忘れちゃうことがある。電気のある生活に慣れていると、本当の静けさをわすれちゃうこともある。私たちの日常は、知らない間に音に埋もれている。冷蔵庫、エアコン、パソコン、電源の入っているの物ほとんど何らかの音を発している。それに慣れていて、雑音と思わないだけだ。だから、雪の中にいると、その静けさに耳を澄ましたくなる。

 

雪国の暮らしは大変かもしれないけれど、私は、やっぱりそれもいいと思うのは、静けさを求めているのかもしれない。いつか、札幌に帰ってもいいなぁ、、、と、やはり、思う。住んでいた頃の記憶はほとんどないけれど、時々、ふと、帰る場所は札幌のような気がするのだ。まぁ、今の札幌は昔ほどのは雪も積もらないけれど。

 

トランプ政権発足以来、なんだか、騒がしい国際環境だけれど、宮沢賢治の世界で静けさを取り戻せる一冊。ちょっと、ほっとする一冊。こういう一冊も大事。

 

読書は楽しい。