『眠れる美女』by 川端康成

眠れる美女
川端康成
新潮文庫
昭和42年11月25日 発行
平成22年1月15日 68刷改版
平成24年11月30日 73刷

 

頭木弘樹さんの『絶望名言』のなかで、川端康成 ブックガイドで紹介されていた本。

眠れる美女』『片腕』『散りぬるを』の3作が収録されていて、解説は三島由紀夫という贅沢な一冊です。『眠れる美女』『片腕』は川端康成の後期の珠玉の名作です。”
とあった。

図書館で借りてみた。

 

裏の説明には、
”波の音高い海辺の宿は、すでに男ではなくなった老人たちのための逸楽の館であった。真紅のビロードのカーテンを巡らせた一室に、前後不覚に眠らされた裸形の若い女—―― その傍らで一夜を過ごす老人の眼は、みずみずしい娘の肉体を透して、訪れつつある死の層を凝視している。売れすぎた果実の腐臭に似た芳香を放つデカダンス文学の名作 『眠れる美女』の他 『片腕』『散りぬるを』。”
とある。

 

感想。

なんじゃこりゃ。。。川端康成って、どこまで変なんだ・・・。デカダンス文学かぁ、、、。なるほど。そうかもしれない。ストーリーは、やっぱり変だ。でも、描写が美しい。『雪国』と似た感想を持った。どうしようもない男の物語。それでいて、哀愁漂う、、、。女性の美しさ。景色の描写。

megureca.hatenablog.com

 

薄い文庫本。あっという間に読める。そうか、これが川端文学か、、という納得と、肩透かしをくったような、デカダンス。確かに、三島由紀夫の解説が面白い。人が死んじゃったり、「片腕」が単体で行動したり、うっかり人を刺し殺しちゃったり、、、。おいおい!!って、突っ込みどころ満載ともいえるし、絶望的であり、喜劇的であり、、、。

 

以下ネタバレあり。

 

眠れる美女』は、題名の通り、美女はひたすら眠り続ける。彼女らは、裸で蒲団に横たわっている。死んでいるのではない。薬で眠らされ、女として売られる。ただし、客は女に手出しをしてはいけない。ただ、添い寝するだけのために女を買う老人たち。。。うっかりそのまま死んでしまったある老人は、何事もなかったかのように別の宿屋へ運ばれる。うっかり死んでしまった女も、何事もなかったかのように、きっと担ぎ出されるのだ・・・。

主人公の江口は、人に教えてもらって、この不思議な売春宿のようでいて売春をしているわけでもない宿にやってくる。ここに来る客は、みんな老人だ。裸で眠り続ける女の横で眠るためだけに、女を買う。江口は、自分は老体であることを自覚しながらも、まだ男である自分を感じたくもいる。そして、興味本位で一度訪れてから、結局、数回にわたって訪れることになる。そのたびに、寝ている女は変わった。でも同じなのはひたすら眠り続ける美女であること。彼女らは、江口が訪れる前から薬で眠らされ、江口が起きた後も眠り続ける。眠り続ける女の横で、一晩を過ごすのがこの宿の商売ポイント。客も睡眠薬を渡され、ただ、静かに眠る時間を過ごすのだ。江口老人は、女の肌のぬくもりを感じつつ、静かに眠る。そして、様々な夢を見る。その夢の描写もなんとも不思議。。。

何度目かに訪れた時、なんと、女は二人いた。二人の女が寝ていたのだが、いつものように寝ればいいと言われる。そして、江口は二人の女に挟まれて寝るのだが、一人の女が気が付けば冷たくなっていた・・・・。あわてて、宿の女房を呼ぶ江口。
「お客さんはそのまま、もう一人の女と寝ていればいい」と言われ、何事もなかったかのように女を抱えて運び出す宿の人。隣の女が死んだというのに、、、。ひょっとすると、夢の中で女の首をしめたのではなく、自分は本当に寝ている女の首をしめてしまったのだろうか、、、、というおそろしい気になる江口。

なんというデカダンス

 

『片腕』は、文字通り、片腕だけが、人格をもって語り出す。女の肩から外された片腕だけを持ち出す男。語る片腕。なんなんだ・・・。

ただ、人のぬくもりが欲しい男には、女の片腕があればいいのか、、、。

 

『散りぬるを』は、二人姉妹をふざけて脅かそうと思って、そのまま殺してしまった男の物語。。。警察で供述したのは、果たして本当なのか、言わされてそんな気がしているだけなのか、、、。真実はどこに?!?!?夢と現実のはざまがわからなくなるように、人から聞かされ言わされたことと、真実との境は曖昧になっていく、、、。


ほんと、どれも、なんじゃこりゃ?!という感じ。
だけど、読まずにはいられないこの感じ。なんなんだろうか。。。。

なんで、ノーベル文学賞なんだ???
やっぱり、よくわからない。けど、美しい、とも感じる。ほんと、不思議。

薄い文庫本、すぐに読める。

 

そもそも、川端康成はこういうちょっと不思議ちゃんな物語を書く人なのか?もしかすると、私が勝手に川端康成ノーベル文学賞作家なんだから、堅い小説を書く人だと思い込んでいただけなのか。

 

現実の既視感のようなものがありながら、不思議な世界の物語。その不思議な感じが川端文学の面白さなのかもしれない。

 

一つ、言葉の覚書。

ゆくりなく上野の不忍の池で出会ったとき、娘は赤ん坊を負ぶって歩いていた」という一文が『眠れる美女』の江口老人の過去の回想シーンで出てきた。

「ゆくりなく」って?広辞苑で調べてみた。

ゆくりなく:思いがけず、偶然に。

 

しらない日本語だった。

ゆくりなくって、ちょっと素敵な響き。川端作品は、時々しらない日本語がでてくる。そういう言葉に出会えるのも、古い作品を読む楽しみ、かな。

 

ちょっと変だけど、よんでしまう川端康成

不思議な人だ。

はたして川端康成は絶望名人なのか・・・・。

まぁ、自殺してしまったんだから、やっぱり、絶望名人か・・・。いや、カフカは自殺していない。本当の絶望名人は、自殺したりはしない、、、気がする。三島由紀夫も芥川も太宰も、みんな本当の絶望名人ではない、と私は思う。絶望名言は残しているけど、ね。