『フランケンシュタイン  あるいは現代のプロメテウス』  by メアリー・シェリー

フランケンシュタイン  あるいは現代のプロメテウス
メアリー・シェリ
芹澤恵 訳
新潮文庫
平成21年1月1日 発行
令和2年10月25日  7刷

 

2025年に公開された映画『フランケンシュタイン』が面白かったという話を聞き、映画はまだみていないのだけれど、改めて原作の『フランケンシュタイン』をよんでみたくなった。読んだことがないし、実はお話もよく知らない。図書館でみつけたので、借りて読んでみた。

 

副題にある、「あるいは現代のプロメテウス」の「プロメテウス」は、天界から「火」を盗んで人間に与えた神(タイタン族)。そのことでゼウスにより罰せられ、岩山に縛られ、鷲に肝臓を貪られ続ける。悲劇の神。

 

著者のメアリー・シェリは、1797ー1851、イギリスの小説家。無神論者でアナキズムの先駆者であるウィリアム・ゴドウィンを父に、女性解放を唱えフェミニズム創始者と呼ばれるメアリー・ウルストンクラフトを母に、ロンドンで生れる。1816年、詩人のパーシー・ビッシュ・シェリーと結婚。1816年から書き始めていた『フランケンシュタイン』を1818年匿名で刊行。本作品によって、SFの創始者と呼ばれることもある。ほかの作品に『最後の人間』などがある。

って、知らなかった。そんなに古い作品だったとは・・・。日本はまだ江戸時代。。。

 

訳者の芹澤さんは、 成蹊大学文学部卒業。英米文学翻訳家。

 

裏の説明には、
”若き科学者ヴィクター・フランケンシュタインは、生命の起源に迫る研究に打ち込んでいた。ある時、ついに彼は生命の創造という神をも恐れぬ行いに手を染める。だが、創り上げた“怪物”はあまりに恐ろしい容貌をしていた。故郷へ逃亡した彼は、醜さゆえの孤独にあえぎ、彼を憎んだ“怪物”に追い詰められることになろうとは知る由もなかった――。天才女性作家が遺した伝説の名著。”
とある。

 

感想。
すご~~~い!!
こんなに、すごい作品だとは、知らなかった。
本当に、内容もさることながら、構成がすごい。ミステリーというか、SFというか、当時、どういうカテゴリーになっていたのかは知らないけれど、面白過ぎる!

フランケンシュタインは、怪物の名前ではない、ということくらいはしっていたけれど、こういう小説だったというのは、ただただ、驚嘆。面白過ぎる!!

 

翻訳もうまいのだろうけれど、本当に、読みだしたら止まらない。いつ、怪物の残忍な事件が出てくるのかと思って読んでいても、たしかに殺人事件はおこるのだけれど、それは、物語の中の数度のイベントでしかない。事件の解明に奔走した物語ではないのだ。

 

以下、ネタバレあり。

 

そもそも、物語は、「手紙」と「口述」の形をとっている。
構成の軸であり外輪となるのは、海洋探検家のロバートが、姉マーガレットに送る手紙。小説は、ロバートの手紙で始まり、ロバートの手紙で終わる。そのロバートが、流氷に閉ざされた北の海の船で出会ったのが「ヴィクター・フランケンシュタイン」。瀕死のヴィクターがロバートに話したことが第二の軸。そして、ヴィクターの話の中で、ヴィクター自身がつくった怪物がヴィクターに語った話が第三の軸。

 

北の海で瀕死の状態だったヴィクターは、氷に閉ざされていたロバートの船に救出される。ヴィクターは、自分が「生命の創造」に取りつかれ、怪物を作り出したことをロバートに語る。瀕死だったヴィクターは、ロバートに自分が作り出した恐ろしい怪物の話、そして、その怪物のせいで自分の人生が破滅を迎えたことになった話をきかせ、最後は、亡くなってしまう。

 

ヴィクターが語ったのは、自分が作り出した怪物によって、弟や友人、妻をも殺された悲劇の話、そして、その怪物を退治するために、死の覚悟でこの北の海までやってきたということ。それは、それは、、、悲惨な物語。

 

そして、ヴィクターは、なぜそういうことになったのか、怪物がヴィクターのもとへやってきて、「自分の伴侶となる怪物の女をつくれ、さもなくばお前を殺す」と脅迫されたということと、怪物がなぜそのようなことをヴィクターに求めることになったのかという、怪物がヴィクターにかたった怪物の悲しく、寂しい話。

 

怪物は、ヴィクターの実験室で誕生した。人間をしらず、社会を知らず。ヴィクターは、長年の研究の成果として、命を吹き込むことに成功したものの、自分が作り出してしまった怪物のおぞましさに、実験室を逃げ出す。もう二度と実験室に足を踏み入れたくないほど、嫌悪した。そして、ある日実験室の扉を再びひらくと、怪物の姿はそこになく、心底ほっとする。が、怪物は、死んだわけではなかった。

 

怪物は、その後、ヴィクターのいる場所へ繰り返し現れる。最初は、弟ウィリアムの殺人犯として。。。。

 

怪物は、ヴィクターに、実験室をでてからの悲しい出来事を語る。それが、物語の第三の骨子。

一人でさまよっていることの悲しさ。見ただけで人々は逃げ出し、だれも自分の友達になってくれないことへの失望。ある村の小屋に隠れ住み、隣の母屋に住む親子の様子をのぞき見しながら、人間社会には家族というものがあり、言葉というものがあるということを知る。そして、怪物は、火を使うことを覚え、蝋燭で灯りをとる生活を知り、言葉も、文字も、独学で学んだ。本も読んだ。そして、人間社会の愛憎をしる。 『プルターク英雄伝』『若きウェルテルの悩み』『失楽園』を読んで、人間の社会や人の感情をしったのだ。

これらの本が、『フランケンシュタイン』よりも前の本だったというのも、私にとっては、すごい気づき。

megureca.hatenablog.com

 

怪物の語る自然の美しさ、人間社会や家族愛への憧れ、、、とてもセツナイ。

 

怪物は、一人ぼっちの自分をつくったのは、ヴィクターお前だ、責任を持っておれの伴侶をつくれ、そしたら俺たちは人間界には二度と姿を現さずに二人でひっそり暮らす、という。怪物は、ウィリアムを殺し、その罪をフランケンシュタイン家の親しかった女性にかぶせた。女性は処刑された。怪物のせいで2人をうしなったヴィクターは、一度は拒むのだが、怪物を人間界から遠ざけるためには仕方がないと思って、一人ロンドンに戻って女をつくり始める。だが、結局、女をつくってやったところで怪物とむつまじく暮らせるかどうかもわからず、これ以上怪物を生み出すことが恐ろしくなって、再び実験室から逃げ出す。

 

自分の願いを聞いてもらえないとわかった怪物は、ヴィクターの親友を殺害。こうなっては、ヴィクターの選択肢は自分の命にかえて怪物を退治することになった。ヴィクターの心は病んでいく。父は、ヴィクターにエリザベス(子供の頃にフランケンシュタイン家にもらわれた女)と結婚することを勧める。兄と妹のように育ってきた二人は、互いを尊敬し合っており、二人は結婚を決意。が、それを察知した怪物は、ヴィクターの婚姻の日に戻ってきて殺してやる、というのだった。

 

ヴィクターは、自分が怪物と刺し違えて共に死ねばいい、と考える。万が一、怪物を倒すことができたら、エリザベスと幸せに暮らせるはずだ。

が二人が結婚した夜、現れた怪物が殺したのは、ヴィクターではなくエリザベスだった。

 

愛する人を奪われる悲しみを、これまでかと怪物に突き付けられるヴィクター。最後は、命をかけて怪物退治にでかける。

その先で出会ったのが、冒頭にあった海洋探検家のロバート。

 

最後は、ロバートの姉への手紙で終わる。ヴィクターから、かくかくしかじか、これまでの話をきいたこと、そして、ヴィクター自身は崇高な科学者であり、自分にとっては唯一の友人と呼べる人となったこと。だが、、、ヴィクターは、舟の上で衰弱して亡くなる。

 

その時、怪物が現れる。そして、ヴィクターへの恨み言を並べ立てる。が、お前が死んだことで、自分ももう生きる望みをなくした。だから、

「おれはもうすぐ死ぬ。今、感じていることも感じなくなる。この灼熱の苦しみもきえてなくなる。おれは喜び勇んで葬送の薪の山に登り、劫火の苦しみに歓喜の声をあげるのだ。やがてその大きな焚火の火は消えて、おれの灰は風に運ばれ、海に散る。そして、おれの魂は安らかに眠るだろう。たとえものを思うことがあろうとも、もう今のようには思うまい。
さらばだ。」

 

”怪物は、船室の窓から身を躍らせ、船のそばに浮かんでいた氷の塊に跳び移りました。そしてたちまち波に運ばれて、闇の遥か奥へときえていったのです。”

と、ロバートの手紙で物語は完。

 

いやぁ、面白かった。
そして、なんて詩的で美しく、、、悲しい物語なのか。

 

怪物を怪物にしたのは、人間なのだ。見た目の醜さゆえに、恐怖を覚える人間は、怪物の話を聞こうともせずに敵と認定する。物語の中で、唯一怪物と普通の会話をするのは、隠れ住んでいた小屋の母屋にくらす盲目の男だけだ。が、男の子供達が家に帰ってきて、怪物の姿を見た途端、娘は恐怖のあまり気絶し、息子は父を怪物から守ろうと攻撃してくる。翌日には一家は母屋をすてて出て行ってしまう。そして、また一人ぼっちになった怪物。

 

セツナイ‥‥。

怪物を生み出したヴィクターだけの罪とはいえない。

 

人間社会の明暗を見尽くした怪物は、自分の死を選んで消えていく。どこへ消えたのか…。本当に死んだのか?

「哀れみ」という言葉を思う。

 

いやぁ、色々と深い。

小説としての完成度がめちゃくちゃ高い。すごい。

メアリーが、『フランケンシュタイン』を書き上げたのは20歳の時だそうだ。

 

いやぁ、まだまだ、であっていない名著といわれるものは、山のようにある。本が読めるって、幸せだ。

読書は、楽しい。