言葉:「きびしょ」なんて知らなかった

今日、思ったこと。日本語も知らない言葉はたくさんある。無知の知

 

今年は、なんでもいいから色々本を読もうと思って、昔の日本の小説にも手を伸ばしている。三島由紀夫は若いときには途中で飽きてしまって、最後まで読むことができなかったが、この年になるとなんてすばらしい文章なんだろう、と思って読んでいる自分がいた。

この時代の小説、いいなぁ、とつぶやいたところ、川端康成もいい、というつぶやきが聞こえてきたので、川端康成の「女であること」を読んだ。

ストーリーは、タイトルの通り、何人かの、あるいは何種類かの?女のそれぞれの情動の絡み合いで、いつの時代にもありそうな人間模様が描かれている。

大阪から東京に家出してきた女は、大阪弁を話すのだが、そこがなんとも生活感があるというのか、現実味があるというのか、会話の場面でもリズムになっている感じがして、テンポよく読めた。

 

そう、タイトルに書いた「きびしょ」。

小説の初めの方で、「大阪の嫁は、(きびしょ)言はんと、あきまへんね。」というくだりがあって、(きびしょ)が何なのか私にはわからなかった。

広辞苑をひいたら、「急須」の唐音の転⇒急須に同じ。とあった。

 

急須ね。

と、一つ、新しい言葉を覚えた。

きっと、この先使う事もないと思うけど。

父方の祖母は、大阪に住んでいたけど、きびしょなんて言ったかな。記憶にない。

 

小説の最初に、大阪弁がでてきて、主人公の女が東京でも使い続けた大阪弁は何か意味があるのかな、とか、、、深読みしてみたけど、よくわからなかった。でも、結局彼女は、故郷を、家族を愛していた、ということなのかもしれない。

 

切ないような、しっとりとした気持ちになれるお話だった。読んでよかった。私は、この小説の誰にも似ていないな、と思いながら、それでも何となくそれぞれの思いがわかるような気がして、なんで男性がこういう文章を書けるんだろう、、と思った。

音子、いとこ、さかえ、市子、妙子、、、、、、。

 

と、今日は、小説のことを記録したかったのではなく、言葉って大切だな、と思ったことを書き残しておきたかった。

孔子、「正名」 正しい名前で呼ぶ。

 

日本語、正しく使いたい。

英語日本語の通訳の勉強をしていると、英語より日本語の練習が必要なことに気づかされる。

言葉って、大切だ。

「きびしょ」から、10年以上前に亡くなった祖母のことを思い出した。

言葉って、連想ゲームだ。

 

もうちょっと、頭の中をちゃんと言語化できるようになりたい。

日本語訓練中。

がんばろっ。