五足の靴
五人づれ
岩波文庫
2007年5月16日 第1刷発行
友人が、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」へ旅する前に読んだと言っていた本。私も、コロナ明けの2021年4月に、長崎の友人を訪れて、 大浦天主堂まで足を伸ばしたことがある。そのころに本書を知っていたら、読んでいったなぁ、、、と思いつつ、図書館で借りて読んでみた。
表紙にある内容紹介には、
”明治40年の盛夏。東京新詩社の雑誌『明星』に集う若き詩人達ーー北原白秋、平野萬里、太田正雄(木下杢太郎)、吉井勇がいさんで旅に出た。与謝野寛との五人づれは、長崎・平戸・島原・天草と南蛮文化を探訪し、阿蘇に登り柳川に遊ぶ。交代で匿名執筆した紀行文は新聞連載され、日本耽美派文学の出発点となった。【解説=宗像和重】”
とある。
日本耽美派文学? なにそれ? AIに聞いてみた。
日本耽美派(たんびは)文学は、一言でいうと、
”「道徳や社会の役立ち(実用性)よりも、ただひたすら『美』を追求しよう」という芸術至上主義のグループ。”
だそうだ。
人生の暗い現実的なところを描く「自然主義」から、たとえ悪であっても、不道徳であっても、美しいものを描くことを志向したということらしい。
なるほど、情緒あふれる美しい文体、って感じか?
目次
(一)厳島
(二)赤間が関
(三)福岡
(四)砂丘
(五)潮
(六)雨の日
(七)領巾振山
(八)佐世保
(九)平戸
(十)荒れの日
(十一)蛇と蟇
(十ニ)大失敗
(十三)大江村
(十四)海の上
(十五)有馬城址
(十六)長洲
(十七)熊本
(十八)阿蘇登山
(十九)噴火口
(二十)画津湖
(二十一)三池炭鉱
(二十二)みやびお
(二十三)柳河
(二十四)徳山
(二十五)月光
(二十六)西京
(二十七)京の朝
(二十八)京の山
(二十九)彗星
解説 宗像和重
地図
感想。
ふふふ。。。男五人の旅。楽しそう。
29回にわたって、 新聞に掲載されたということなんだろう。 それぞれの記録の最後に、 日付が書かれているけれども筆者の名前は入っていない。すべては匿名。だけれど、5人の中の誰か、ということ。。始まりは 明治40年8月7日。 最後は、 ”翌日の昼前東京に着いた。この記はこれで終わる。”とあって9月10日。一か月にわたる男五人旅。それが、五足の靴。
旅の宿は、予め決まっていない日もあったようで、宿探しに走る男がいたり、迷子になった山奥で犯人捜索中の巡査に出会って道案内してもらったり、まぁ、なんということはない旅日記なのだけれど、これぞ、耽美派ということなのか。ほんのりと、優しい気持ちになる感じ。
明治40年だから、今のように電車はないし、電話だって今ほど便利ではなかっただろう。道に迷ってもGoogleマップを開くこともできず、、、、。車窓からの風景描写が、なんだか懐かしい日本を思う。
でも、懐かしいのは景色そのものではなく、つまり、景色そのものは大きく変わっていなくて、電車に乗っている間の過ごし方が、昔と変わったのではないのか?とおもってしまった。私も、昭和から平成に変わるころ、大学時代に電車の一人旅をよくした。あのころは、携帯電話が出始めたころだったけれど、私は電話嫌いだったので電話を携帯することもなく、旅の間は、ほとんど窓からの景色を眺めて過ごしたものだ。最近でも、携帯電話やタブレットよりは、紙の本を読んでいるけれど、やっぱりゆっくり景色を眺める旅も、それはそれでいい。トンネルが多くなると、本に夢中になっちゃうけどね。
厚さ1cm未満の薄い文庫本。あっという間に5人の一か月が過ぎていく。みんなで歌ったうたが出てきたり、詩がでてきたりするので、文字の数もそう多くはない。まさに、旅のお供にしたい旅日記だった。
旅の途中の風景から、誰かの小説を彷彿させて紹介されていたりもする。あるいは表現に「膝栗毛の雲助」とあったり、「馬琴式」とあったり。十返舎一九の『東海道中膝栗毛』や、『南総里見八犬伝』の曲亭馬琴。旅や土地にまつわる話というのは、昔からある定番なんだな。やっぱり、読んでいて自分もそこに一緒にいるようなきもちになったり、いつか行ってみようと思ったり、楽しいもんね。
(二十)画津湖(えづこ)は、熊本の話で「水前寺」を訪れている。現在では水前寺公園となっていて、私は2024年に遊びに行っている。本書の中では、「水前寺はもと藩主細川氏の別墅(べっしょ)であったが、今は一私人の有に帰している。」とある。
明治40年には、まだ、私有だったんだね。あれだけ広い公園を私的に管理するのは、今の時代は無理だわね。。。
現在の地図だと、水前寺公園の付近にあるのは「江津湖」となっている。時代の流れで漢字もかわったのかな。
そして、水前寺のことを「瀟洒幽静(しょうしゃゆうせい)、岡山の後楽園を小さくした趣がある」って紹介されている。あぁ、なるほど。確かに、後楽園を小さくした、言い得て妙。
私は、5人の作品に詳しいわけでもないので、解説も楽しく読んだ。旅をした当時の彼らは、22歳、23歳と若手で、リーダー格だった与謝野寛が明治6年生まれで35歳だったそうだ。30代の先生が、20代の若者と一緒に旅した、という感じだろうか。それは、若さのエネルギー溢れる、男臭い旅だったのだろう。とはいえ、文学青年たちだ。今どきの大学生の男の子が4人集まって、そこに一人社会人の先輩がいるっていう感じか?なんだか、楽しそうだ。多少のドタバタも、楽しい旅の思い出か・・・・。
(十一)蛇と蟇では、蛇にまるのみされたガマガエルをみつけて、足を止める5人。最初に一人がとまったら、次々とナンダナンダ?と、止まる五人。カエルを助けてやろうと、蛇に小石をなげてみたりして、、、、。誰が最初に止まったか、だれが何をしたか、イニシャルでの記録、旅のイベントになっている。これが、女五人旅なら、きゃ~~と逃げて記憶から消したい思い出になっていたかもね。
そして、旅の後にもこの五人が仲良しこよしだったかというと、そうではなかったとのこと。旅の頃には「決裂の機運がきざして」いて、帰京後まもなく、若手の4人は、新詩社(与謝野寛が設立)から脱退したとのこと。
とはいえ、解説では、この五人の旅は「稀有な幸福に満ち満ちていた」と結ばれている。
不自由のある旅の方が思い出深かったりするものかもね。
私は一人旅好きだけど、友のある旅もまた、善いものだ。
