若きウェルテルの悩み
髙橋義孝 訳
昭和26年1月28日 発行
平成22年5月20日 117刷改版
言わずと知れた、ゲーテの代表作『若きウェルテルの悩み』。これもカフカの『変身』と同じように、若いころに読んだ。けど、ちっとも面白くなかった。今回、頭木さんの本『希望名人ゲーテと絶望名人カフカ』に触発されて、読み直してみた。
裏の本の紹介には、
”ゲーテ自身の絶望的な恋の体験を作品化した書簡体小説で、ウェルテルの名が、恋する純情多感な青年の代名詞となっている古典的名作である。婚約者のいる美貌の女性ロッテを恋したウェルテルは、遂げられぬ恋であることを知って苦悩の果てに自殺する。多くの人々が通過する青春の危機を心理的に深く追求し、人間の生き方そのものを描いた点で時代の制約を超える普遍性を持つ。”
とある。
書簡体小説であるので、独白のような感じもある。手紙を書いているウェルテルが語り続ける。
ネタバレ、といっても、有名過ぎて誰でも知っているお話だろう。ウェルテルは、婚約者のいる美しい女性、ロッテに恋する。ロッテの家族や兄弟たちとも仲良しになる。そして、ロッテと過ごす時間が増えるごとに、ロッテに惹かれていく。だけど、ロッテにはアルベルトという婚約者がいるのだ。ウェルテルは、アルベルトとも付き合いがある。或る時、アルベルトの部屋で二人で話していた時に、部屋にピストルが置いてあることに気が付く。そして、ピストルを貸してくれないかとアルベルトにお願いする。そのときのウェルテルは、特にピストルで自殺しようなんて考えていたわけではない。アルベルトは、貸してやるが弾丸は入っていないから、自分で入れてくれといった。そして、ウェルテルは借りたピストルをその場でふざけて自分の頭に当ててみる。
「おい、君、何をするんんだ」
「だって弾丸ははいっていないんだろう」
「それにしたって、なんてまねをするんだい」
そういう行動をすること自体が信じられないアルベルトはつづけた。
「いったい人間はどういうつもりでまぁ自殺などという愚を犯すのかね、わからんよ、ぼくは。自殺ということを考えただけで、僕は胸がむかむかしてくる」
「どうして君たちはそういきなりある事柄について愚かだの賢明だの、善いだの悪いだのいわずにはいられないんだろう。だけれどそういったところで結局どんな意味があるんだい。前もってある行為の内面的ないきさつを調べてみたうえでの話しなのかい。ある行為がなぜ起こったか、なぜおこらなければいけなかったか、その原因をはっきり説明してみせることができるのかい。もし君方がそういうことをやったら、なかなかもってそうあっさりと判断は下せまいと思うんだがね。」
と、二人の会話が続く。。。
物事の善悪、愚なのか賢明なのか、、、、。たしかに、第三者には説明できない原因があるかもしれない。
と、そののちにロッテとアルベルトは結婚し、一度は二人から距離を取るために引っ越しをするウェルテルだが、結局は二人の近くに戻ってくる。でも二人にとってウェルテルの存在は、別に重要なものではなくなっていた。
そして、最後にはピストルで自殺してしまうのだ。ロッテに「これから死にます」という手紙を残して。しかも、ロッテからかり出したアルベルトのピストルで。。。
ウェルテルは、即死ではなかった。自殺を図った翌朝に、瀕死の状態で発見される。意識を取り戻すことなく、死んでいく。
なんだ、この救いようのない小説は、、、、。と思う。
青春の心の危機か、、、、たしかにね、失恋したくらいで死ぬことないよ、って50歳も過ぎれば心底思うけれど、失恋で死んでしまいたいと思うのが青春なんだろう・・・。
『若きウェルテルの悩み』は、ゲーテが25歳の時の作品で、一躍大スターになった作品。翻訳者の高橋さんの解説によれば、「青春そのものを爆発的に歌い上げた世界文学史上最高傑作」だと。本の説明にあるように、ゲーテ自身が20代の前半に法律事務所の実習生をしていた時出会ったシャルロッテ・ブフという女性との経験を物語にしている。実際、シャルロッテにはケストネルという許嫁がいた。でも、惚れ込んでしまった。ゲーテは、叶わぬ恋であると悟って、シャルロッテに出会ったヴェッツラルの街を密かに去った。
ゲーテ自身が、自分の恋愛を劇的な物語にするために、ウェルテルを自殺させてみた、、、って感じだろうか。自分だって死んでしまいたかった。でも、死ななかったゲーテ。代わりに物語の中で自殺してみた。。。
発売当初は熱狂的に売れた。そしていまなお売れ続けている。ドイツでの初版は1774年だ。なんと、今から約250年昔の小説が、今なお読まれ続けているって、、、お化け作品としか言いようがない。なにが、そんなに人を惹きつけるのか、、、、。
本作も、読む時代や年齢によって、影響や感想は様々だろう。自分の恋愛と重ねて、思わず自殺してしまった若者が多く出て、ヨーロッパでは一時は発売禁止となることもあったようだ。1774年って、日本で言えば、江戸時代で田沼意次の賄賂政治が問題になっていた頃。同じ1774年に杉田玄白が『解体新書』を書いている。ボストン茶会事件(1773)、アメリカ独立宣言(1776)、アダム・スミス『国富論』(1776)、とそんな時代の話なのだ。
人が恋に焦がれて、恋に破れて、死んでしまう悲劇は、今の時代にも響くのだ。ウェルテルの立場だけでなく、ウェルテルの好意をしりながら夫を裏切るつもりもないロッテの苦悩。三角関係ともいえないほどの一方通行の想い。友情と恋愛とのはざま。いつの時代も若者にとっての最大の問題はそこにある。
人生のあらゆる問題は、人間関係から発生する。
普遍的真実。。。。
名作と言えば名作なのだろう。やっぱり。
でも、最後にロッテから借りたピストルで自殺するなんて、自己中心すぎるウェルテル。やっぱり、死んでしまう悲劇は、、、むなしすぎる。わたしは、ウェルテルの苦悩より、ロッテの苦悩に同情してしまう。
この悲劇の作品を書いたのが、希望名人ゲーテだからいいのだろう。ゲーテは、失恋しても死ななかった。そして、死ぬまで恋愛しつづけた。常に希望名人だった。だからこそ、小説の中で絶望して見せたのかもしれない。
『若きウェルテルの悩み』は、ゲーテの作品だからこそ面白い。そんな気がする。とはいえ、やっぱり読んでも感動はしなかった・・・・。こういう悲劇を描くということ自体が当時には特筆すべきことで、ユニークな作品だったのだろう。それにしても、なぜ人間は小説や映画の喜劇も悲劇もたのしめるのだろう。。。他人ごとだからか・・・?!
子供の時、漫画の「キャンディ・キャンディ」が全くもって私には面白くなかった感じとちょっと似ている。イライザにイジメらて、いじけているキャンディに私は、イラつきこそして、共感できなかったのだ。まして、「森の王子様」だっけ?が助けてくれるのを待っているなんて、、、。小学生ながら、「自分で戦うなり、逃げるなりすればいいのに」って思っていた・・・・。
ま、漫画でも小説でも、疑似体験。それができるから読書は楽しいのだ。
やっぱり、読書は楽しい。
共感できなくても、楽しめるのが読書の不思議。